inserted by FC2 system




アーサーがアメリカへやってきた!

「刺青」

何か月ぶりになるだろう。アーサーのアメリカ訪問をアルフレッドは内心大喜びしていた。
しかし「すぐまた来る」「きっと来る」と言ってはなかなかアメリカを訪れてくれなかったアーサーに、素直になることができないアルフレッドは、結局いつものような可愛げのない振る舞いをアーサーにしてしまうのだった。アルフレッドにだって、アーサーが本国で忙しいのは十分分かっている。素直にアーサーを歓迎したい気持ちもある。ただそれがうまくいかないのは、アルフレッドがどうしようもなく幼く不器用だからで、また天邪鬼な性分だからでもあった。
それでも数か月ぶりにあった者同士のぎくしゃくさも次第に消え、憎らしげではあったがいつもの親密な空気を取り戻すことができたのは、ひとえにアルフレッドの天真爛漫さのおかげだろう。
「今回はいつまでいられるんだい?」
なんて本当は聞きたくないくせにいけしゃあしゃあと言って見せられるのは、アルフレッドの強がり故にだ。また、もうこんなことも聞きたくないとアーサーに駄々をこねてみせたあの頃の自分とは違うのだと、アーサーに気付いてもらいたかったからでもあった。
「そうだな、一週間はいるつもりだ」
そんなアルフレッドの内心を知っているのかどうなのか、あやふやなままアーサーは答える。
アルフレッドはこの半年にまた背が伸びたが、アーサーは特に外見的には変わらないようだった。
変わったと言えば、前回よりもアーサーは口煩くなった。やれ服はちゃんとしろだの、髪は整えろ、所作がきたない、話し方がなってない、発音が違う、などなどだ。昔も言われたけど、(特に発音関係は)こうも何度も何度も目ざとく注意されるようなことはなかった。なんだか監視されているみたいで窮屈だし気分もよくなかった。
だけどそれも、アルフレッドを立派な紳士に成長させたいというアーサーなりの気持ちがあるのだろう。アーサーのそんなお節介はとても迷惑だったが、同時にアルフレッドにとっては嬉しくもあった。
一週間。決して長い滞在ではなかったが、されど短い期間ではなかった。一週間、アーサーはアルフレッドのもとにいてくれるのだと思うと、アルフレッドは浮足立ってしょうがない。“アメリカ”はまだ幼いけれど、アーサーが本国に戻ってからは大分成長した。それは身長だけではない。成長の成果を早く見てほしかったし、アーサーと再会初日の今日はさんざんだったが、アーサーに褒めて、認めてもらいたかった。一週間は、今のアルフレッド自身をアーサーに見てもらう、絶好の機会になるだろう。
「じゃあ、明日ね、アーサー! おやすみなさいなんだぞ」

アーサーが来た初日は荷物おろしですっかり日が暮れてしまった。日が暮れてしまえばできることは限られてくる。アルフレッドとアーサーは粗末な(というよりアーサー特性の)食事をとり、少し近況を話し合えば、あっという間に夜になってしまっていた。アーサー来訪の一日目はあっというまに過ぎ、あとは寝るだけだった。
「ああ、おやすみ、アルフレッド。良い夜を」
アーサーはアルフレッドの額に優しくおやすみのキスをした。



