inserted by FC2 system








白よりひとつ





 バレンタインのリベンジと言ってカカシが差し出したのは、マグカップに熱々注がれたホットショコラ。滑らかで深い色をツヤツヤの液体を、ナルトはジッと見下ろす。
「リベンジ?」
「そう。あのときはココアだったから、ちゃんとショコラをね」
 ナルトはココアとショコラの違いもよくわかっていないが、カカシが手ずから用意してくれたのだからおいしいというのは決まっている、それだけ分かっていればなんの問題もないような気がした。
「ちょうど、今日はホワイトデイだからね」
 バレンタインのお返しだよ。そう言うカカシに、ナルトは首を傾げる。バレンタインにたらふくチョコを貰ったのはナルトのほうで、対してナルトがくれてやったのはその身ひとつ。おのお返しというのなら、ナルトこそカカシにお返しが必要なのではないか。そしてそのお返しにまたお返しして……。お返しの連続が永遠に続いていくのだろうか。それはちょっと面倒くさいかもしれないな。なにせナルトの年上の恋人は、甲斐性があまりある上にところどころ本気が重い。一年に一回、イベントに乗じるならまだしも、毎月毎回だと大変かもしれない。それはともかく。
 ナルトもなにかお返しをしなくてはいけないな。貰うばかりは性に合わない。そこでピンと思いついたのが、おやつにしようと買っていたお菓子の袋だ。
「先生! ちょっと待ってて」
 そう言ってショコラが冷めないうちにダッシュ。目的のものを鷲掴み、ものの数秒でUターン。カカシ前到着だ。
「どしたの?」
「オレもリベンジ!」
 笑って小袋を前に掲げれば、「リベンジもなにも、お前のプレゼントは完璧だったじゃない」と苦笑するカカシの言を聞かずにナルトは包装を開ける。摘まんだひとつを艶やかなショコラに落とした。
「マシュマロ?」
「そ!」
 指先についた粉を舐めながら、ナルトは柔らかふわふわのマシュマロが徐々に溶けていくさまを目を細めて見つめる。
「カカシ先生も! 自分のマグカップ出して! マシュマロ入れてやるってばよ」
 甘いものが苦手なカカシはお手製ショコラをナルトにしか用意していない。しかしそれではナルトのマシュマロお返しができないので、カカシに自分の分を用意しろとせっつく。
 はいはい。ミルクパンに煮られたショコラ。揃いのマグカップ。特大のマシュマロひとつ。
 ふたりで面と向かって啜れば、麗らかな午後が満ち足りて過ぎていく。カップのショコラが底を尽きるころ、
「マシュマロ好き?」
 カカシは聞いた。ナルトといえば、一に一楽、二にラーメン、三四があんみつ甘いものなら、五には焼き肉、そんな男だ。
「昔、サスケとサクラちゃんとマシュマロ食べたことあって、すっげえうまかったってば。……あっ!」
 カカシ先生、ちょっと待ってて。そう言って慌てて席を立ち、今度は玄関先に消えてしまう。やれやれ、外出してまで今度はなにを持ってくるのやら。せっかくナルトとふたりの休日なのにな。もう少しゆっくり味わってもいいんじゃないの。そうひとりごちて、カカシはナルトに置いてけぼりにされたマグカップを取る。片づけを済ませてしまうためだが、それにしても甘い匂いだ。カカシはカップの縁を舌で舐めた。
「……甘いな」

 ナルトとサスケとサクラでマシュマロ。そのキーワードにはカカシにも覚えがあった。あれはまだ三人が下忍になりたてのころ、ナルトはマシュマロの袋を持って途方に暮れていた。里外から来た人の良い老夫婦がナルトに荷物を運んでもらったお礼にやったマシュマロを、どうしてよいのかわからずに持て余しているのだった。通りかかったサスケがマシュマロを焼けば良いとぶきっちょに誘い、二人は川辺に連れ立つ。それを遠目に見ていたのが他ならぬカカシである。日頃から対抗心を燃やしていがみ合う二人が、ひょんなマシュマロの袋ひとつで友好を深めるなんて微笑ましい。しかしナルトはともかくサスケは自分と同じく甘いものが苦手だろう。ここはひとつサクラでも呼んでこようと、カカシはわざわざ老婆に影分身までした。重い荷物を持ってふらふら歩く老婆に扮して街中でサクラに声をかけさせ、川辺まで誘う。川辺ではうまい火加減で火遁を起すのに難儀しているサスケと、そんなサスケを挑発するナルトで騒がしかった。
「あ! サスケくんにナルト! なにしてるのよー!」
 老婆の荷物を持ちながらサクラが大声を上げると、気付いたナルトはぶんぶんと手を振って大声で言った。
「マシュマロ焼くってば! サクラちゃんもこっちー!」
「あらあら、楽しそうねぇ。私はここでいいから、あなたも混ぜてもらいなさいな」
 カカシが企てた通りの展開にほくそえんでいることを知らずに、サクラはでも……と渋面を作る。カカシはもう一体出し惜しみの影分身を出した。
「ほら、向こうから私の息子が来るわ。もう家も近いのよ。ありがとうねぇ。これはお礼」
 ナルトがマシュマロを貰ったいきさつと同じようになってしまったのは芸がないかもしれないが、もとよりサクラも他二人の子どもたちも疑うことはしないだろう。カカシはビスケットの箱をサクラに託した。
「焼いたマシュマロはねぇ、ビスケットに挟んで食べるととびきりおいしくなるのよ。お友だちと試してごらんなさいな」
 そうして仲よく下忍の三人がマシュマロパーティーに勤しんでいたのを、カカシは遠くから見守っていた。そんなことがあった。

