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ふたりの宿題





「冬休みの宿題ぃ!?」
 冬空は雲も薄く清々しい青を呈していた。朝の静かな時間帯に、ナルトの素っ頓狂な声はよく響く。
「なんでオレがそんなこと……、そもそも忍に冬休みなんかねーってばよ!」
 ぶうぶう文句を垂れる不満たっぷりなほっぺたは、リスが木の実を頬袋に溜めこんだみたいに丸く、やわらかく、……幼い。
「まぁ、そうなんだけどな。このまえイルカ先生にアカデミーのときの夏休みの宿題を見せてもらってな、よくアカデミーを卒業できたもんだと驚いたよ」
「卒業試験は分身の術だったし、それにオレってばちゃんとイルカ先生に認めてもらってこの額当て貰ったんだからな!」
 朝の身支度を終えているナルトの額に掲げられた木の葉のマーク。それをナルトは指差した。
「もちろん知ってるよ。だが、あの宿題を目にしたからには、そのままでもいかんでしょーよ。お前だけの特別な課題だぞ」
 特別という言葉に、ナルトはあからさまに反応した。
「……特別って、なに」
 勉強なんて絶対嫌だと顔にでかでかと書いておきながら、サスケやサクラを差し置いての特別な課題。好奇心にナルトは耳をそばたてて、それでも意地だろう、声だけは強情っぱりに平静を装おうとする。
「ん? 日記」
 わざわざ目線を合わせてからにっこり笑って答えてやれば、うげえとナルトは大仰に嫌がった。

「ナルト。『たのしかった』だけじゃダメでしょ。何がどう楽しかったのか、ちゃんと言葉にしないと」
 冬は日が落ちるのが早い。世闇に覆われた里を、家の光がぼんやりと照らしている。隙間風の入り込むナルトの家で、その机に広げられたノートをカカシは指差した。
「え〜そんなの、書かなくたっていいじゃん。今日がたのしかったって分かればさ」
「だからそれだけじゃダメだって言ってるでしょ。言葉にするのが大切なの」
「なんで?」
 握りしめた鉛筆の先は鋭い。ナルトは意味もなくノートにぐるぐると渦を描いて、芯を削っていた。
「たとえば、言葉にするってことは自覚するってことだ」
「自覚?」
「そう、お前が一楽のラーメンがうまいって言うだろ。それはお前が、カップラーメンじゃんくて一楽の、テウチさんの作ったラーメンがうまいことを知ってるからだ」
「うんうん?」
「言葉を知ってるっていうのは、その言葉の指すものを知ってなくちゃならない。で、こうやって今日の楽しかったことを日記に書くのはな、それをちゃんとお前が知っておくため。知って、覚えていて、忘れないため」
 ナルトは向かいのカカシを見ている。落書きしていた手は止まって、いまはカカシの言葉を聞こうとしていた。
「そうやって積み重ねて、経験していくんだよ。だから今日のこと、ちゃんと思い出してみろ」
 ナルトには、カカシの言葉はまだ難しくて分からない。だが、今日一日のことを振り返るのは、できそうな気がした。
「今日は……朝起きて、飯食って、着替えたら先生が来て、それで冬休みの宿題しろって言われて、それで先生と買い物した! 宿題用のノート買って、あとは年末年始はお店閉まっちゃうから、買いだめもしておこうって。先生と一緒だと、いっぱい買い物できてすごいのな! それでさ、それでさ! 冷蔵庫いっぱいになっちまって、こんなに買う必要ないだろって言ったら、先生が『おせち』作ってくれるって! で、年が明けたら一緒に食うって約束した!」
 今日の出来事を指折り数えて辿っていくナルトの顔はだんだんと明るく晴れやかになっていった。年明けの約束ができたことが嬉しいのだろう。頬は赤く上気して、いまから年明けが楽しみでしょうがないといわんばかりだ。
「そうだな。で、ナルトの楽しいって思ったのは、そのなかでどれのことだ?」
 小さい子どもに、年端もいかない子どもを相手にするみたいに、カカシは努めて穏やかに、ゆっくりとナルトの言葉を促した。
「えっと、えっと……先生と買いものしたことかな! あんなに袋がパンパンになってさ、入りきれねえって思ったのに、先生といっしょに両手に袋持って帰った!」
 ナルトの目は興奮にキラキラと輝いていた。夕暮れの木の葉通り、ふたつの影には両手それぞれに丸い袋をさげていた。寒い風に吹かれながらも、ナルトは寒さなんて感じないほどはしゃいでいたのを思い返す。
「ほら、今の言葉を忘れないうちに書いてみろ」
 そのときナルトのへたくそな字でたどたどしく書かれた「きょうはカカシせんせえとかいものに行ってたのしかった」の文。カカシはせんせえの「え」を「い」に直しながらも、ノートに大きな花丸を描いたのだった。

