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誰がために君は泣く





「かつてのオビトの意志は、いまもオレの隣にいる。かつてのオビトを守ることは、いまのナルトを守ること。いまのナルトを守ることは、いまのオビトを殺すこと。オビト、オレはお前を殺すよ」
 神威の空間にオビトとカカシのふたりきり。同じ写輪眼持つ者同士が対面していた。ずっと「うちはマダラ」を名乗ってきた自分が、「うちはオビト」として対面するのはいつぶりだろう。名前などとっくに捨てたと思っていたのに、かつてのオビトを知る人間が目の前にいるだけで、自分の意識は「オビト」へ揺れる。
「平和ボケしたお前に、誰が殺せる」
 オビトはせせら笑った。地獄のような世界で、その影に身をひそめずっとこのときを待っていた。永遠に失われた幸福を、いまふたたび手に入れるために。リンは、オビトの希望だった。希望は潰えた。カカシの前で。オビトの目の前で。
「むざむざ生き残って後悔ばかりしていたお前が、いまさらこの世界でなにを守りたい」
 絶望を啜った深い声は、カカシの胸を突き刺すだろう。雷撃は血脈とともに四肢を巡り、肉を焦がす。痛みに耐えるように、カカシは目を閉じた。もう何も見たくなかった。あの頃の自分と重なる。この目には、呪われた世界のありさまが克明によく見える。同じ目を持つカカシにも、見えていたことだろう。
「そうだな。オレはもしかしたらお前を殺せないかもしれない」
 うすらと目を開けたカカシのまなざしには、強い光があった。爛々とかがやくまなこは、先ほど見た彼の生徒を思わせる。あの青い瞳が、左右違いの目に重なる。
「お前を殺したいんじゃない。オレは、生きたい。こんなところで死にたくないんだ」
「ずっと誰かのために死にたがっていたお前が」
 死に場所を求め、殉職の機会を窺っていたのを知っているぞ。オレが助けた命、リンが願った命、ミナト先生が繋いだ命、無下にすることはできなくて、漫然と三代目のもとで任務をこなしていた。いったいどの口が「死にたくない」と言うんだ。いつだって、お前はひとり残された生を恨んでいたではないか。何時間も墓の前で立ち呆けながら。
「おめでとうと、言ってくれたんだよ。オレが先生で嬉しいって。オレがいないなんて考えられないって。毎年、言ってくれる子がいるんだよ。この前も、オレの誕生日を祝ってくれた。毎年、どんなに物理的に距離が離れていても、欠かさずオレの誕生日を祝ってくれる。オレは、来年もその子からおめでとうと言われたいよ。その次の年も、その更に次の年も、ずっと。だからな、オビト。お前がこの世界をそんなちんけな悪夢で覆うのはよしてくれ。オレは、いつか悪い夢が終わる夜明けの空の美しさを知っている。白々とした光の名前を知っている。穏やかな夜の呼吸を知っている。手を握り続けるあたたかさの正体を知っているんだ。オビト。お前がナルトを殺すというのは、オレを殺すのと同じことだ。オレは生きたい――ナルトと共に生きたいから、そのためならお前を殺す」
 研ぎ澄まされた切っ先の殺意が、オビトの全身を舐めた。手に汗を掻く。グローブがギュッと音をたてた。こぶしを握りこんでいたからだ。
 オビトは目を閉じた。浅く吐き出された息を、深く吸う。長く吐き出す。瞼には、光に照らされて皮膚の血管が赤いじゅうたんのように広がっていた。やがてちりちりと白くまたたく。それは、リンの顔をしていた。
「オビト」
 幼いリンの声が、声変わりを済ませていない甲高い声に重なる。
「カカシ先生!」
 その虹彩は、眩く、色彩豊かに彩られる。深い群青色の空に星々が散りばめられたように、地平線に太陽の筋が白く浮き出るように、柔らかくあたたかな空の晴れ、優しく包み込む雲の空、慈雨の暗がりはささくれた心を慰める、そしてあのオレンジ色! 真っ赤な夕焼け、それから再び宵闇。空を背に立つ少年は、カカシを呼ぶ。
「カカシ先生、誕生日おめでとう。カカシ先生はオレの自慢の先生だ。尊敬できる忍だ」
 ナルトはカカシを見つめる。初めてカカシの誕生日を祝った日――それは誕生日というものを知らないナルトにカカシが教えた初めての日であったが――ナルトはカカシの顔を見上げていた。いまは見上げるほどの背丈の開きはない。すぐに、彼に背も忍の実力も追い越されてしまうときがくるだろう。それは来年のことかもしれない。
「また来年も、おめでとうって言わせてくれよな」
 ともに歩める、時間が重なる。それは幸福なことなのだと、カカシは頷いた。
「!」
 オビトは目を見開いた。荒い呼吸で胸が波打つ。いまのは何だ? カカシの幻術か?