「ただいまー! カカシ先生!」
 ふたつのマグカップを洗っているうちに――つまりそれほど間を置かずして――ナルトは帰ってきた。
「どうしたの。慌てて出て行ったからびっくりしたでしょ」
「いや~、久々に思い出してさ! マシュマロのとびっきりうまい食べ方!」
 そう言って差し出したのはビスケットの箱である。
「マシュマロ焼いてさ、ビスケットに挟むんだぜ。最初に考えた人は天才だよな~」
 先生はマシュマロ焼く係な!
 屈託なく笑うナルトにカカシもつられる。最初に考えた人、か。それをナルトが知ったら驚くかもしれないな。

 戦時中に支給されたビスケットは固く、バターも小麦粉も質が悪いのか味気なかった。それでも野戦食料のなかでは数少ない嗜好品だ。ある日、ミナト先生は自分の受け持つ子どもたちをこっそり呼んだ。
 ――マシュマロのとびっきりおいしい食べ方を教えてあげるね。
 火の扱いには細心の注意を払いながら少し焦げ目のつくまで炙られたマシュマロは熱くとろとろに溶けて、固いビスケットと一緒に食べると優しい味がした。
 どうしてこんなにおいしいやり方を知っているのかと感嘆したオビトが、「先生って天才だな!」と褒めたたえる。世闇にもキラキラと明るい先生は、「オレもね、教えてもらったんだ」と照れくさそうに教えてくれた。それはきっとミナト先生の大事な人で、大事な思い出だったのだろう。
 ――だからね、お前たちも大事な人に教えてあげるんだよ。おいしいものを他の人と共有できるっていうことは、平和への一歩だ。
 それは夜明けになればまた任務で戦争をしなければならない、カカシの胸のしじまにもよく響いた。

「バレンタインのお返しって、またお返しにお返ししなくちゃいけないならキリがねえじゃん? ちょっと面倒くせえって思ったんだけどさ、」
 カカシの焼いたマシュマロをビスケットに挟みながらナルトは言った。
「でも別にお返しだなんだって気負わなくても、おいしいって思うものをカカシ先生と一緒に食えるだけでいいんだな」
 そうだな。カカシは頷きながら、遠い日のこと、わざわざ老婆とその息子に影分身までした自分の在りし日を思い出す。わざわざなんであんなことをしたのか。たしかにかわいい教え子たちの、チームワークのためだと思ってやったことだ。ナルトとサスケの二人だけで、ということに引っかかるものがあったのも否めない。しかしそれだけでは決してなかったはずだ。
 大事なひとから大事なひとへ。そうして受け継がれたものがカカシにはあって、それを自分も大事な子たちに教えてやりたかったのかもしれない。そうしていま、なんてことのないようにナルトが差しだしたものは、カカシにとって眩く光っている。それは長い年月をかけて磨かれた川辺の石のようだ。他愛のないものかもしれない。しかし再び手にした幸福をカカシは思う。
「甘いな」
「そうだな! オレってば夕飯は一楽のラーメンが良いな~」
 カカシ先生と食べる一楽のラーメンがいちばんうまいだなんて、どこでそんな殺し文句を覚えてきたんだろう。ナルトはすっかり大人になってしまって、でもそれはかつてのナルトがいなくなってしまったということではない。「野菜もちゃんと食べなさいね」そう言えば、いまもほら膨れた面をしてしかし子どものころと同じようにナルトは笑うのだ。





白より一つ足し引けば、百代の日々を思い出す













2017/3/11(初出)
inserted by FC2 system