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ひばりはまだ





 綱手のもとで医療忍術を学んでいるサクラだが、今日の修業はカカシと共にするものだった。それというのも、繊細なチャクラコントロールの精度を上げる目的で、大の男で上忍として鍛え抜かれた体を持つ――つまりサクラよりもずっと大きくて重い――カカシを背に負ぶって切り立った崖を上るという訓練をするためだった。紐でしっかりとカカシの体を背に固定し、指先と足先にチャクラを集中させる。崖は遥か高くにあり、朝から上りはじめてかれこれ数時間、そろそろ昼になろうというところで、十メートル先の頂上が見えてきた。
「あともう少しだぞ。がんばれー」
 背に負ぶられているだけのカカシの手には、トレードマークのようにイチャイチャパラダイスを手にしている。どんなに強風で煽られようと、一定のリズムでぱらりぱらりとページがめくられていくのを、サクラはその耳元で聞いていた。緊張感のない間延びした声で激励される。サクラは滝のような汗を掻きながら、指先が滑ってしまわないように、足を崖のくぼみから踏み外さないように、ひたすらチャクラを制御することに集中していた。体力的に辛いのもあるが、一瞬一瞬で出すチャクラの正確さをこれまで主に特訓してきたのに対し、今日の修業はひたすら長い時間綿密にチャクラをコントロールされることが課される。一定のチャクラを四肢の先に流し続けることはもちろん、風の向きや時折吹く強風にすばやく反応して、どこに、どれほどのチャクラを流すかの判断、その正確性も求められる。また、人ひとりの命を背負っているという緊張感も相まって、サクラの精神は極限状態にまできていた。とてもカカシの声援に応えられる余裕はない。だが励ましてくれる声が、存在があることに助けられるのも事実だった。ひとりじゃない。ここで血の滲むような過酷な修業をしていても、辿りつかなければならない人がいる。その人を追って、自分の想像もつかないほどの重責を負ってひたすら進む仲間がいる。カカシの声は、それを思い出させてくれた。ひとりじゃない。いまや里を代表する忍であるカカシが、わざわざ今日いちにちの時間を作ってサクラの修業に付き合ってくれるのは、カカシもまた、サクラと同じように志を共にするからだ。
 もう少し、あともう少し。だが最後まで気を抜いてはならない。一瞬の油断が命取りになり、それは自分ひとりではなく、仲間までも危険にさせる。頂上にサクラの手が触れた。皮膚を守るはずのグローブは擦り切れ、手のひらは土埃に汚れている。爪の形が歪み、指先に血が滲んでいる。まだまだ正確なチャクラをコントロールしきれていない、サクラの未熟さを表すなによりの証拠だ。その手に、肘に、腕に、背中の筋肉に、ぐっと力を込めて、カカシを背負ったサクラの上体を持ち上げる。体を崖の上に横たえ、這うように進む。転がっても落ちない距離まで来て、やっとサクラは全身の力を抜いた。
「お疲れさん」
 紐を抜けたカカシが、うつぶせで倒れたサクラの肩を労うように叩く。荒い呼吸はしばらく続いた。どっと噴き出る汗が止まらない。疲労は鉛のようにサクラの体を重くし、いつのまにか傷を作っていた体のいたるところ、負荷をかけた関節、筋肉、あらゆるところが痛みだす。サクラは息を吸って吐く行為にだけ集中した。
 荒い自身の呼吸に、ゲコゲコとこの場には不釣り合いな声がする。ようよう顔を上げると、膝をついたカカシの差し出した手のひらに、口寄せされた蛙が乗っかるところだった。
「そ、れは……?」
「あぁ。ナルトからだな」
「ナルト!?」
 思わぬ名前に、悲鳴を上げる体を無視して飛び起きる。カカシはサクラを制して、サクラのもとまで来てしゃがむ。おかげでサクラは座り込んだまま、カカシと視線を合わせることができた。
「ナルトがカカシ先生になんて……?」
 もう二年も同じ班であったナルトとは会えていない。ふたりが辿りつくべき人、もうひとりの仲間であるサスケに追いつくために、師事する忍も場所も違えど、ふたりは志を共にどんな修業も耐えてきた。ナルトからの便りがなくとも、サクラはそう疑わずに信じてきた。そのナルトが、カカシにわざわざ手紙を送るなんて、いったいどんな用件なのだろうか。それはまだ一介の中忍である自分にも、のちに知らされる情報だろうか。サスケのことだろうか、それとも里の? 暁の動向か。
