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50代





 血こそ繋がっていないが我が子も同然に可愛がっていて、目に入れても痛くないほど可愛いその子どもを溺愛している自覚は十分にあった。
 その子の実の母親に正面切って「気持ち悪い」と言われたこともあれば、子どもの戸籍上の父親からは「こんなに分かり易い人だとは思いませんでした」と苦笑いされたこともある。
 しかし父親に似たのか、はたまたリヴァイの突き抜けた無愛想故か、愛情を向けられている当人にはいまいちそれが伝わってはいないのだが、それもまたご愛嬌というものだろう。リヴァイもこの子どもには愛情の見返りを求めるつもりがないので、特に気にしていなかった。
 その情愛に報いてほしいと願った唯一の男も、リヴァイが本心を上手に隠してしまったために……いや、元より超がつくほど鈍感馬鹿正直野郎だったのだ、きっと気付くこともなかっただろう。それで良いと思っていた。リヴァイがどんな望みも欲求も持っていたところで、所詮は上司と部下の関係だったのだ。
 あの子がどんな理由でその関係を、もしくはその関係までを許容していたのか、本当のところをリヴァイは知らなかった。だがリヴァイはリヴァイなりの考えで、二人の仲をこれ以上進めることは避けたいと思っていた。朝起きたらエレンが自分の隣で眠っている、その幸福な妄想を何度頭の中で繰り広げようとも、それを現実にすることはリヴァイにはついぞできなかった。
 恐れ、だったのだろう。
 あの子に失望されるのは耐えられなかった。いい年をして共寝をしたいのだと打ち明けたら、あの年端もいかない少年はどう思うのか。
――憧れなんです。あなたは俺の。
 いつか特別な秘密を教えるみたいに、密かに言ったあの子の、その黄金の目に浮かぶただ純粋な思慕の情。アレを自らの手で台無しにすることなんてできるだろうか。
 なんともガキくさい、ちっぽけな見栄だった。
 だがあの目が俺を見ていると思ったから、一心に俺だけに注がれていると思ったから、情けない姿は見せられないとがむしゃらに戦ったのだ。そうしたらいつの間に巨人がいなくなっていた時は、本当にびっくりしたけれども。
 戦場での働き、まさに鬼神の如し。拍手喝采。歓声は止まないままたかが一人の兵士が英雄へ。いったい何人死んだのか、観衆と化した人々は本当に分かっているのだろうか。そして無知な群衆は、あと何人殺せば満足するのだろうか。たった一人でも、それは少ないと言えただろうか。
 部下に良いところを見せたくて頑張っていたら巨人が全滅していたなんて、多くの人間が笑い話だと言うだろう。ところが全く笑えない話だった。滅んだ巨人の中に、俺が意識し過ぎた部下も含まれていたからだ。俺を慕う可愛い部下の尊敬を集めたくて、がむしゃらに振るった刃は最後にあいつの頭を切り落とした。反吐が出るほど胸糞悪い結末だった。
 だが残りの人生を投げ出した俺にあいつ自身が言うのだ。生き抜いてほしいと。
 物語の先、新たに与えられた命で日々を全うして、もう十年余りになる。あの子が死んでから、一分一秒も生きることが辛かったというのに、この十年はなんとまあ矢が飛ぶように過ぎ去っていき、また心穏やかに満ち足りたものだったろう。
 懐古せずにいられないのは、やはり目の前にいる子どものせい。
 あの日、柔らかいブランケットに包まれて眠っていた赤子が、今や人生相談をしにリヴァイを訪ねてきたのだから人間の成長とは神秘だ。
 リヴァイに遠慮しているのか、もしくは幼い自尊心が邪魔をするのか、子どもは盛大に眉尻を下げたまま、リヴァイの服の裾をおずおずと掴んだ。幼子らしいいじらしさに胸を打たれる。手を伸ばすだけで距離が縮まるなんて、リヴァイは知らなかった。こんな簡単な方法があったなんて。