 カカシの花丸が十個ほどたまったころ、ナルトは興奮した様子で告げた。
「あのさ、あのさ! カカシ先生が言ってた言葉にするってこと、オレもちょっと分かってきたってばよ!」
 その日のナルトの姿はぼろぼろで、土埃にまみれていた。さきほどまでひとりで修業していたからだ。
「今日さ、ひとりで手裏剣投げてて、でも全然当たらなくて、オレってばやめちまったの。でもさ、このままやめちまうの悔しいじゃんか。だからさ、『当たるまでやる』って言ったらさ、本当に当たるまで頑張れたんだってば! それでな、サクラちゃんに『かわいい』って言ったら、サクラちゃん変な顔したけど優しくてな、やっぱりかわいかったし、さっきサスケにも『絶対負けねえ』って言ってきたらから、きっと明日は勝つってばよ!」
 無邪気に語る子どもの姿に、カカシは覆面の下で苦笑した。カカシの言っていた自覚と経験については、まだナルトが実感するには早いのだろう。
「そう。よかったね」
「おう。それでな、オレさ、カカシ先生のこと、大好きだってば! ほら、いま言ったから、もっと好きになった! あ、また言ったからもっと好きになってきたってばよ! カカシ先生はすごいな!」
 ナルトは小さな手のひらをぎゅっと握りしめて、拙い好意をカカシに差し出す。
「ふふ。ありがとね」
 そう言ってカカシは、薄く笑った。



 拝啓。うずまきナルトさま。また冬がめぐってきました。風の子のようなあなたですから、寒さにも負けず、ご健勝のことと存じます。ええ、存じ上げておりますとも。ずっとあなたのお傍にあって、あなたを見守ってきたわたしですから。今日筆を執ったのは、あなたに私の言葉をお送りしたい思ったからです。あなたはもう覚えてないことかと思われますが、あなたがまだ幼く、言葉も満足に知らなかった頃、わたしがあなたに、あなただけに特別だと言って、冬休みの宿題を課しました。その何日か前に、私は奇しくもあなたのアカデミー時代の作文を拝見する機会に恵まれたのです。たったひとこと「つまらなかった」と書かれ、あとは白紙で出されたその宿題を見たとき、私は胸が潰される思いでした。あなたはご存じないでしょうが、「つまらない」とは「詰まらない」と書きます。器になにも詰まっていない状態、それが退屈だという意味に転じてできたことばです。あなたに、ほかならぬあなたの器に「何も入っていない」などと、誰がそんなことを言えるというのでしょうか。あなた自身が「つまらない」と言うなどと、どうしてそんなことがありますでしょうか。あなたの器に、多くの、たくさんのものが入っていることを、私は存じております。だが、誰もあなたにそれを教える者はいなかったのだ、それは私を含めて、そう気付いたとき、いても経ってもいられなくて、私は咄嗟に「冬休みの宿題」などとのたまったのです。けれど私の浅知恵などはなから不要だったのでしょう。あなたは大地に水が染みこむように、いろんなものを学んでいかれました。それでも、あなたの口から出た言葉は、私にとって宝ものだったのです。私の命は、あなたがいなければ何度も潰えていたでしょう。いつしか、あなたの豊かな土壌のために、私の命が養分になるのならそれが本望だと思って生きていました。あなたや、あなたの仲間たちを見て私が言った「大好きだ」という気持ちに、うそいつわりはありません。ありませんでした。けれど、こうして自分の気持ちをしたためていると、いかに私が私自身を欺いていたのかを痛感します。ずっと私には、あなただけを特別にお慕いしておりました。あなたのために死にたかった。その言葉をいまは撤回させていただきたく思います。あなたの土壌に種をまき、やがて芽をだし葉を伸ばし、やがて大木になるまで、わたしはあなたと共に生きたい。それが私の本心なのです。もしあなたさえ宜しければ、またあの日のように、私にお言葉をくざさればと、そうしましたら私は、

「カカシ先生は、なんだってばよ?」
 青年が手にした手紙は、途中で終わっている。
「書いてて、わかんなくなっちゃねぇ」
 カカシは苦く笑う。
「なんだってばよそれ! これも、つまりどういうことなんだってばよ! もっとシンプルに言ってくれよ先生!」
 少年は逞しく成長したのに、ムキになる姿はいまだ幼い。
「でもねぇ、お前への気持ちをひとことに表すには、複雑すぎるんだよ……」
 まだ幼い面影を残しながらも、ひとりの男であるのだと。
「じゃあ今度は、オレが先生に教えてやるよ」
 情けなくも震えていた両手を力強く握りしめられて、カカシは思わざるをえない。
「……あぁ、じゃあ頼むな」
「任せろってば」
 ナルトの手のひらは力強く、そして熱かった。

















2016/12/10
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