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及第点ラブレター





「先生はいつも宿題出す側だからさ、たまには宿題出される側になってみようぜ」
 そんなとんちんかんなことをナルトが提案したのは、六月も半ばを過ぎ、カカシが生徒たちに出す夏休みの宿題を作成していたときだった。親しげに声をかけるナルトは、まるで素晴らしい思いつきをしたと言わんばかりに顔に喜色を乗せている。対するカカシは、ナルトの意外性を思う存分発揮されて溜め息をついた。
「なに、ずいぶん突拍子もないこと言うねぇ。宿題?」
 ナルトがカカシに宿題を出されていたのは、もう四年も前にさかのぼる。中学一年生から三年生まで、ナルトの担任であったカカシは夏休みが明けて提出されたナルトの宿題を見ても大いに溜め息をついたものだ。それもナルトが卒業したいまでは過去のこと。ナルトに宿題を出す機会はなくなったが、教職を辞さぬ限り夏休み前の子どもたちに宿題を出す立場であることは変わらない。
「先生だって夏休みはあるだろ? 休み合わせてさ、どっか行こう。で、先生は後日オレに感想文を提出すること!」
 ナルトは鞄からいくつかのパンフレットやチラシを出し、どこに行きたい?と聞いてくる。どうやら「夏休みの宿題」とは口実で、単にカカシと出かけたいだけなようだ。遠まわしでナルトにしては奥ゆかしい誘い方に、カカシは内心苦く笑う。
 教師と生徒なんて、子どもが卒業してしまえばそこで縁は切れるはずだ。まれに、恩師だと慕って時折同窓会に呼ばれたり、近況を報告に来てくれたりする者もいるが、いまでもまめに交流を続け、自宅にもあげ、さらには遠出にも出かけるような関係は、ナルトしかいない。カカシとナルトの関係を教師と元生徒だと言い切れるのかと、カカシはいつでも疑問に思う。ナルトは無事に高校も卒業でき、いまは地元で働いている。あのナルトももう社会人の一員なのだと思えば感慨深く、自分で働き稼げるようになったことが誇らしいのか、こうして学生の頃にはできなかった小旅行にカカシを誘ってくれる。
「お前に人の書いたものを採点することなんかできるのかねぇ」
「なんだよ先生! オレだってやるときはやるんだかんな!?」
 ムキになって主張するナルトの態度はあの頃から変わらず子どもくさいのに、成長期を迎えニョキニョキ伸びた背や、声変りして低くなった声は男のものと変わらない。それでもまだ成人前。ナルトが二十歳を迎える日を、実はこっそりと楽しみにしている。
「そんな宿題なんか出さなくても、素直に誘いなさいよ。で、お前はどこに行きたいの?」
 十代最後の夏をカカシとどこにいきたいのか、どこでも連れて行ってあげたいと思う。カカシがパンフレットを覗き込めば、ナルトは思惑がとっくにばれているのを知って顔を赤くしたが、やはり嬉しさが勝つのか、すぐにいくつかの写真を指差した。興奮で高く跳ね返る声は、初めてあった賑やかしい子どもの声と変わらない。この関係が教師と元生徒に収まるのか、カカシにはついぞ分からなかったが、ナルトの変わらぬ思慕のように、この関係がずっと変わらず続いていけば良いと、カカシは願った。