 リヴァイは子どもの、父親譲りでやんちゃな眉毛を感慨深く眺め(強い遺伝だ)、ここまで走ってきたせいか、こめかみをじっとり濡らす汗を乱暴に拭いてやった。
一連のリヴァイの行動から機嫌が悪くないと悟った子どもは意を決して口を開く。
「頼むよ、おじちゃん」
 ここぞとばかりに気が回りきれていないのも、父親に似ている。母親に至っては興味のない奴らに気を遣うことすらしない。頼みの綱は養父だけだが……はてさて。
 リヴァイは両拳で子どものこめかみに圧力を加えながら、そのようなことをつらつらと考えていた。今時の若い奴らは全く言葉がなってない。リヴァイは自らを棚に上げた。確実に老いてきているリヴァイである。
 子どもは頭の痛みに大げさに悲鳴をあげたが、その手はしっかりとリヴァイのシャツの裾を掴んでおり、したがってリヴァイのかけた力などたかが知れるだろう。リヴァイが特別気分を害したというわけではないのだ。
「おい、良い男に向かっておじちゃん呼ばわりは止めろ、クソガキ」
「可愛い子どもに向かって、クソガキって言うのは止めてください」
 クソ。リヴァイは思わず舌打ちした。育ての親の影響が出ていやがる。全くあいつも口の減らないガキだったが、屁理屈というものを知らないガキだった。あの子が口に出す言葉は、そりゃあ所詮夢物語だと一笑に付されても仕方のない時もあったし、リヴァイから見れば詰めの甘いものも多々あったが、それでも筋が通らないなんてことはなかった。あの子自身が考え、納得し、信じてきたものだ。そして実際には叶えてみせた言葉もたくさんあったのだから。
 なので。だから。この子どもに可愛げがないのは、明らかに親の教育が間違っている、とリヴァイは結論した。そう訴えれば、育ての親は二人して「誰があんたの好み通りに育てるものか」と鼻で笑うだろう。しかしそこまで想像することはリヴァイにはできなかった。
 軽口を言えたことで、幾分気が和らいだか。落ち着いて子どもが悩みを打ち明けられるようにと、リヴァイは長椅子に子どもを導く。共に腰かけても裾は放されず、子どもの意気地に苦笑いが漏れる。不安なのだろう。安心させるように目線を合わせてやると、弱気な子どもは内緒話でもするみたいに小さな声で言った。
「……じゃあお父さん″って呼んでも良い?」
 邪気のない子どもの申し出にリヴァイは頭が痛むのを感じた。そのまま宙を仰ぐ。
「勘弁してくれ……」
 確かにリヴァイはこの子どもを我が子同然に慈しんできた。しかしリヴァイは父親になどなりたかったわけではない。それもこの子どもの!
 そんなことを告白しようものなら、ほとんどいないが確実に存在する事情を知っているごく僅かな者達に、まるで性犯罪者でも見るような目で見られるだろう。だがそれは誤解だった。誓って、子どもと恋人関係を結びたいからその父親になりたくないというわけではない。
 ただリヴァイは恐れていた。この子どもに構い過ぎて、その父親を忘れてしまうかもしれない可能性を。どんなに子どもが父親に似ていようとも、アレの代わりにはなれないのだ。彼と子どもを同一視してしまうことは、リヴァイの最も忌むべき事態だった。それは彼への、そして子どもへの裏切りに他ならず、何より、彼に生かされている自分自身への最大の侮辱であった。
 日に日に子どもは父親の面影を色濃くしていき、また遺伝の一端を見つけるたびに、当然の不一致が際立っていく。子どもは彼が愛した男とは全くの別人なのだと、絶えずリヴァイに教えてくれるのだった。
 喜ばしいと思う反面、いつ子どもがリヴァイの不可侵の記憶を塗り潰していくのだろうかと考えると、顔を合わせることも辛かった。
 子どもが十五歳になった時、自分は何を思うだろうか。
 それとも逆に、アレと似ているところを一心不乱に探すだろうか。
 だが、もし、十五歳だったかつての少年を思い出せなかったらどうすれば良い?