何時ごろだったろう。確かめる術はなかったが、肌寒さにアルフレッドの意識は浮上した。違和感はまず視界にあった。目を開けているのに、うすぼんやりしたばかりで何も見えない。瞼や鼻頭にあたる感触から、なにか布のようなもので覆われているのだとわかる。
次に手首だ。これもなにか柔らかい布で何十にも巻きつかれベッドヘッドに括り付けられている。手首だけじゃない。足首も端と端に巻きつけられていて、身動きができなかった。
「な、んだい、これ…?」
「お前が暴れないようにするためだよ」
一人だと思っていた部屋にもう一人の声。誰だなんて、聞く必要もなかった。
「アーサー…」
いったいこれはどういうことなんだろう。目隠しをされて、ベッドに括り付けられている。アーサーはいったい何をするつもりなのだろうか。
「なんだい、これ、どういうつもりだい?」
不安で思わず声が震える。しかしアーサーは何も答えてくれない。不安は増すばかりだ。
アーサーがアルフレッドの太ももを優しく撫でる。アルフレッドは初めて、ここで自分の下半身が何も身に着けていないことに気付いた。
「あ、アーサー…?」
不安が、だんだん恐怖に塗りつぶされていく。いちばん信頼できるはずのアーサーが目の前にいるのに、アーサーはこの状況を何一つ打開してくれるようなことはしない。それどころか、アルフレッドにはアーサーこそが自分を恐怖に陥れようとしているかのように思えた。
「大丈夫だ」
不意にアーサーの声が降ってくる。その声音は、ぞっとするほど優しい。
「すごい痛いだろうけど、良い子だから我慢しろよ」
「なに…?」
先ほどから執拗に太ももの内側を撫でているアーサーの手が気になった。すごい痛いって、なんだ。アーサーはこれから、自分にすごく痛いことをするつもりだろうか。
なんで。
愕然としながら小刻みに震える。あんなに優しかったアーサーが、今には悪魔のように思えてくる。
空気が動いた。ガチャリと音がして、アルフレッドの部屋の扉が開く。誰かが、入ってきたのだ。
「たすけて…!」
アルフレッドは無我夢中で叫んだ。誰かがアルフレッドを助けに来てくれたのだ。アルフレッドにはそうとしか思えなかった。
しかし部屋に入ってきた人物はアルフレッドの戒めを解いてくれることもなく、アルフレッドの叫びに何一つ応えてくれない。
助けを求めたアルフレッドにアーサーが鼻で笑った気配がした。
アルフレッドは今この場に自分を助けてくれるものがただ一人もいないことを知った。
絶望で目の前が真っ暗になる。
アーサーがアルフレッドじゃない誰かに向かって冷たく言い放つ。
「線一本でも歪になったら殺す」
物騒な言葉にヒッと怯えたのはアルフレッドだった。小さな子供に、優しく頭を撫でながら、アーサーは言った。
「大丈夫だ。一緒にいるからな」
何が大丈夫なのか、アルフレッドには分からなかった。ただ、あんなに自分を不器用ながらも大切にしてくれたアーサーは、今は別人のようで、アルフレッドを助けてくれるどころか、どうやら痛めつけようとしていることがわかる。
アーサーは自分のことが嫌いになったのだろうか。じゃなきゃこんなこと、こんな怖いことを自分にするはずなんかなかった。アルフレッドの瞳が涙で潤む。
「どうして…? いやだ、こわいよ、たすけて」
アルフレッドに怖い思いをさせているのはアーサーなのに。
「たすけて、アーサー」
そんなアーサーにしか助けを求められないことが、自分一人ではこの窮地を脱することができないことが、アルフレッドには悔しかった。変わってしまったアーサーよりも、アーサーに嫌われてしまったかもしれないということよりも、理不尽な暴力を振るわれそうになっているのに、何もできず泣きそうになっている自分が一番情けなくて、アルフレッドは涙を止めることができなかった。
がっしりした掌がアルフレッドの太ももを掴む。アーサーじゃない。見知らぬ男の手だ。 これから何が起こるのかわからない。しかしアルフレッドは叫んだ。
「いやだああああああああああああああああああああああああああああああ!」
ありったけ、腹の底から。絶叫に僅かに掴まれた手が緩んだのを良いことに、無駄だと知りつつがむしゃらに暴れる。が、それも長くは続かない。
「んがっ」
渾身の力で鳩尾を殴られたからだ。身体が痛みで硬直する。口には布を突っ込まれた。
「いけない子だな、アルフレッド」
アルフレッドは目を見開く。何も見えないが、アーサーだ。自分を殴ったのはアーサーだ。痛みに苦悶しながらアルフレッドは思った。
「大人しくしてろよ」
アルフレッドは思い出していた。あの日自分を抱き上げた手。頭を撫でてくれた手。頬に触れた手。額にキスをする時に髪をかきあげた手。繋いだ手の温もり。あの掌が今はアルフレッドを痛めつけた。それなのに、アルフレッドに語りかけるその声は、変わらず優しい。
アルフレッドは目を閉じた。



