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春がくるまで冬休み





 寒風吹きすさぶ海の街だった。ペラペラのジャケットと毛玉のついたマフラーだけが、いまのナルトにとって頼ることのできる防寒具だ。剥き出しの手のひらが潮風になぶられて痛い。履き古したボロボロのスニーカーはどこかに穴でも空いているのか、凍りついたように足は動かなかった。
 ナルトは海を見ているのではない。この埠頭から、寒さと疲労で動けなくなってしまっているのだ。ここについたばかりのときは、ひもじさが頂点に達して気持ち悪くなっていたが、いまは体温を下げるばかりで空腹すら麻痺している。
 コンクリートの上にいったんしゃがみこんでしまえば、もう動けなかった。痛いばかりの指先や頬も、このままここにいてはいずれ何も感じなくなるだろう。
 そしたら? ナルトは打ち寄す波の際が白く泡立つのを見ながら思考を続けた。取り止めがなくても何かを考え続けていないと、いまにも恐ろしいものに取り憑かれそうで怖かった。マフラーの下、首筋が粟立つ。
 何も感じない。何も考えられない。何もない。そんなときがきたら、それはナルトが死ぬときなのかもしれない。
 何もない人生だった。空っぽはうずまきナルトと同義だ。
 きっとこのまま、寒さで死んでも空腹で死んでも、ナルトの死因はきっと“空っぽだったから”だ。
 つまらない人生だったのかもしれない。
 生まれたときにはすでに両親も親戚縁者すらなく、世話になった養護施設も、春になれば出なければならない。
 ナルトは頭が悪い。奨学金を貰ってこのまま勉強を続ける選択肢もなかった。
 春になったら、施設を出たら、ひとりぼっちで自分はどうするのだろう。
 いまは未来を悲観することしかできなかった。冬空の灰色の海を前にして死ぬのも、春にひとり空っぽのまま生きるのも、そこに違いはないような気がした。
「おーい、少年。生きてるか?」
「ひ、ひんでる……」
「バカ言うな。死体が喋るもんか」
 背後でくつくつと笑う気配に、ナルトは振り向く。見上げた先、曇天の空の下、銀糸の髪は海風に煽られてチカッチカッと小さく瞬いて見えた。マスクで顔半分を覆い、晒された両目の片方には傷がある。柔和に細められた目元と、ゾッとするほど生々しい傷跡。不釣り合いに鎮座するまなこが、ジッとナルトを見ていた。
「迷子?」
 黒いコートに身を包んだ男は、ナルトの目線に合わせるように屈みこむ。近づいた距離に、存外男の端正な顔立ちを知る。
「……帰る家がなくても、迷子って言う?」
 本当のところは“帰りたくない”が正しいのだが、いまさらどんな顔をして帰ればいいのか分からない、帰れるはずがないという思いも混じって、ナルトのなかで養護施設は“帰れない”場所になっていた。
「……帰る家のない子どもを浚っても、誘拐犯になると思うか?」
 男はナルトの質問には答えず、静かに問いかけた。頭上で鳥がやかましく鳴いている。海の鳥といったら、かもめだろうか。こんな寒い海のうえでも、かもめは飛ぶのだろうか。ナルトはかもめを知らないから、その鳥の名前を当てることはできなかった。
 そして男の質問に、答える言葉も持っていない。
 ただ、不穏な雰囲気など一切纏わぬ優男が、その言葉ひとつで、ナルトの危機感を盛大に煽ったのは確かだった。男は自分を、どこかに連れていくのかもしれない。帰るところがないと言ったから、金目当てではないにしても、ナルトを戯れに痛めつけていたぶって、最後には殺してしまうのかもしれなかった。
「……わかんねぇ」
 カラカラに乾いた口のなかで、なんとか答える。それは答えでもなんでもなく、男にとってはつまらないだけの音だったろう。ひゅうひゅうと吹く風、ピイピイと甲高く鳴く鳥、波の寄す音、ナルトの心音。男はにっこりと笑った。
「お前は、なんにも知らないんだねぇ……」
 低く密やかな声は、ナルトの耳に辛うじて届いたぐらいだったので、その言葉を聞きとがめる者は誰もいなかったのと同じだった。もとより灰色の海を前にして、ナルトと男のふたりしか人の影はない。
「立てるか」
 男は身を起すと、ナルトに手を差し伸べた。すでに精も根も尽き果てて行き倒れようとしているところだったので、立ち上がることすらしんどい。しかしそれでも、ナルトは剥きだしの手で男の手を取った。手袋の嵌められていない男の素手。冷え切って感覚もとうにないナルトのものとは違って、大人の骨格の力強い手は、血潮の流れを感じさせるほど熱かった。
 男の手を取ったのは、ナルトだった。男に案内されるまま、その家に上がったのもナルトの意志だった。

「はい。これ飲んだら風呂入れよ。いま沸かすから」
 ストーブの前に連れてこられ、クッションを敷き詰められた特等席に座らさて、ブランケットやら毛布やらをかぶせられた。そのうえ手渡されたのがホットミルク。ナルトの横には、特等席を奪われたにも関わらず優雅に午睡を続けるいっぴきの犬。
 これにはさすがのナルトも呆気にとられた。
 親切が過ぎる、この男はなんなのだろう。ミルクを与えて風呂を沸かして、ナルトに危害を加えるような素振りはかけらもない。