 小旅行に選んだ先は温泉街だった。真夏に温泉。ナルトのことだからてっきり海や山など、いかにも夏といったアウトドアな場所に行きたがると思っていた。本当に温泉でいいのかと聞くと、カカシ先生はじじむさいから温泉が良いと思ったんだと臆面もなく言われ、なんだか肩の力が抜けてしまった。カカシが否を唱えなかったから、夏に温泉だから予約もスムーズに取れたのだろう、とんとん拍子で予定は決まっていった。ま、いいけどね、温泉……実際温泉は好きだし、人けも少ないだろうからゆっくりできるだろう。しかし二十歳を間近に控えた青年と三十も半ばの盛りの男がふたりで旅行に行くのに温泉ねぇ。お前ほんとにそれでいいのと内心では何回聞いたか分からない。実際は一度聞いてナルトが良いと言ったのだから、再三その意志を確認するような真似はしなかったが。
 旅館について、さっそく有名なかけ流し温泉に入って、露天風呂だから蝉の音を聞きながら、温泉と水風呂に交互に入った。日頃の溜まったストレスを毛穴から放出したのではというくらい汗を流して――途中、これじゃあ修業みてえだなとナルトは笑った――、風呂から上がれば冷たい牛乳を飲み、浴衣に着替え、いまはクーラーの効いた涼しい部屋でふたりとも寛いでいる。
「夕飯食ったらまた入ろうぜ。脱衣所にあったマッサージチェアも試してみたい」
 ナルトは思いのほか夏の温泉も気に入ったようだ。今度はオレ、フルーツ牛乳飲む。そう宣言したナルトに、カカシは目を細めて「牛乳飲みすぎて腹壊さないようにな」と相槌を打った。
 夕飯までの時間をだらだらと過ごし、山菜、てんぷら、川魚、肉、となんでもありな豪勢な食事に舌鼓を打つ。山の中だからか虫の鳴き声が大合唱している。再び入った露天風呂からは星空がよく見えた。ナルトはフルーツ牛乳、カカシはコーヒー牛乳を飲み、年甲斐もなく卓球に熱中して、三度目の風呂に入ることになってしまい、流石に入りすぎだなとふたりして呆れ笑う。
 湯疲れしたのか、はたまた卓球で運動したからか、鈴虫の声を遠くにカカシもナルトもぐっすりと眠った。朝は、ここ最近ではめったにないほど目覚めが良く、なるほどこれが休日なのかとひそかに感動してしまったぐらいだ。充足感は体に満ち満ちて、ナルトが誘ってくれた一泊二日の温泉旅行は、これ以上ないほどカカシを癒した。カカシを誘い、計画を立て、ホテルや新幹線を予約してくれた張本人はいまだ隣で眠っている。健やかな寝息に、ぐっと胸が詰まった。
 ――本当は、断ろうかとも思ったのだ。教師と元生徒。たとえナルトが卒業した後も頻繁に会い、しまいにはカカシの自宅にナルトが通いだしたとしても、その関係を明確に変えることをしなかったのはカカシだ。今回、ナルトに誘われたのは初めての泊まり込みの旅行だった。そこで、自分が血迷ってこの関係を壊す決定打を打ってしまわないかと、ひそかに不安だったのだ。まだ子どもだと、その面影を認めても、ナルトは着実に大人になっていく。もう自分で働いて給料を得ていて、次に誕生日がくれば二十歳になる。この関係は何だろう。カカシはずっと悩んでいて、それでもこのままで良いのだとはぐらかしてきた。だが本当は。
「カカシ先生? おはよう。さすが先生早いなぁ」
 ナルトがのそりと起き出す。跳ねた寝癖の金髪がきらりと光る。眠気まなこで半開きの碧眼が、隣のカカシを見るとふにゃりと撓んだ。
 本当は、ナルトとずっと一緒にいたい。教師と生徒という関係が終わっても。それがカカシの願いだった。
「おはよう。ナルト」
 こうして、毎日おはようとおやすみの挨拶ができたらどんなに幸せなことだろう。それを思うだけで胸がいっぱいで、カカシは苦しくなってしまう。
「朝飯なにかな。たのしみだなぁ」
 昨日の豪華な夕飯を思いだし、ナルトはふんふんと気の抜けた鼻歌を歌いながら洗面台に向かった。水音がする。ナルトの生活音。
 カカシの毎日の生活にナルトがいてくれたらと、甘い想像がよぎるたび、カカシの胸はきりりと痛む。望むべくもない。妄想だけで幸福と知れ。それ以上を求めてはならない。昨夜、何も過ちを起さなかったことは幸運だったろう。カカシさえうまくやれば、この名付けられないあいまいな関係でも、ナルトが飽きない限り長く続けられるのだ。
 その安堵にカカシがホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、和洋折衷食後のデザートまで余すことなく朝食を平らげたナルトが、チェックアウト間際になってぽろりと零したのだ。
「オレ、カカシ先生のこと愛してるから、先生もオレと同じ気持ちなら来年もまた一緒に来ような」
「……ハ」
 帰りの道中のことはよく覚えていない。混乱をきたした頭に、いまこのときだけではナルトの能天気な声も恨めしくなるようなほがらかな声で、「宿題! 先生忘れるなよ!」とナルトが言ったのは覚えている。



夏休みの思い出   はたけカカシ
降参します。あなたを愛しているのでどうかオレと付き合ってください。



 思い出と銘打たれた感想文としては主旨を取り違えており、体裁も不備があるばかりお粗末な出来だった。他人が見れば及第点も良いところのラブレター。だかそれを受け取ったナルトは満面の笑みで、チェックの代わりに赤ペンで大きくハートマークを書いた。ナルトは「満点だってばよ。流石カカシ先生」と言っに抱き着く。カカシはしっかり受け止めてその背に手をまわしながら、ナルトの採点が自分限定に極甘で助かったと心底安堵した。そんな夏の終わりのできごとであった。













2017/8/26(初出)
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