ちくっ。太ももの内側を針で刺されている。一針一針肉に突き刺さる感覚に悲鳴が上がる。
肌に冷たいものを塗られる。その跡をなぞるようにして、針は刺されていく。何針も、何時間も続く痛みだった。太もものいっとう柔らかいところに鋭利な針を抜き差しされて、きっと肌はみみずばれに醜く引き攣れているだろう。ちくちくと肌を縫われているかのような感覚に、アルフレッドは痛みに霞む頭で予想をつけていた。
自分は今、キャンパスにされていて、なにかを描かれているのだ。それも、刺繍みたいなやり方で。
何かを身体に刻まれている。
一針が点になり、線になって。
気が狂いそうだった。こんなこと、こんな痛み、いつまで続く? 
アルフレッドにはひたすら耐えるしかなかった。
アルフレッドの胸に巣食うのは屈辱だ。なぜ、なんで、どうして。こんな非人間的なこと(アルフレッドは人間ではなく国であったが、それであっても)を甘受しなければならない。いくらイギリスがアメリカを統治しているとはいえ、アーサーがアルフレッドに、こんなことをして許されるわけがない。抵抗できないように体の自由を奪って、暴力を振るって、人の身体に消えない傷跡を残すなど、あってはならない。アルフレッドの正義感がアーサーを卑劣だと弾劾した。
アルフレッドが悠久にも続く針の痛みの中で意識を失わないでいられたのは、アーサーに対する怒りのためであった。

やがて、目隠しをされているアルフレッドには分からないことだったが、空が白み始めたころ。アルフレッドにとっておぞましい針の所業は終わった。もう針が突き立てられることもないと、安堵の息を漏らしたアルフレッド。男の気配も遠ざかり、やがてばたんと音がして、アルフレッドは今まで散々痛みを強いてきた男が部屋から出て行ったのだと知った。
しかしアルフレッドにとって、本当に地獄のような時間が訪れたのは、これからだったのだ。
何故なら、元凶であるアーサーはまだこの部屋にいて、自由に体を動かすことのできないアルフレッドと二人きりなのだから。
アーサーの今回の滞在の期間は、あと六日間だ。



アーサーは湯を用意した。アルフレッドに施した入れ墨の色を馴染ませるためだ。
聞けば、傷口に湯が沁みて大層痛いという。アーサーはアルフレッドを思って心を痛めたが、だがしかし、湯あみをしないという選択肢は用意されていなかった。どんなにアルフレッドが痛い思いをしようが、美しく入れ墨を完成させるには必要なことだった。
可哀想にアルフレッドはいまだに目隠しをしたままだった。これから湯で洗うのに、何も見えないアルフレッドはびっくりしてしまうだろう。
アーサーはゆっくりアルフレッドの戒めを解いた。泣きはらしたアルフレッドの目が赤く腫れ上がっていて、見るも無残だった。その瞼に口付けようとしたが、思いのほか鋭いアルフレッドの視線に阻まれてしまう。溜息をついてアーサーはアルフレッドの太ももを撫でた。途端に走ったびりっとした痛みに、アルフレッドは眉を顰める。
「見ろよ。綺麗に掘ってもらっただろ」
それを見て、アルフレッドは目を見開いた。
「沁みるぞ」
アーサーはせめてアルフレッドを驚かせないように、前置きしてから湯に浸したタオルをアルフレッドの患部に押し当てた。
アルフレッドはそれでも僅かに肩を揺らしたが、それだけだった。強い子だと思う。
入れ墨が施された部分を緩く擦りながら、アルフレッドに優しく言う。
「これから痒くなるだろうが、絶対掻いちゃだめだぞ。歪むからな」
そのために残りの六日間があった。この六日間、アーサーはアルフレッドを軟禁状態にした。アルフレッドが勝手に患部を掻いてしまわないように手首を戒めて、食事、入浴、下の世話までアーサーが手ずからした。特に下の世話をされることをアルフレッドは嫌がったが、アーサーにとっては有益な時間だった。