 真っ黒なマグカップに注がれたホットミルクは湯気を立ててナルトの指先を温める。口に含めば、ほのかに甘かった。
 その後追い立てられるように風呂に入れられ、「千数えるまで出てきちゃダメだよ」と言われたが、五百数えたあたりでナルトはいまどこまで数えていたかわからなくなってしまった。途方に暮れていちから数え直す……というのを三回ほど繰り返して、慣れない思考に頭をクラクラさせていると、「お前って正真正銘のバカ」と呆れ顔の男に浴槽から引きずりだされた。
 今度は冷たい水を飲まされて、男の出した服に着替える。下着はわざわざ用意してくれたのか新品で、逆に男のものだと確信できるスエットはぶかぶかすぎてズボンを無理に履いてもずり落ちてしまう。
 体の火照りを冷ましたら、男はテーブルにナルトをつかせ、飯を食えと言う。入浴中に準備していたのか、丼には湯気をもうもうと立てたラーメンが。
「インスタントで悪いんだけどね」
 男は苦笑して言うが、野菜炒めに肉まで入った具沢山の温かいラーメンは、ナルトの目にはご馳走にしか見えなかった。
 箸を持つ手が震える。
 ホットミルクで温められ、風呂で砂埃にまみれた体を清められた体が、ここにきてやっと食欲を思い起こさせた。生きたい、と。
 目の前の男が手を合わせる。
「いただきます」
 そうして向かい合った、おそらく飢えた顔をして震えているだろうナルトの目を覗き込む。
 ナルトは食事の前の挨拶を知っていたが、いまこのときほどその言葉の意味を実感できるときはなかった。ナルトに差し伸べ、ナルトにミルクを与え、ナルトのために風呂を沸かして甲斐甲斐しく焼かれた手。その手が合わさって目の前の湯気の立つ食事を頂くと言う。その光景はナルトの目に焼き付いて、視神経が脳へ到達し、脳はナルトの体中すみずみにまでシグナルを送った。チカチカと、海辺で瞬いた光は心臓の鼓動とともに血液の循環に流れ込み、ナルトの熱を上げる。
「……ぁ、いただきます、ってばよ」
 同じように熱の灯った手と手を合わせ、ナルトは祈るように言った。手の震えは依然として治らなかったが、それでもようよう箸を持ち、ひとくち。
「……泣くほどおいしい?」
 泣くほど心が震える食事というものを、ナルトは生まれて初めてした。

「そういえば、名前を言ってなかったね。はたけカカシ。年は秘密。趣味はいろいろ」
 どんぶりを空にした男が自己紹介する。マスクの下の素顔と名前。家に招かれてから知ることができた個人情報は、このふたつだけだった。
「うずまきナルト。中学三年生! 趣味は……ない、かな?」
 腹もくちくされ、暖かな部屋とそれを提供した本人の甲斐甲斐しさもあり、すっかり男への警戒心はなくなっていた。ナルトへ危害を加えようとするのなら、いくらでも機会があった。しかしカカシはナルトを害さず、反対に凍えきったナルトに必要なものを差し出した。うっかり涙してしまったことにも深く言及せず、穏やかな食事を続けてくれた男に、いったいどうしたら疑心を抱き続けていられただろう。
「カカシさん、ありがとな!」
 それは心からの感謝の言葉だった。
「ナルト。帰るところないんでしょ。ならここにいなよ」
「……えっ」
 突然のカカシの申し出に、びっくりして素っ頓狂な声が出た。今夜泊まる当てもなかったナルトにとって。カカシの提案は魅力がありすぎる。だが、ここまで世話になっておいて、さらに厄介になってしまっていいのだろうか。
「ま! お前が嫌なら無理にとは言わないけど」
 嫌じゃない。むしろ願ったり叶ったりだ。大声でそう言ってしまいたかった。それでもこの期におよんで、本当に嫌じゃないのかがナルトにはわからない。こんなに親切にしてくれた、それで十分なのではないか。これ以上を望んでもいいのだろうか。……自分が。
「わ、かんねぇ」
 小さな声でそれだけを言うしかできなくて、ナルトはわけもわからず恥ずかしくなってしまった。カカシの反応を直視できない。ジッと手元の箸の先を見る。
「分かるのは名前と年だけ?」
 名前しか教えてくれなかった男が言う。それでも、言えないナルトより、言わないだけのカカシのほうがナルトにとってはずっとずっと大人に思えた。
「うん……」
 力なく頷く。帰る場所も、趣味もない。カカシの質問に、答える術がない。そんな自分が。いつまでもこんなところに、ナルトのために温められた部屋に居座ってしまっていいのだろうか。
「それならさ、なおさらお前はここにいなよ。自分じゃわかんないんでしょ? だったらオレが言ったとおりにしたって、悪くはないはずだよね」
「……うん」
 ナルトのために手を尽くしてくれた、この男が言うのならそうかもしれない。ナルトは深く考えもせず頷いた。
「オレが教えてあげるからさ」
 ここにいることを許されて、ナルトはやっと目線をあげることができた。そうして目の前の男の顔を窺う。なにが楽しいのか、カカシはうっそりと笑っていた。

 ふかふかの羽毛布団の重みを堪能していると、寝床まで提供してくれたカカシが「寒くない?」と声をかける。畳に座ったカカシが、手元の布の塊を差し出す。受け取ればズシリと重く、中には鉄製の器がホカホカと熱を発していた。火傷をしないように、布を巻いているのかとナルトは合点する。これはなんだろうと不思議がったナルトの疑問に答えるように、カカシは教えてくれる。