「違うな。単に、シンクロしていただけだろう。同じ写輪眼を持っているんだ。オレの見たものをお前が見ることができたとしても、なんの不思議はない」
 敵が前後不覚にただ立っているだけだというのに、カカシは微動だにしていなかった。フッと細く息を吐く。
「今のは、先月のオレの誕生日にお祝いしてくれたナルトだよ。あいつが来年もおめでとうって言いたいって、オレに願ったんだ。あいつの言葉は曲げさせない。これも、教師心ってやつなんだろうな」
「教師心? 笑わせる」
 オビトは顔を顰めて吐き捨てた。
「親心とでも言いたいのか? とんだ勘違い野郎だ。お前がそのナルトに抱く感情は、そんなにお綺麗なものなのか? お前の見たものをオレも同じように見たというなら、お前のまなざしは欲に濡れた獣そのものだ。よくも害のないようなすっとぼけた顔ができるもんだな」
「欲?」
 そのときカカシが狼狽えてあとずさったのを、オビトはしっかりと見た。
「そうだ。お前はナルトに欲情している。あれだけ見つめて、執心しているくせに、お前は気付いてなかったのか?」
 せせら笑うオビトの声を払うように、カカシは頭を振った。片手で写輪眼を隠しまでする。愚かな奴だ。
「そんなはずはない!」
「お前はきっと、あれだけ大事にしていたナルトを傷つけるぞ。カカシ。お前自身のその薄汚れた感情でな」
 カカシ先生と慕う声、信頼して伸ばされる無垢な手のひら、きらきらと輝く瞳の中。それを踏みにじるのはカカシのナルトに対する欲望だ。共に生きたいと願ってしまった。穏やかな呼吸を聞く夜を、そのあたたかな手を握り迎える夜明けを、永遠に続けば良いと願ってしまった。
「……どうしてお前が泣くんだ」
「誰が」
「お前がだよ。オビト」
 静かな声に我に返れば、右頬が冷たい。しかし対面するカカシもまた、晒した左目から涙を流していた。
「写輪眼はお前の目だったろう。この目だけ涙するのは、お前が泣いてるからじゃないのか」
 オビトは右目の涙をぬぐった。
「どうして泣いてくれるの」
「お前がかわいそうな奴だからだ」
 かつての友に、かつてのオビトはそう答えた。
「いつもつまらなさそうにしていたくせに、なんでもできるお前がオレは嫌いだった。オレがどんなに頑張っても、リンはオレではなくお前ばかり見る。それなのに、全部くだらないとでも言いそうなお前の高慢な目が嫌いだった」
 涙に塗れた目元をカカシは細めた。
「だがお前は、本当はまじめで、仲間思いで、良い奴だった。少し世界に拗ねてるだけの、オレと変わらないただの生意気なガキだった。いつのまにお前は大人になったんだ。いつのまにそんな目をするようになった」
 フフ、と。戦場に似つかわしくない潜められた笑い声だった。朗らかな、日なたのような。
「いくつもの夜を越えて、大人になれた。オレのあとを必死で追ってくる子どもに、格好悪い背中は見せられなくて。必死で夜を越えてきたんだ」
 涙は、もう落ちることはなかった。
「ありがとう。オレのために泣いてくれて。最後にお前と話ができて良かった」
 だからもう、終わりにしよう。死んでくれ、オビト。
 甘やかな殺意というものを、初めてオビトは体感した。もはやかつての生意気なガキだった面影はカカシにはない。死に場所を求めていた空虚な影もカカシにはない。あるのは生きる希望を胸に抱いて殺意を漲らせる男の影だ。まばゆい光は、それだけそれを求める者にも影を落とす。それでも構わぬと手を伸ばす。その欲望の名を。
 きっとカカシは知ったのだろう。赤く花開く写輪眼は血のように濡れていた。だがその目元は既に乾いている。
 さようなら。かつてのカカシはもういない。神威の空間にふたりきり。だがここに、かつてのオビトも、かつてのカカシもいなかった。もうどこにもいないのだ。どこかで子どもが泣きわめいている。その声も、カカシとオビトが激突する音に掻き消えた。

















2017/9/23
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