 サクラの予想を、カカシはあっけなく突き崩す。
「あぁ。今日はオレの誕生日だからな。毎年オレの誕生日を祝ってくれるって、ナルトが約束してくれたんだよ。自来也様と里を離れたから、そんなこともできないだろうと思ってたんだが、去年もこうして口寄せで蛙と共に手紙を送ってくれてね。忘れてなければ今日も来るだろうと待ってたんだ」
 なるほど、サクラとの修業の予定とカカシのスケジュールが今日で組めたのは、もともとカカシが今日任務をする予定をいれなかったせいなのかもしれない。いかに自来也と――もしくはナルトとだろうか――契約を交わした蛙とはいえ、不用意に戦場で口寄せされるのは、任務中ならなおさら避けたいところだ。それもその手紙の内容が、カカシの誕生日を祝うというプライベートなものなら当然。
「どうしてカカシ先生の誕生日を、ナルトが毎年祝うことになってるんですか?」
 しかしそもそも、いつの間にそんな親しげなやりとりをするようになっていたのだろうか。第七班の担当上忍と、その班のメンバーのひとりであるナルトの関係に、同班のサクラは首を傾げた。
「前に、オレの誕生日をナルトに祝わせたんだよ。あいつの好きな修業とか特別任務とかうまいこと言って」
「なんでそんなことを?」
 職権乱用もいいところだし、ナルトひとりにということが気になった。
「その数か月前だよ。サクラ、お前サスケの誕生日を祝っただろう。そのときあいつが、なんにも分かってない顔してるのが気になってな。誕生日が、生まれたことを祝福する、祝福されるっていうのがどういうものなのか、オレの誕生日と、その次にあるあいつの誕生日に、分かることができたら良いって思ったんだよ」
 ずっとひとりだったナルト。その原因を、いまになってやっとサクラは知ることができた。いままでバカでうるさいやつと軽んじていたナルトの、そうならざるをえなかった理由。誰もナルトに教えなかった、手を差し伸べなかった、誰もがナルトを無視し、軽んじた、その理由。……いまになってやっと。
「そしたらあいつはすごい喜んでな。毎年オレの誕生日をお祝いするって約束してくれたんだ。自分の言葉はまっすぐ曲げないあいつだから、こうして自来也様と修業中の去年も今年も約束を守ってくれたんだな」
 ナルトがカカシのために書いた手紙を、カカシは大事そうに握っていた。そのまなざしをサクラはなんと言ったらいいのだろう! 慈愛のこもった、いっとう大事なものを見る視線は、甘やかに香り、色彩豊かに彩られる。
「誕生日、お祝いされたことがなかったんですね、ナルト。それまで、ずっと、一度も」
 見てはいけないものを見てしまった気がして、サクラは慌てて視線を落とした。そうして話題を変えた発言はぐっと重く、暗いものになってしまった。脳裏によみがえる。ナルトの輝かしい笑顔と対比して。
「でも今は違う。これからも決して。サクラ、確かにナルトは昔、闇の中にいた。孤独の闇の中に。それは変えることのできない事実だが、あいつがあいつの力で、お前やサスケたちのおかげで、その闇から脱することができたのも事実なんだよ」
 そして更に慎重に、低く潜めた声でカカシは発言した。――サスケも。サクラの肩が揺れる。
「いまはあいつが闇の中にいる。悪夢のような現実の中に。だからお前とナルトが、その悪夢を払って共に朝を迎えてやればいい。そして、明けない夜はないのだと、穏やかな夜があるのだと、お前たちがサスケに教えてやればいい」
「……はい」
 カカシはナルトからの手紙を、大事に大事にポーチの奥にしまった。
「お前たちがオレにそうしてくれたように」
「えっ?」
 どういうことだと、カカシの顔を見返しても、晒された片目は細まってはぐらかすばかりだ。
「さ! 次は下りでしょ。またオレを負ぶって、地上まで送り届けてちょうだい」
 カカシが立ち上がる。ちょうど頭上でぴいぴいと鳥が鳴いた。
 秋だというのに、とっさにひばりだろうかとサクラは思った。ひばりは春の鳥だ。だが季節はずれな春の訪れを、サクラは感じた。空高く、まっすぐに、ひたむきに飛ぶ。その姿を見守るカカシの眼差しは。春を。

















2017/9/23
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