「湯たんぽ入れておきな。夜中は冷えるから。……もう一枚毛布かけようか」
「へーき! あったかすぎて汗かくかも!」
 すでにナルト自身の体温で布団のなかはほかほかと温まっている。これ以上のことをされると、流石に暑くなりそうだった。
「そーお? ……パックンもいらない?」
 カカシの膝横にいる犬は、眠たげなまなこでカカシを見上げている。ナルトがこの家に招待されてからずっと寝ていたというのに、まだ寝足りないようだ。
「いや……、犬を湯たんぽ代わりにするのは悪いってばよ。寝てるあいだに潰しちまいそうだし」
 施設で布団を並べていたときも、寝相が悪すぎると散々文句を言われたナルトは壁側で縮こまるように寝ていた。眠っているときは自覚なんてできないから、自分の寝相がどこまで周囲に悪影響があるのかをナルトは知らない。
「じゃあ寒くて眠れなかったら遠慮なく言ってね。トイレは廊下出て右側突き当たり。オレの部屋は左奥だから」
「うん。カカシ先生ありがとな!」
「なに……、なんで先生?」
 いきなりそう呼ばれて、戸惑う男は訝しげにナルトを見やる。
「だってさっき言っただろ? オレが教えてあげるって。なにかを教えてくれる人は、先生だろ? だからカカシ先生!」
 胸を張って答えたナルトに、カカシは目を眇める。
「ふぅん。そういうのは流石に知ってるのね。はい、じゃあナルトくん。おやすみ」
 おやすみなさい。そうナルトも返そうとした。おやすみの挨拶は知っているからだ。
 しかしそれができなかったのは、カカシの突飛な行動のせいだった。彼はその端正な顔を寄せると、ちゅっと、ナルトの額にその唇をつけた。口元のホクロをナルトが認識できたのは、離れていく男の顔を呆然と見ていたから。
「えっ、なっ……!?」
 言葉を失っておやすみどころじゃないナルトを面白そうに見やって、カカシは立ち上がる。
「良い夢が見られるように、おまじないだよ。知らなかった?」
「し、しんなかった……」
 その夜はおまじないの甲斐もなく、寝付くのに苦労した。


 カカシ先生は知らないことをたくさん教えてくれた。
 例えば、冷えた体に暖かい食事は染み渡るように美味しいということ、熱い湯船に身を横たえれば縮こまった神経がほぐれ気持ち良いのだということ、暖かくした布団ではたやすく安眠できるのだということ。冷え切った手で触るものは、どんなに生温かいものでも皮膚がびっくりして熱く感じられるのだということ。ミルクパンで温められた牛乳の匂い。
 そうやってわざわざ暖かくしてくれるのが、彼の優しさなのだということだ、
 初対面で凍え死にそうになっていたものだから、カカシはとかくに寒暖にこだわる。
 ナルトだけに心を砕いて尽くしてくれているようなカカシの態度に、ナルトはこそばゆい心地がする。
 こんなことには、慣れていない。
 施設にはもちろん大人のひともいたが、数少ない職員はさまざまな問題を抱えている多くの子どもたちへの対応や事務作業等々に追われ、ナルトひとりに関わる時間などないに等しい。
 それが当然だとも思っていた。
 ナルトは両親がいないだけで、特に心身に他人の介助が必要なわけでもなく、これといって勉強ができるわけでもなく、ただ息をしていればよかった。
 冬休みが終わり、春になれば施設を出なければいけない。
 そう施設の大人から言われたとき、ナルトは春から先の想像がまったくできなくて、スッと背筋が裏寒くなった。
 そして、息を吸って吐くという単純なことが、うまくできなくなってしまった。

「ナルト、寒くない?」
「こんだけ膝掛けもクッションもホットミルクもあったら、寒くないってば。先生は?」
 それは何気ない問いかけだった。いつもナルトを気遣って暖かくしてくれる彼こそ寒くはないのだろうか。カカシはタートルネックとジーンズというラフな格好で、ナルトのようにやたらブランケットやらストールだとかをかけているわけではない。
 牛乳の入ったマグを持って、カカシは首を傾げる。
「……ちょっと寒いかな」
「えっ!? だめじゃん先生、オレばっかり! ほら、これ使えって!」
 カカシの渡したふわふわもこもこのブランケットをその広い背中に巻きつける。
「先生はさ、オレのことはすんごいあったかくしてくれるのに、自分のことは全然なんだな」
 頬杖をついたカカシが遠くを見る。
「んー、そうねぇ。ま、オレも自分以外の他人の面倒を見るのが、こんなにタノシイとは思わなかったよ」
「タノシイ? オレといると?」
「そう。お前のことだけ考えていればいいなら、こんなにラクなことはないってこと」
 カカシの言葉は、ナルトにはまだわかりづらい。ただ、ナルトといればタノシくて、ナルトのことをラクだと言う先生が、自分の世話をあまりしないなら、ナルトが代わりにやってあげられたらと思った。カカシがナルトに与えたものに対して、自分が少しでも報いてやれたら。
 それからナルトはちょこちょこカカシにまとわりついては寒くないか腹は減ってないか喉は渇いていないか尋ねた。寒くないよ、まだお腹は空いてない、大丈夫、ありがと。ワクワクしながらカカシに訊いて、カカシはほとんどのナルトの隠れた申し出を断ったが、それでも楽しかった。

