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35歳と40歳





 玄関を開けたら待ち構えていた弟にセックスを強要された。疲れた体に何たる仕打ちだろう。そりゃあ今抱えている仕事に打ち込みすぎてここ一か月はご無沙汰だったし、今日は花の金曜日。彼の限界値はじりじりと下がっていく一方だったし、逆に今日に向けて期待値はどんどん上がっていったわけだ。寝食を共にしているので、リヴァイに寂しい思いをさせていることはよくよく理解していたつもりだった。リヴァイが血の繋がった兄を溺愛しているのなんて、この期に及んで疑う余地もない。まぎれもない事実であることを、エレンは骨の髄まで思い知っていたのだから。それでも最後に認識を見誤ったのは間違いなく自分だった。
 エレンにとっては、ちょっといつもより帰りが遅くなっただけ。エレンが中心となって進めているプロジェクトの、最終確認を終えるのが今日だった。それはリヴァイにも前もって伝えている。今日まで我慢しろと言ったのもエレン自身だった。
 ここで問題を見過ごしてしまえば、後からの修正は困難を極めるだろう。だからエレンとしては納得いくまで向き合っていたかったのだ。すべての懸念事項をとことんまでチェックし終えて、一息ついた。ふと時計を確認すれば定時も過ぎて久しく。慌てて会社を飛び出し電車に飛び乗り、揺られること数十分。駆け込んだ先の玄関で、首を長くして待っていた弟の忍耐は既に限界を超えてこれまた久しかった。携帯の充電が切れていたことは本当に失態だった。連絡がつかない焦燥に焼かれに焼かれて待っ黒焦げなリヴァイは、簡単に言うと堪忍袋の緒を切った状態で、情熱的に俺を出迎えてくれたのだ。つまり彼にとって、今日が我慢解禁日だったのだろうなと、エレンは押し倒されてやっと理解したのだった。
 何というデジェ・ビュだ。同じような勘違いを以前も十何年としていた気がする。
 しかし回顧する暇など心優しいリヴァイが与えてくれるはずもない。ベッドに行く時間を許してくれただけでも僥倖だ。
 シャツを剥ぎ取る寸暇も惜しいのか。はだけられただけのシャツは、一日の労働を終えた匂いが色濃い。エレンの胸にしゃぶりつくのに夢中なリヴァイは匂いにまで気が回らないのかもしれないが、乳首に吸い付かれる快感に喘ぐか、それとも加齢臭を気にするかしか、エレンにできることは残されていなかった。なら後者をとりたい。ろくに連絡もよこさず遅れて帰ってきたのは自分なのだから、そもそも長い間リヴァイを寂しがらせたのは自分なのだから、リヴァイの好きなようにさせてやりたいとエレンは思う。彼が今すぐセックスしたいと言うのなら、疲れた体だって明け渡してやろうというものだ。しかし、なら渡す前に綺麗にしておきたいというのも人の心の常だろう。せめて風呂には入りたかった。おかえりの熱烈のキスのうちに、なんだか何も考えられなくなってしまって、ベッドに運んでくれるリヴァイがとても優しく思えたのだが。あれはただ単にエレンが逃げ出さないようにするためだったのだろうか。確かにあともう少し理性が働いていれば、ご飯もお風呂も後回しにしてリヴァイを選ぶことなんてしなかった。
「エレン……」
 さんざん胸をしゃぶりつくしたリヴァイがエレンの首元に顔を埋めるので、エレンは羞恥と惨めさで泣きたくなった。切なそうに己の名前を呼んだ弟が、存在を確かめるようにすんすんと鼻を鳴らして匂いを嗅ぐのだ。そんな今まさに気になっていた加齢臭が強く香っているであろう首なんかを!