 目の前の子どもを祝福しながら、頭の中では必死にあいつの容姿を掘り起こそうとする。はねっかえりの艶やかな黒い髪。未成熟な輪郭は丸く、首は細く、肩は薄かった。金色に輝く両目。しかしそれらはことごとく十五を迎えたばかりの子どものパーツに嵌っていき、どこにもリヴァイの愛した少年の姿はないのだ。そして永遠に失われる。
 恐ろしい未来だった。
「……お前には立派な父親がいるじゃねぇか」
 エレン・イェーガーがいるじゃないか。
 子どもがリヴァイのエレンになれないのと同じように、リヴァイが子どもの父親になることはできない。それにもし、もしもそんなことができてしまったら、エレンはいったいどうなってしまう? エレンはどこにいってしまうのか。誰がエレンを思うのか。誰にも思い出されないエレン。忘れられてしまったエレン。それはもうエレンがどこにもいないということと同意だ。
 子どもは俺の困惑を察している。頑なに離されない服の裾は、そのまま子どもの健気さなのだろう。
「俺、父親が何人いても大丈夫だよ!」
 子供とは全く愚かなものなのだと、リヴァイは疾うに知っていたはずだ。それでも実際目の当たりにすれば、動揺は抑えられない。
 リヴァイは深呼吸して、自身を落ち着かせようと試みた。それでも収まらないので他愛もないことを考える。
 例えば、子どもと、ミカサ、アルミン、それからリヴァイとエレン。なるほど大家族だ。リヴァイは心の中で笑った。きっと、エレンと一緒に寝たいと駄々をこねる子どもとミカサをアルミンがなだめている間に、ちゃっかりと自分はエレンの隣を確保しているだろう。いや、余計なプライドのせいで一人離れたところで寝ていると、夜中にこっそりエレンが隣に潜り込んでくるのかも。
 リヴァイの夢想によりもたらされた沈黙は長かった。その遠いまなざしに子どもは何を勘違いしたのか、取り繕うような声は変に明るく上滑りしている。
「母さんも、きっと許してくれるよ! 最近はお酒の量も減ってるんでしょ? 俺からも言ってあげるからさ!」
「あァ? なんでここで酒の話になる」
 訝しむリヴァイの反応は、逆に子どもにとっては予想外なものらしかった。呆気にとられたように、ぽかんと口を開けている。
「え? だってお酒が原因でお母さんに愛想を尽かされて出ていかれたんでしょ?」
 どうやら子どもは、リヴァイとミカサがかつては夫婦だったと思っているらしい!
 リヴァイは再び「勘弁してくれ……」という思いで項垂れた。
 俺がいったい何をしたらあの女と関係を疑われなくちゃいけないのだ。これにはミカサも同意するだろう。
「そもそも俺とお前には、一滴だって同じ血は流れてねぇよ」
 事実を教えてやるとよほどショックだったのか、子どもの顔からは一気に血の気が失せていった。
「え? 本当に? 本当の本当に、俺はリヴァイさんと血が繋がってないの?」
 頷くと、途端に子どもは目を潤ませ始める。
「じゃあ、俺の本当のお父さんはどこにいるの?」
 大粒の涙が子どもの丸い頬を次々と流れていくので、リヴァイは心底困ってしまった。
 ここで「お前の父親はアルミンだろう」と諭すのは簡単だが、きっと子どもの柔く脆い心も容易に傷つけることになる。子どもにとって、事実を誤魔化されることは耐えがたい屈辱だ。子供らしいと思うべきか、あいつのようだなと嘆息するべきか、それすらリヴァイは決められない。
「泣くな……。お前が泣くと俺が困っちまうだろうが」
 少し力を込めて子どもの頬を拭ってやっても、その悲しみは止められないらしかった。
「っ、じゃぁ、あんたが、俺の父親にならなくてもいいからっ、本当の父さんのことについて教えてよ……!」
 リヴァイの手が止まってしまっても、気にせず子どもは目を真っ赤にしながら返ってくる言葉を待っていた。何か言わねばならない。そんなことは百も承知しているのに、何を言えば良いのか、何が言えるのか、リヴァイにはてんで分からなかった。
 何と言えば良い?
 エレン・イェーガーについて。
 リヴァイを生かす男だ。リヴァイの希望。そして確かに、思いは伝えられずとも、リヴァイが愛した男だった。……今でも。
 それをこの子どもに伝えるべきなのだろうか。
 お前の親父を俺は愛していたんだ。あいつは何のためにお前を俺に会わせたのだと思う?