「お前ねぇ、造花に水やってどうするの」
 ナルトの朝はコップに注いだ水を、窓辺に置かれた花に少し垂らし、残った分を自分が飲むことで始まる。学校では緑化委員会に属していたナルトは、当番の日の朝はいつもより早く学校に来て花壇に水をやり、放課後は草むしりやら観察やらをしているのだが、その行為を存外自分が好んでいたことに、ここに来てから知った。
 知るという行為は、実際に行動している最中やその直後だけではなく、だいぶあとになってからついてくることもある。それがナルトには不思議だった。
「ぞーか?」
 四日目の朝だった。家主は朝に弱いらしく、早い時間に自然と目が覚めてしまうナルトがこっそり水やりするのも三回目のことである。
「作りものの花。偽物の花のこと。だから水なんかやったってしょうがないよ」
 カカシがナルトの手のひらに造る花と書く。なるほど。簡単な漢字なのに、音だけでは結びつかなかった言葉が、カカシの指先からナルトの手のひらへ、手のひらの神経から身体中を巡って胸に落ちる。
「普通の花じゃないってわかってたんだけどさ、なんか触るとボヤボヤしてっし。でも花が作れるなんて知んなかった! 先生ちにはいろんなものがあるんだな!」
「造花くらいで大袈裟でしょ」
「そっかなぁ。この花なら水やりも必要ないし枯れることもないんだろ? “はいてく”って感じするな!」
 カカシはハイテクノロジーの意味を理解していないだろう子どもの頭を優しく叩いてやる。そしてナルトの目の届かないところで苦く笑った。
「そんなに良いものか? 偽物はしょせん、本物には敵わないっていうのに」

 カカシ先生はオレと目を合わせてよく笑うけど、実際本当に笑っているのかわからない。不思議な大人だった。ぼーっと窓の外を見ている横顔を隠れ見れば、その目は何も写しておらず、ただただ寂しい。
 だからそういうときのナルトは、慎重にカカシを窺ってその距離をはかる。わざと手のかかる子どものようなふりをして、カカシの視線を向けさせるときもあるし、逆に息を潜めて部屋の隅に隠れ、カカシがひとりの時間に没頭できるようにすることもあった。後者を行えば、ナルトの潜めた気配に目ざとく気付いたカカシが「何してんの? 隠れんぼ?」とナルトを引っ張り起こしてしまうので、カカシに世話を焼かれる結果は同じなのだった。
 カカシにあれこれと手をかけさせるのは、申し訳ないと思うこともあるにはあるが、ナルトにとって嬉しいことでもあった。家主が整えた空間で、ナルトは彼の手にかかることで、この場所にいてもいいんだと実感できる。ナルトのために暖かくされた部屋は、自分自身が知らずに願ってやまなかった、幸福の居場所だった。ここでは、安心して呼吸ができる。
 しかしナルトも致命的なバカではなかったので、この時間が永遠に続くわけではないことを知っていた。生まれてこのかたずっと身を寄せていた施設ですら、春になれば出ていかなければならない。そしてナルトのこの逃避行も長くて冬季休暇の終わるまでだ。ここに来て、何日経っただろうか。この家はあまりに静かだから、ナルトはクリスマスも年の瀬もすっかり過ぎてしまったことに気付かなかった。ナルトはどうしようもなく無知で、義務教育も済んでない子どもが何日も家に帰ってこなければどんな騒ぎになるのかなんて考えもつかなかった。たとえナルトが施設を帰るべき家だと思えなくても、社会がナルトの家出を看過するはずがなかったのだ。ナルトは、どうしようもなく子どもだった。
「ナルト。これ、あげる」
 買い出しに出ていたカカシが留守番をしていたナルトに手渡したのは本物の花だった。プラスチックの容器に植わった花は、蕾というどころか既にすっかり開花している。これでは枯れるのを待つばかりであろうに、カカシは笑って言うのだ。
「黄色くてヒラヒラしていて、ナルトみたいでしょ」
 それが指すのは、まちがいなくナルトの髪のことであろう。この国ではあまり見ない色なので、ナルトの頭を見てギョッとする者も多い。そういえば、カカシの髪の色もあまり見ない。美しい銀に輝く毛髪だ。
「冬の海の街なんて、どこもかしこも煙って灰色だからね、お前の髪はキラキラしてるから、迷子になってもすぐに見つけられそうだね」
「オレってば、迷子になんかならねぇよ」
「どうだか」
 カカシはふふんと鼻で笑って、ミルクでも温めようかと言った。小鍋に牛乳を注ぎいれ、粉砂糖を二かけ落とす。珍しい。いつもカカシが飲むときは、ナルトのマグカップにだけ砂糖や蜂蜜を入れるのに。この家にはコーヒーも酒もない。カカシが飲むのはもっぱらホットミルクか白湯か水だ。
「この花、なんていうの? コスモス?」
 学校の花壇で観察したことのある花に似ていた。その花の名を言っても、カカシにはピンとこないようだ。
「さあ? 知らない」
「もう花咲いちまってる。こいつ、先生のとこに置いてもいい? また来年も咲くようにオレが面倒見るからさ」
「だめだよ」
 カカシの答えが間髪入れずナルトの心を突き刺したので、痛みが襲った後にナルトは自らの失言に気がついた。
「オレの家には偽物の花しか置けない。本物の花なんて、こんなところに植えるべきじゃない」