「嫌だ止めて」という意味の「や、」を言いかけたところで、慌てて息を吸い込んで何とか発声を阻止した。リヴァイは、何十年も実の兄に執着し続けたこの弟は、エレンの拒絶の言葉にとことん弱い。確かにこの関係を許容できないでいた頃は、エレンはがむしゃらにリヴァイを拒んでいた。エレンが無頓着に吐き出した言葉は、リヴァイを確実に傷つけたことだろう。そうして彼はすっかり傷だらけになってしまった。どんなに今のエレンの言葉を重ねても癒えないのではないかというほどに、リヴァイの傷は深い。あの頃、何十回、何百回繰り返した拒絶の言葉。きっと今ではもう一回も耐えることはできないだろう。
 だからエレンは、弟に面して口を開くとき、少しだけ緊張する。元来きめ細やかな気遣いができる性質(たち)ではない。寧ろ「鈍感」だとか「がさつ」だという形容を、何度されてきたことか。エレンにとって何気ない軽口でも、それを向けられた人間にとってはそれだけで済まされないこともある。エレンが一番慎重にならなければいけないのは、今までさんざんそうやって失敗してしまい、もはや修復不可能なまでにブロークンなハートを抱えるリヴァイに対してのみだった。何たる時限爆弾だ。その被害をそれこそ身を以て知っているので、エレンはことさらこの手の発言には気を付けなければいけなかった。
 身も心も溶けてぐちゃぐちゃになるようなリヴァイとのセックスは、もちろん頭の中だってどろどろで、理性だってちっとも役に立たないのに、それでも『言ってはいけない言葉』があるので、とても神経を使う。何もかも晒さないと満足しないくせに、明け透けに拒むのはタブーだ。リヴァイの手に翻弄されながら、いつもエレンは口に出せるものを考えすぎて途方に暮れてしまう。あまりに熟考すると、それはそれでリヴァイに「集中してない」と指摘されて、責め苦が酷くなるので厄介だった。
「っ、にお、い……か、がれるのっ、恥ずかしい……」
 結局エレンが口にできるのはそんなことぐらいで、「だからやめてほしい」までは言えない。リヴァイに察してもらうしかないのだが、賢いリヴァイはエレンの言わんとすることを十分に察したうえで、わざとエレンの脇の窪みへと強く鼻を押し付ける。
「ひぃっ! あっ、い、あっ!」
 やだぁ! と泣き叫びそうになるのを必死で抑える。食いしばった歯の隙間から、フーッ、フーッ! と獣のような息が漏れた。どうして? なんで? という疑問は湧かなかった。それこそ長く濃密な時間をかけて、リヴァイの性的嗜好を身に染みて学んでいたので。それでも悲しいかな、エレンは結局彼を喜ばせる言葉しか言えなかったのだ。
(これって愛だよなぁ……)
 自分が恥ずかしくて死にそうになるのを分かっていて、リヴァイを満足させる言葉を与える。リヴァイを安心させたいと思う。その気持ちに偽りはないのだから、やっぱりこれが愛情ってやつなんだなと、エレンは胸を撫で下ろす。いつもどこかでリヴァイへの気持ちが、家族愛なのか性愛なのか判断がつかず、心苦しく思っていた。
「エレンの匂いが好きだ……エレンが、好きだ」
 いつでもエレンを求めるリヴァイ。ぺろぺろと脇を舐められて、本当に勘弁してくれよと思うのに、彼の必死さにはいつも絆されてしまう。そして最近では、歪な愛情表現しかできないリヴァイをかわいらしくさえ思えてしまうのだった。愛しいという気持ちで、どんどん胸が高まっていく。心臓が痛い。
「うん、俺もっ……! おれも、リヴァイが、すきっ……!」
 頭を抱え込むように抱きしめると、その逞しい肩がビクリと震えたのが分かった。でもそれが驚いてなのか、嬉しくて、なのかはたまた戦いてなのか、エレンには分からない。エレンの胸を温かく濡らすこの男の胸中を、エレンが全部理解する日はきっと来ない。
「言って、リヴァイ……! 俺に教えてっ……」
 だから何回も言ってほしい。いつだってこの身に教え込んでほしい。何度でも。
「エレンっ、好きだっ……! ずっと、」
 リヴァイの言葉は最後まで紡げなかった。何故なら。