 言えるだろうか。そんなことを。
 開かぬ口に子どもは何を思うのか。真剣な目はさきほどびーびー泣いてたのが嘘みたいな意志の強さを秘めている。
「俺、今度の誕生日で十二歳になるから、訓練兵団に入るんだ」
 意を決して語られた言葉こそ、子どもの当初の目的に違いなかった。
 リヴァイは目を見張る。
 巨人がいなくなって久しい昨今、食糧事情の改善は一刻を争うため、一時的に訓練兵団への入隊は希望制になっている。市民は今限られた土地を耕すことに必死なのだ。
 当然三つの兵団のあり方も世相を反映するように変化していき、現在その体制が変わってないものは王政にしがみつく憲兵団のみ。駐屯兵団は市民を守り、治安維持に努めながらも、壁内における生産率を上げようと土地と食料と人員を管理している。戦う化け物がいなくなった調査兵団は、未知の世界で豊かな土壌を目指していた。
 出生率が上がらないのは、人がいなくなりすぎたからだ。次世代に命を繋ぐだけの糧が不足している。十二歳を超えたなら、食べさせてもらう立場から食わせる立場にまわったと判断される。食料物資が圧倒的に不足し、労働者もまた少ない。王政は開墾民を支持している。そんな中で兵団に入ろうとする者は少なかった。
「両親には反対されたか?」
「……母さんには。でもアルミンはよく考えて俺の好きなようにしたら良いって」
 兵団は、特に調査兵団は、昔ほど死にいく場所ではない。それでもミカサが反対するのは、市民の声に押され、王政府が支持し、兵団こそがエレンを殺したからだろう。
(それでも今なお現在、あいつらは調査兵団員だ) 
 果たして兵団にいる何人が、エレン・イェーガーのことを知っているだろうか。
 失った人間は多い。しかしまだ、たった十何年前の話なのだ。  この子どもがエレンの血を引いているなど誰も知らないが、いや知らないからこそ、子どもに吹聴されるエレン・イェーガーはどんな化け物の姿をしているのか。
 その時リヴァイはまさかの可能性に思い至った。子どもは、自身の父親の存在を勘付いているのかもしれない。母親が兵団に固執する訳も。だから確証を得るために、リヴァイの元に訪れたのではないだろうか。
 聡明な子だ。誰に似たのかは知らないが。
「お前の父親は、」
 声が震えていることが自分でも分かった。
 誰かがこの子どもにエレン・イェーガーについて話して聞かせるのは嫌だった。それはいったい誰の話だ? お前があいつの何を分かっているというのだ! 癇癪を起して叫びだしたい気分だった。
 エレンのことを知らない人間が自分勝手に都合の良い化け物の話をするのも、エレンのことを知っている人間が思い出を愛おしむように年若い彼の人となりを語るのも、同じくらいリヴァイには我慢ならない。
 それが例えミカサやアルミンであっても。
 俺はお前の母親以上にエレンのことを知っているんだ! 叶うなら年端もいかない子どもに向かって大声で喚き散らしたかった。俺だけが!
 そんなことあるはずない。リヴァイの冷静な部分が否やを唱える。何故ならリヴァイはエレンがミカサと関係を持ったことも、その赤子を見せられるまで想像すらできなかった。
 だがあの夜、エレンと心を通わせたのは間違いなく自分だった。
 子どもにエレンのことを教えるなら、誰よりも自分が一番最初が良い。間違いなくこれはエレンへの執着心だ。
「お前の父親は自分のためには死ななかった」
 刃を振り下ろした瞬間を、リヴァイは覚えている。
「あいつは最期まで他人のことを思って死んだんだ」
 それはきっと、遺した人々のことだったろう。
 仲間たち、アルミン、ミカサ、ミカサに宿った命。―――お前のことだな。
 そして最期に呼んだのだ。「リヴァイ兵長」と!
 死ぬ瞬間に! 己を顧みることすらせず!
 心残りを訊いたことがあった。処刑前日の夜だ。あいつは何て言ったと思う? 最期まで俺の心配をしていたんだ! 死ぬのが、怖くないわけがない。俺がいったい何人見送ってきたと思っている。その瞬間の恐怖を俺が知らないはずないだろうが。どんなに未来を約束したとしても、それで本当に心穏やかにあいつらが死ねたと思っているのか? そんなわけがない! そんなはずがあるか! 皆必ず思っただろう、若い奴らは特に。
 何故自分が死ななくちゃいけないのか。
 生きているからだ。間違いなく今この瞬間まで、自分が生きていたからだった。生きてる限りはみんな死ぬんだ。
 かわいそうなエレン。きっとそんなことも気付けずに、俺に殺されちまったのだろう。
 だってあいつは最期に俺の名を呼んだのだから!
 自分の生を自覚する前に、俺のことを思って死んじまった。
 俺はずっと後悔している。あいつにあの時俺の名前を呼ばせてしまったことを。
 最期ぐらい、あいつは自分の為の時間を持っても良かったはずだ。自分の為に祈る時間を。
 そのことばかりを呪いのように、ずっと、悔いている。
――小さな手が、俺の頬を掴んでいた。
 いい年した男がみっともなく泣いているから、子どもが涙を拭っているのだ。そう気付くには、少し時間がかかってしまった。子どものいささか乱暴な手つきは、先ほどのリヴァイの手を真似しているからに違いない。
「リヴァイさん、俺はどうしたら良い?」
 子どもが途方に暮れているのを、リヴァイは涙を流しながら不憫だなと憐れんだ。声もなく涙を流す大人のあやし方など、子どもが知るはずもないのだから。
「年寄りが泣くのを見るのは初めてか」
 頬を濡らしたまま訊くと、子どもは困惑したまま頷いた。
「俺が訓練兵団に入りたいって言ったことで、母さんやアルミンも泣いたのかな?」
 なるほど、賢い子どもは大人でもリヴァイだけが泣くわけではないと悟っているのか。
(リヴァイ兵長でも泣くことがあるんですね)
 そう言った少年は、リヴァイのことを大人どころか人間だとも思っていない節があった。
(リヴァイ兵長も人の子なんですね!)