 なんだそれ、と率直に思った。カカシの手元の鍋で、白いミルクは煮立っていた。あれじゃ飲めない。カカシが自分から用意しておいて。
「じゃあなんで、オレに本物をくれたんだよ」
「……」
 カカシは答えなかった。ぐつぐつとミルクは泡立ち膜が弾ける。ぱちんぱちんと。
 答えぬカカシにこれ以上追及する言葉をナルトは持たなかった。ただ手渡された黄色い、薄っぺらな花弁が五枚連なる花を握りしめて、茫然と立っている。
 オレももう、いらないのだろうか。
「カカシ先生、オレ、わかったんだ」
 初めてカカシと出会ったとき、ナルトはわからないものが多すぎて、何を知って、何を知らないのかもわからなかった。カカシの質問にも答えることができず、首を振るだけ。無力だった。なんの意味も見いだせず、それは春になっても夏がすぎて秋がきて、また冬が巡ってきても、変わらずナルトを無意味な人間にありつづけるようで怖かった。そう。ナルトは怖かったのだ。先も見えず、いまも不確かだ。自分はここにいるのだと確信が欲しかった。ここにいてもいいと、胸を張って言える居場所が。
「自分の居場所ってさ、見つけるものじゃない。自分で作るものなんだ」
 カカシの手ずから与えてくれたこの場所は、あたたかかった。カカシがナルトのことを思って作り上げた空間が、いつしかナルトにとっても自分や……カカシにも居心地の良い場所になるようにと心を砕くようになっていた。受け取るばかりだった自分がいつしか、この寂しい人にも温もりを与えたいと思うようになっていた。
「他人に許されてしか居場所がないなんて寂しすぎる。だからオレにはここに来るまで息がうまくできない場所にいた。でも違ったんだ。オレがここにいたいって思う場所を、オレ自身の手で作り出すほうが、ずっと確かだ」
「他人に……。お前にしては賢いことを言うな」
「うん。でさ」
「でも、もうすっかり手遅れだな」
「え?」
 ピンポーン。ふたりの凍りついた時間を見計らったような、インターフォンの呼び出し音。カカシの家へ来てから、ナルトはその音を初めて聞いた。
 俯いていたカカシは、まるで初めから予感していたみたいに動じることなく、ゆっくりと玄関へと向かう。
「ナルト、お前の迎えが来たみたいだから、用意しなさい」
「え?」
 意味が分からず呆けるナルトをよそに、カカシは玄関に向かい夜の訪問客を迎え入れる。入ってきたのは、
「イルカ先生!?」
「こらぁ、ナルト!!!!!」
 割れんばかりの怒声とともに入ってきたのは、施設の職員のひとりであるうみのイルカであった。
 他人の家ということも構わずズカズカ入ってきたイルカがナルトの目の前に来ると、その気迫に思わず殴られる!と体を竦ませてしまう。しかしナルトの予期した衝撃は訪れず、代わりに与えられたのは温もりだった。
「心配させやがって! このバカ!」
 ギュッと、キツく抱き込まれて、耳元で叫ばれた言葉にナルトは頭が真っ白になる。この温かさは知っている。ナルトの身を案じてくれている、その心の温かさだ。
「だいたいなにが『実家に帰らせていただきます』だ! お前がどこに行ったのか全く分からなくて、こっちは西に東に探し回ったんだぞ!」
 カカシの家のある海岸沿いの街は北の土地であったので、イルカが探しきれないのも無理はないなとナルトは考えた。そもそも、イルカがこんなに自分を心配してその行方を捜しているとは知らなかった。ナルトがどこに行ったのか全く分からなかったとイルカは言った。その通りだ。ナルトに実家などない。施設を出れば、そこ以外にナルトの居場所などないのだ。ないはずだったのに。
「海はさ、母なる海って言うんだろ? だから海見に行こうとしたらさ、小遣いもなくなっちまって、行き倒れていたところをカカシ先生に、」
「カカシ先生?」
 素っ頓狂な声を出したイルカは顔をあげた。見上げるその顔は目元や鼻が真っ赤だ。もしかしなくても、泣かせてしまったのかもしれない。
「うん。カカシ先生が、ずっと世話してくれて……」
「ずっと?」
「十日間ぐらいですかねぇ……」
 両の手でナルトの肩を掴んだまま、イルカが不審もあらわに背後のカカシを振り返るのを、ナルトは不思議に思った。
「十日も!? すぐに捜索の届け出は出したんです! なぜすぐに連絡しなかったのですか!?」
 キツく握られたイルカの手から緊張と憤りが伝わってくるようだ。捜索の届け出という単語にも、ナルトの頭は追いつかなかった。どうやら、ナルトの意図しないうちに事態は大ごとになっていたらしい。誰も自分のことなど気にかけない、むしろいなくなったのならいなくなったで、無駄に手をかける子どもがひとり減って楽になるだろう。それぐらいのことしか考えられなかった。しかしこの社会で、子どもひとり人知れず消えるのは容易に見逃されるわけもない。それは裏を返せば、子どもひとりでも疎かにせず守ろうとする、この社会の良心なのだった。イルカの心配も社会の仕組みも分からない。ただカカシの与えたものを享受してなにも考えようとしなかったナルトは、どこまでも幼稚で愚かだった。
 いま、その報いをなぜかカカシが受けようとしている。イルカの詰問は、ナルトにとってそういうことになる。