「……」
「……。お互い、溜まってたんだな」

 はだけられた腹にかかった白濁を手で意味もなくこねまわしながら、エレンは嘆息した。ぬるつく精液はどろりと粘着質で、エレンの言葉を肯定するようだ。
 つまり二人は、ろくな愛撫もなく、体臭を確かめたり確かめられたり、あとは陳腐な告白だけを交わして射精してしまったのだった。直接的な快感に頼らず。溜まっていたと言い訳しなければ、とんだ変態だ。
 呆気にとられたままのリヴァイが半分口を開いたままなのを良いことに、エレンは軽くその唇を啄んだ。
「はっ、」
「お前も、気持ち悪くねぇ?」
 まだ前を寛げてすらいなかったリヴァイの下半身をするりと撫でると、リヴァイは細かく震えた。熱のこもった溜息。
「脱いじゃおうな?」
 エレンは妖艶に微笑んで見せて、息を呑むリヴァイの服を脱がし始めるのであった。エレンにとっても、今日は自制の解禁日となったのだ。

「あ、あつい……ん、ねむいぃ」
 童貞も真っ青なレベルで早急に達してしまったが、そのあとのはっちゃけ具合に至っては、サルも裸足で逃げ出すほどだった。それでももう良い年したおっさんなので、何回も出せば疲労感も相成って眠気も極致というところだ。昔は気持ち良すぎて辛いなんてこともあったけれど、そしてそれはリヴァイのせいでいまだにあることなのだけれど、今はとにかく眠すぎて辛かった。眠いのに痛いくらいの快感がエレンを眠りの淵へ落とすことを許さない。いやリヴァイが許してくれない。
 腹の中をかき回すリヴァイの熱は熱くて、イイところを擦られる度背筋にぞわぞわと悪寒にも似た快感が走る。頭の中はぐずぐずに溶けて、目を開けていられない。というより、涙の幕が張った視界はぼんやりしていて、エレンには自分が目を開いているのか閉じているのか判断できなかった。か細い鳴き声は、ぐずっだ子どもがむにゃむにゃと呻いているようにも聞こえる。どっちにしろそれはエレンの声とよく似ていた。
「あ、あふ……、んっ、ん」
 激情を叩きつけるような激しさはないけれど、リヴァイの動きも緩やかで。しかしそれは、エレンのようにまどろんでいるからなどではなく、この穏やかな熱気に包まれた時間を一分一秒でも長引かせたいからに他ならない。
 何を必死になっているんだか。
「もう、寝よ? リヴァイ」
 エレンに覆いかぶさるリヴァイの頭を優しく撫でる。リヴァイの瞳からもその熱情はもう大分薄まっているというのに、かがり火のような熱だけはずっと揺らめいているのが気がかりだった。
「まだ、」
 寝たくないとリヴァイは言う。まだ終わらせたくないと。
 いったい何が不安なのだろう。今日を終えることが? 明日がくることが? リヴァイは何に怯えている? この年になっても、寝るのが怖いなんてことがあるのだろうか。
「リヴァイ、俺はな、」
 あくびを噛み殺そうとして失敗したのは、リヴァイがまだエレンの体内で半端な熱を埋めているからだ。だがもう限界だった。例えリヴァイが腹の中で居座っていても、そしてそれが、明日どんなにエレンに不利益を及ぼそうとも、とにかくすぐにでも瞼を下したかった。しかしリヴァイの不満タラタラな顔を前にしては寝覚めが悪い。
「最近よく、お前のことを思い出してから寝るんだ」
 怪訝な顔で見下ろすリヴァイに苦笑して、エレンは静かな声で続ける。例えば。
「例えば、今日あった良いこととかさ。たとえば、きょうは俺のほうが帰りが遅かったから、おまえが玄関で待ってただろ。そのときの、おまえの顔とかさ。……ふ、すげぇかおしてた。ふふ。そういう、いいこと。おもいだしながら目を閉じると、すげぇいい気持ちで寝れるんだよ。だからさ、おれおもうんだ」

 きっと死ぬときもこうなんだろうなぁって。
 おまえのこと考えて、いいことばっか思い出して、それで目を閉じるんだ。
 そしたらもう、怖くない。
 すっごく良い気分で、死ねるとおもう。

「さいごによぶのは、おまえの名前がいい」

 縋りつくリヴァイの背をあやしながら、エレンは既に夢うつつだった。 「だからさ、寝るのもいっしょなんだって」
 寝る前にちゃんと『おやすみ』って言うから、お前ももう怖がらなくて良いんだ。
 リヴァイの体が震えているのは、寒いからなんだと思った。互いの熱はもうすっかり引いていたし、体内に埋まっているのはもはや惰性だ。だからエレンは、片手でリヴァイの背を撫で擦りながら、もう片方の手でブランケットを手繰り寄せた。
「おやすみ、リヴァイ」
 応える声は、か細く、震えていたが、確かにエレンの名前を呼んでいた。














2014/10/6
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