“憧れのリヴァイ兵長”とやらにはだいぶかけ離れた姿を見せても、失望するどころかその顔は随分嬉しそうだったことを覚えている。少しずつリヴァイが心を明け渡していく度に、あのリヴァイ兵長が、と大げさに驚いていたものだ。
 エレンだけには失望されたくなかったのに、わざと弱みとなる部分を見せつけた。いや、エレンの手に委ねたと言っても良い。
 そうしてエレンは、エレンこそがリヴァイの弱点にすり替わっていくことに、果たして気付けたのだろうか。リヴァイはそれを愉快に思いながら見ていたというのに。まさかそれが仇となって、最期の瞬間までエレンに自分のことで思い煩わせてしまったことは、リヴァイにも予想外のことだった。
――後悔と言った。嘘ではない。だが悔いる度にその心情に愉悦が含まれていることは黙っていた。
「リヴァイ兵長」と呼ばれたあの一瞬を覚えているのは、自分だけで良い。
 彼が最期まで自分のことを思ってくれたのが嬉しいのではない。
 最期の一瞬まで自分が彼と共にいれたことが嬉しいのだ。
 彼が呼んだ『リヴァイ兵長』はエレンと一緒に死んだ。
 それを思うと、リヴァイはすっかり満足してしまって、暫く陶酔のままうっとりと目を閉じてしまうほどだった。
「……誰も悲しませたくなかったんだ」
 その声にハッとして見やれば、子どもは思いつめた様子でリヴァイを見上げていた。切実なまなこはらんらんと金色に輝いて、デジェ・ビュはリヴァイの胸を盛大に痛めつけた。言葉を失う。
「むしろ逆なんだ。……母さんとアルミンを守れるようになりたかったから、訓練兵団に入ろうと思ったんだ」
 なのに、そのせいで二人を悲しませたりしたらどうしよう。母さんも、あなたみたいに泣いたのかもしれない。泣かせてしまったら。
「どうしよう。ねぇ、俺はどうしたら良い?」
 途方に暮れた幼子が眉尻を下げてリヴァイに縋る。しかし子どもが必死になれば必死になるほど、リヴァイは疎外感を明確に抱き、心はだんだんと晴れやかになっていった。
 子どもはとてもエレンに似ているけれど、やはり全く違うのだ!
(やっぱり俺よりあいつら二人の方が大事なんじゃねぇか)
 父さんと呼ばせてくれだの、ミカサと再婚してくれだの(そもそも結婚していない)と言うから、二人より俺のことを慕っているのだと自惚れてしまった。だが実際、子どもが心配しているのは目の前でボロボロ泣いた大人ではなくて、もしかしたら泣かせてしまったかもしれない両親だ。どうすれば良いだなんて、それは俺を泣き止ませるための言葉じゃない。結果俺は泣き止んだけど。
 ちぐはぐな感じが、奇妙に愉快だ。
「なら話は簡単じゃねぇか」
 一転して晴れ晴れとした俺に、子どもは上目づかいに訝しむ。お互い眦が濡れているのが間抜けだった。
「アルミンも言ったろう。お前自身が後悔しない方を選べば良い。お前がちゃんと幸せになるために生きてくれれば何の問題もない。選択した結果悔いが残っても、お前が幸せになることを諦めないでくれたら、俺たちも満足だ」
 生きてくれれば良いんだ。
 自分のために、生きてほしかった。
 エレンが誰よりも俺を気にかけてくれて嬉しかったのは事実だ。だが、お前が最期まで他人のことを気に掛ける必要はなかったんだ。
――なぁ、エレン。
 子どもには、エレンの轍は踏んでほしくない。祈りのようだったろう俺の言葉に、子どもは素直に頷いて、そっと服を掴む手を放した。
 寂寞。
 きっとこれからミカサとアルミンのところに行くのだろう。
 走り去っていく背中を見送って、リヴァイは一人考える。俺が、俺自身が、これから幸せになるために生きていくには、いったいどうしたら良いのだろうか。ずっと、答えは出ないままだった。














2014/10/6
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