「イルカ先生、違う! オレが言わなかったんだ。どこから来たのかってことも、帰る家があったってことも」
 愚かだったナルトの責はナルトが負うもので、カカシのものではない。だがそれを訴えようにも、イルカの目は厳しかった。
「ナルト、お前は黙ってろ。……仮に、ナルトがなにも言わなかったにしても、警察なりに相談するのが筋ってもんじゃないですか。あなたは社会人としての責務をいままで放棄していたとしか思えません」
 カカシは猫背気味の姿勢で立っている。困ったように笑うと、「そうですねぇ……」首の裏をかきながら同意までしてみせた。目を剥いたのはナルトだけでなくイルカも同じだ。 「あなたの返答次第では、私はあなたを誘拐犯として……」
「誘拐犯!?」
 さらに緊迫したイルカの口から飛び出した言葉に、ナルトは飛び上がった。あんなにナルトのために優しくしてくれたカカシを、誘拐犯などと呼ばれて黙っていられるはずがない。
「違うってば! カカシ先生は誘拐犯じゃなくて、愉快犯!」
 しかしナルトの考えなしの言葉などなんの助けにもならないだろう。あまりに突拍子のない言葉に、イルカとカカシの間にあった張りつめた空気が脆く崩れはしたが。いまが好機だ、空気なんて読んでいられないとナルトは矢継ぎ早に訴える。
「そりゃ確かに、最初は黒ずくめのかっこしてたしマスクで顔半分も見えなかったしですっげぇうさんくさくて、それで変なこと言うからオレってばこのままついてったら殺されちまうのかなとも思ったけど! 全然違くて! カカシ先生はオレのために牛乳あっためてくれた! 砂糖や蜂蜜も入れてくれたし、飯もうまくて、すごいうまくて……! で、沸かした風呂にいちばんに入れてくれたし、布団もいっぱい毛布とか、湯たんぽとか、オレのためにくれた! オレの世話焼くのが愉快でたまらないんだって! 先生のほうが寒そうなかっこしてるのにさ、いっつもオレに『寒くないか?』って訊くんだ! オレってばそれが嬉しくて……。そんなの初めてでっ。だからっ、カカシ先生は悪い人なんかじゃねぇ!」
 鼻の奥がツンとする。こみ上げるままに訴えれば、支離滅裂な言葉は止めどなく溢れてくる。
「なに泣いてんの」
 カカシ先生の指がナルトのまなじりに触れる。苦笑交じりでナルトを見下ろすカカシは、こんなときでも飄々としている。自分ばかりが泣いてしまって腹立たしいのと、変わらず穏やかなカカシの態度に安堵してしまっている自分がいる。
「な、いて、ねーよ!」
 ぐすっと鳴らしてしまった鼻がうらめしい。カカシの指先をすこしばかり濡らしたものなど、カカシ自身の手汗だと言い張りたかった。
「お前、誘拐犯と愉快犯の違いなんてわかって言ったのか?」
 そんなこともわからないと、カカシに思われていても仕方がない。だって会ったばかりのナルトは、なんにも知らなかった。だがいまは。
「わかってる! 先生はオレのこと浚ったんじゃない。保護してくれたんだろ!」
 たとえ警察への連絡を怠ったからといってなんだと言うのだ。もしカカシが、常識のままに警察へナルトを預けていたら、ナルトはきっとなにも知らないままに年を越し、春を迎え、ずっと無知のまま生きていくことになっただろう。カカシは自分で言ったくせに結局なにも教えてくれなかったが、ナルトはちゃんとカカシから教わっていたのだ。
「守ってくれてありがとう!」
 孤立し、無知で愚かなまま生きることの意味もわからず行き倒れそうになっていた、うずまきナルトを保護し、慈しみ、その意味をナルトに気付かせてくれたのは、他でもないこのひとだった。
「もう、大丈夫だから!」
「そうか……」
 カカシは天を仰ぐ。両の掌をくちもとに持っていき、腹の底から重たい息を吐きだした。
「もう、オレは用無しか」
「ちっげーよ! なんでそうなるんだよ!」
 そのまま脱力して床に座り込んでしまったカカシはとんちんかんなことを言う。大の男が、そうやって項垂れてしまうと哀愁が凄まじい。まったくナルトの言いたいことが伝わっていない。カカシの様子にもその事実にも、ナルトは度肝を抜かされてしまう。いったいいつから、そんな話になっていたのだ。だいたい、
「いるとかいらないとか、そういうんじゃないだろ!」
「あー、ナルト、」
 すっかり頭に血の上ったナルトに、イルカの声が割り込む。
「わかった。いや、正直まだよくわからないが、この人はお前にだいぶ良くしてくれたんだろう。……はたけさん、さきほどは失礼なことを言ってすみませんでした」
 頭を下げたイルカに、カカシは遠い目をして見上げる。
「いえ。あなたの不審も当然ですし、こいつをちゃんと心配してくれる大人がいたことにオレも安心しました」
 その言葉に含まされた棘。カカシは拗ねているのかも知れなかった。でなければやつあたりのようなことをわざわざ言う必要もないはずだ。
「……。ナルト。オレは外で待ってるから、ちゃんとはたけさんと話をしなさい」
 それから帰ろうと。イルカは言う。そうだ。もう冬休みも終わる。そしたらナルトは学業を修めて、義務教育を終え、春を迎えなければならない。ナルトがカカシから貰った花を、次の冬にもまたここで咲かせることはできないのだ。
「……うん」
 本当に?