「どうしてだい?」
滞在最後の日、アルフレッドは尋ねた。もう痒みは収まっているだろうから、手首の戒めは解かれ、アーサーの監視からも外されている。もうすぐ、アーサーは国に帰らねばならないのだった。本当はアルフレッドと離れたくない。しかしそれはお互い国という立場ではできないことだった。アーサーは苦く笑う。
「良い子にしてるんだ」
アーサーはアルフレッドの頭を撫でようとしたが、その手はアルフレッドによって振り落されてしまう。アルフレッドの視線はどこまでも厳しい。アーサーのしたことを、決して許さないとその目が語っていた。だが、アーサーにとっては、アルフレッドに許してもらおうが許してもらえなかろうが、そんなことは些末なことに過ぎなかった。もっと大切なことは、既にアルフレッドに刻み込まれてしまっているのだ。
「お前が賢くなれば、いずれ分かる時がくるかもしれない。だが、ずっと分からなくてもいい」
アーサーはこの子供に今まで本当のことをあまり言えなかった。「すぐ来る」と言ってもすぐには来れなかった。そんな子供が不憫で、優しい嘘ばかりついてきた。しかし今、やっと今、アーサーは本当のことを言える。まぎれもない本心だ。どうして? と子供は聞いた。
「愛してるんだ、アルフレッド」
アルフレッドの顔が歪んだ。
「くたばれ、アーサー」



帰路。アーサーはかつてない安堵と満足感に身を委ねていた。今まで、あの子から離れて国に帰るときは、なんと辛く不安であったことだろうか。そう、アーサーはずっと不安であった。あの小さな子供が、大きくなって、大人になって、やがて自分の手から離れて行ってしまうことが。アルフレッドと再会する度に、また成長したアルフレッドを見せられる度に、アーサーは不安で不安で仕方がなかった。だからアーサーは保険をかけようと思ったのだ。それが入れ墨だった。
アルフレッドに入れ墨を入れようと思い立った際、太ももの内側にするという考えは、アーサーにとって最高の思い付きだった。
うち太ももなんて場所は、めったに人の目に触れる場所じゃない。そんな場所が、実際に見られる時というのは、どういう場合か。
アルフレッドがだれかといやらしいことをしようとした時だ。その時、アルフレッドに掘られた入れ墨を見て、相手はどう思うだろうか。あの特別な入れ墨を見て。
きっと誰しもが思うだろう。アーサーの存在を。下衆な者はこうも考えを及ばすだろう。
―――アルフレッドは、かつてアーサーと肉体の関係があったのだ、と。
しかしアルフレッドが、あの高潔なアルフレッドが、誰かにそんな卑しい勘繰りをされることを許すだろうか。答えは否だ。
アルフレッドは必至で隠そうとするだろう。あの入れ墨を。誰にも見せないように注意するだろう。
たった一つ、入れ墨を施してやることで、アルフレッドの貞操は守られたも同然だ。
そしてアルフレッドが、入れ墨について気にすればするほど、思い出すのはアーサーのことだろう。なにせ下の世話までしてやったのだ。
あの入れ墨がある限り、アルフレッドはアーサーの虜なのだ。
これほど素晴らしい思い付きを、アーサーは知らない。
「愛してるんだ、アルフレッド。これからは、ずっと一緒だ」
これからずっと、アルフレッドの太ももの内側に、咲き誇り続けることだろう。







大輪の薔薇の花が一輪



キスマークじゃ生温い。



2012/11/11