 そんなのは嫌だと思った。たとえ子どものわがままだと言われても、カカシとのあたたかい日々を失いたくない。
 居場所は自分で作るもの。ついさっき言った言葉が、胸に深々と突き刺さる。言葉は体を串刺しにし、ナルトの裡の芯となった。舌の根も乾かぬうちに、自分の言葉を蔑ろにしてたまるものか。なにも知らなかったナルトがやっと自分で考え出した。だからここで、カカシとの関係をなあなあのまま終わらせることはできない。
 扉の奥に消えるイルカの背を見送らず、ナルトはカカシを見下ろした。
「オレさ、今度はオレがさ、オレにとってもカカシ先生にとってもあったかい場所を作るよ。さっき言ったろ、自分の居場所は自分で作るって。オレはオレの居場所に、カカシ先生もいてくれたらいい。オレの作った場所が、カカシ先生もいたいって思ってくれたらいい!」
 蹲って両手で顔を覆っていたカカシは、手のひらに息を吐く。この人はため息を吐き出してばかりだ。そんなことでは気が滅入るばかりだろうに。まるで自分自身が、楽しいと思ってはいけないみたいに。
 でも確かにこの人はいつか、オレといるとタノシイともラクだとも言っていたのだ。そのときの、カカシの顔を思い出す。
(あ……)
 いまならわかる。彼は苦しそうに微笑んでいた。ナルトは知っていた。息のうまくできなくなるときを。どうしてあのときは気付かなかったのだろう。ナルトの理解はいつもうんと遅れてからやってくるのだ。それを後悔する暇などないと、ナルトは直感した。
「先生、ずっと寒かったのか」
 寒くて寒くて震えていた、この大人を。ナルトは視界が開けた心地で見た。ずっと優しいばかりだった、穏やかな雰囲気に隠されていた内奥を、今度こそ目を凝らして見る。
「先生のほうこそ、オレのことなんか最初からいらなかったんだろ」
 丸くなった背中。あんなに大きく思えたのに、いまは自分よりずっと小さく、いとけないもののように写る。膝を抱えた手の先は、小さく震えている。彼の服はいつも決まって真っ黒だから、手先の白さは際立ち、その動揺を隠せない。
「オレの世話して、オレのことだけ考えていたらラクだった? それって、自分のことはしなくていいから楽だったってことだろ。ずっと先生は、自分から逃げていたくて、それでオレのことばかりだったんだ」
 だからあのとき、行き倒れていたバカな子どもだったら、きっとこのひとは誰でも良かったのかもしれない。自分のことを蔑ろにできる言い訳になるのなら、うずまきナルトでなくても良かったんだ。
 寂しくて悲しくて、ひたすら寒い。
 それに気付けば、腹立たしい。カッカッカッカッと腹から熱がわき上がる。
「もうオレ、大丈夫だから。だから今度は先生の番だ」
 このひとの孤独を、ずっと無視していた自分に腹が立つ。ナルトのことばかりせっせとあっためて、自分の震えを隠していたカカシにも腹が立つ。
 だから今度はナルトの番なのだ。このひとに火を灯すのは。
「オレが先生をあったかくしてやる!」
 胸を張って宣言する。この胸に火をつけたのはカカシなのだから、それがなによりナルトの自信になっていた。
「すごいな。ナルト」
 顔を上げたカカシに目線を合わせるように、ナルトは膝をつき冷え切った男の頬に手のひらを寄せる。するりと、自らナルトの手に撫でられにいったカカシは、ついに口を開いた。
 それは、彼の凍てついた懺悔の記憶。
「オレはね、」
 高校三年生の冬休み、大学受験を控えた大事な時期に、幼馴染の親友と大喧嘩した。あいつが、バカなりに努力しているのなんて知ってた。知ってたから、オレやもうひとりの幼馴染と同じ大学に行きたいなんて高望みせずに、中堅の大学を受ければいいんだって。そっちのほうがよっぽど現実的だろ。勉強なんか大嫌いなくせに、必死に机にかじりつくくらい頑張っているならわざわざ落ちにいくこともないだろって。ついに言っちゃったんだよね。あいつ本人に向かって。オレも、父親が高名な学者でな。そのプレッシャーもあった。どっちも切羽詰まっていたし、オレもあいつも根が頑固で負けず嫌いだから、売り言葉に買い言葉で、最後にはひどいことを、とてもひどいことを言った。いまでも覚えているよ。喧嘩別れしたその夜は、雪が降っていたんだ。積もらずに溶けていく雪のせいで靴をビシャビシャにしながら、ひとりで逃げるように走って帰った。十二月の未明、冷え込みは激しくて街は氷づいた。……あいつが凍った階段を踏み外して、死んだのはそんな朝だったよ。遅刻魔で、いつもあいつは走ってくるんだ。その日、三人で待ち合わせた図書館で、あいつだけが来なかった。あいつの鞄にね、合格祈願のお守りがみっつ入っていたって知ったのは、その日の夕方だったかな。いったいいつ買ったんだろうね。あいつが遅れてくるたびに、オレが怒るから、その日もあいつは走ったんだろうな。凍った地面の上も気にせず。自分と、幼馴染と、オレのお守りを持って。……試験は受けなかった。それから、あっちにふらふら、こっちにふらふらして、オレのなかでは、ずっとあの冬休みの日のまま時が止まっていたんだ。
「でも、」
 ナルトの体温を求めるように、頬を埋める。カカシの吐いた息は湿っぽくて、熱かった。
「お前が溶かしちゃったねぇ。知ってる、ナルト? 雪が溶けたら春がくるんだよ」
 お前は、あったかいね。
 いつのまにか決壊した涙が、止まらずに頬を濡らしていた。カカシの溶けた日々のように滂沱の奔流となって顎から滴り落ちた雫は、ナルトの膝先に水たまりを作る。
「やっとあいつの墓前であのときのことを謝れそうだよ」
「うん」
「ここからは遠いんだよね。でもまた、戻ってくるからさ、」
「うんっ」
「そしたら。オレも自分の居場所ってやつ、作ろうかな」
「うん……!」
「お前の隣に作ってもいい?」
 たまらず、ナルトはカカシに抱き着いた。丸くなった背中に手をまわして叫ぶ。
「おう! 先生がずっといたいって思うぐらい! 隣のカカシ先生にもあったかさが伝わるぐらい! すっげぇ快適な場所! オレも作る!」
「うん。そうだな。それで今日あげた花も、ちゃんと植えてやろうな。そしたらきっと毎年ふたりで見れるよ」
「うん!」
 だからそれまで、お別れだ。冬休みは終わり、春が来るまでに、ナルトにはナルトの、カカシにはカカシのやるべきことがある。
 元気で。ちゃんとあったかくするんだよ。
 最後までナルトの心配をするカカシに笑い、ナルトはイルカとともに施設へ帰った。カカシから貰った花を、大切に携えて。
「ナルト、その花はなんだ?」
 帰り道、イルカは尋ねた。ナルトはその花を見ながら、顔をにやけるのが抑えられない。カカシがくれた、本物の花。
「わかんねぇだよなあ。買った本人なんか、名前も見ずにオレに似てるからって買ってきたんだぜ!」
「……。コスモスに似てるな」
「コスモスって冬にも咲くの?」
「冬に咲くコスモスなんじゃないか? 植物図鑑が本棚にあったはずだから、帰ったら調べてみるか」
「うん! そんなのあったんだな。オレ、ずっとあそこにいたのに知らないことばっかりだ」
「……これから知っていけばいいさ。人生は長いんだ」
 そう言ってイルカは、ナルトの背中を叩いた。





 春の木漏れ日が差す。葉の囁きに混じって、話し声が聞こえる。柔らかな男の低い声と、上擦った少年の声。
 ……ちゃんとあったかくしてた?
 汗かくぐらいあったかくした!
 でもさ、あったかいの分け合う奴がいなきゃ、自分ひとりがあったかくしても、胸んとこが寒いんだな。
 先生はさ、寒くなかった?
 ……お前がいなくて、凍え死にそうだったよ。
 じゃあいっぱいあっためないとな!
 ……なぁ、先生。きっと寂しいってこういうことだったんだってわかったよ。そんでさ、もう寂しくないんだ、オレってば。
 でもまた寒くなったら、そんときは先生をオレがあっためて、先生はオレをあっためてな。
 
 麗らかな日差しに金の髪がチカっと輝く。カカシは目を細めて、その幼い少年の横顔を見つめた。
 生きているかぎり、しあわせになる努力を諦めない。ナルトの隣にいると、その勇気が湧いてくる。しあわになってもいいのだと。この子が教えてくれた。だから、
「あぁ。約束するよ。今度はちゃんと。もう一度、ね」

















2017/1/13
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