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その花言葉を言ってみろ





 里内の任務先に向かう途中のことだった。今日も今日とて日の高く昇ってきてからの出発に、思い思いにカカシの前後横を歩く子どもたちは既にげんなりしていたが、しばらく歩いているうちに機嫌もすっかり直っていまは遠足でもしているみたいに騒がしい。これから任務だというのに忍の自覚もまだまだひよっこたちのその高く響く声を聞きながら、カカシは読むとはなしに愛読書に視線を落とす。しかしふと、班内でもいちばんにぎやかな存在がフッと静かになったのを気付いて、顔を上げた。
 ナルトは、無表情にも近い無垢な横顔を無防備に晒して、ジッと土手沿いの原っぱを見ていた。正しくはその緑色のじゅうたんに座りピクニックをしている親子の姿を。小さな女の子の手が、白い花を編んで作った輪っかを父親に差し出す。小さな花冠は男の頭に乗せられ、少女はきゃらきゃらと笑い、そのさまを夫婦は微笑ましく見ている。穏やかで優しい家族の一場面。
 道を行くナルトの歩みは止まらない。前をサクラが率先して進み、横にはカカシもおり、後ろにはライバルだと宣言するサスケが歩いている。その足並みを崩すことなく、視線はソッと外れた。カカシが声をかける暇もなく、同班の少年少女に悟らせる隙もなく、ナルトは普段通りの賑やかしさを取り戻した。一瞬のことだったのに、カカシはナルトの見せたまっさらな横顔が忘れられず、草むしりの任務に励む子どもたちを見守りながら意識の隅を違和感が占拠していた。
 その日の深夜のことだった。班の担当以外の上忍としての任務を終え、夜闇にまぎれて帰る道中だった。昼間通った土手沿いの野原に、見知った影を見つけて思わず足を止める。月明かりも僅かな夜の景色は、日中に見た同じ場所とは思えないほど静謐と異質に満ちている。暗がりの原っぱは緑色の鮮やかさを失い、そこに立つ小さな影はなお色濃く浮かび上がる。ナルトだった。彼はひとり、地団太を踏んでいるように見えた。
「ナルト、こんな夜更けになにしてるんだ」
 ともすれば修業でもしているのかと最初は考えた。しかし一人暮らしの割には(食生活を除く)ナルトの暮らしぶりはなかなか健全で、夜は早く寝、朝は早く起きる。自らの力を鍛える修業を好むが、大抵は班の任務が終わってからの夕方から遅くなり過ぎない程度の夜の間であり、また任務のない日は日中通してであった。このように丑三つ時も過ぎた深夜であるならば、いつもは必ず就寝している時間のはずだ。一人暮らしの生活が長いからこそ、ナルトは夜の長さを知っている。ひとりでは耐え切れない夜明けまでの時間。ナルトの対抗策は健全に睡眠で、だからこそこの時間にというのがカカシのいちばんの驚きであった。
 声を掛けられるとは思っていなかったのだろうナルトは肩を跳ねあがらせた。振り返ったナルトの顔は夜中の突然の不審者に顔を強張らせていたが、カカシを認めた瞬間その小さな体に込めた力を抜いた。カカシはそんなあどけないナルトの反応より、その足元で無残に踏みにじられた雑草のほうが気になった。その深緑の陰に、仄かな白い花も混じっている。それは昼間の少女が花冠に使っていた花と同じ種類のものだ。
 人目のない深夜にひとり、熱心にその花を踏みにじる様子に、カカシの意識の片隅は冷たく凍える。
「なにしてるの」
 重ねて問う声は、自分が予想した以上に強張っていた。
 ナルトは幼い指先で白い花と緑の葉を指す。
「踏んでた」
「どうして」
 妬みだろうか。家族のいない寂しさを、孤独の悲しみを、願っても決して与えられることのない現実の辛苦を晴らそうと、その暴力にひとりこっそり心を傾けていたのなら、カカシはどうしたらいいのだろう。簡単に「そんなことをしてはだめだ」と窘めることも、安易に同情することもこの子どもの前では許されない気がした。
「先生知ってる? クローバーはこうやって踏むと三つ葉が四つ葉になるんだぜ。昼間さ、ここに女の子とその家族がいてさ、オレってばそれがすっげー良いなと思った。ベッドに入ってもずっとそう思ってて、そういうの、なくなってほしくないんだよな。だからどうしたら良いんだろうと考えても分からなかったけど、四つ葉のクローバーがあったら良いなって」
 しあわせの四つ葉のクローバーって言うの。ぴったりだろ。その幼い顔が憧憬を透かして見せて、そのまっすぐな気持ちに胸を締め付けられる。
「踏んづけられて葉っぱ増やすなんてすごいよな。だからクローバー好きだってばよ。逞しいの見てるとさ、オレももっと強くなろうって思った!」
 それがナルトの答えなんだろう。しあわせな家族の風景を守るためにはどうしたら良いのかと悩んだことへの。シンプルな答えだ。それをナルトはひとり悟った。夜中の原っぱで足元で野生の草花を踏みつけながら。
「オレはお前の、そういうとこ好きだよ」
 突拍子もなくそう言ったカカシに、好意を直に伝えられることに慣れてないナルトは目を瞠ったが、すぐに照れくさそうな笑みで顔をくしゃくしゃにした。
「オレもカカシ先生のこと好きだってばよ!」
 興奮で声は上擦り、実直の行為は健全な体でカカシに飛びついてくる。
 ありがとう。でももう夜も遅いから帰るぞ。小さな体を抱えながら、カカシはナルト送ってやった。





 六代目火影の任を降りたが、任期中にすっかり習慣化した散歩――さぼりとも言う――は途絶えることがなくいまも継続中である。昔は任務と任務の間で体の空いたナルトと連れ立って、よく里内中を散歩したものだ。戦後の復興からついこの間まで、移り変わる景色をナルトと足並みを揃えて見ていた。共有していたの木の葉の里の姿だけではない。カカシの散歩は――たとえさぼりという名目があったにしても――直に里の現状を知るための手段でもあった。火影のところにまで来る道程で、里の情報は精査される。ありのままの里の姿を知るには、里を統治する火影の責務を思えばそれだけでは不十分だった。のんびりと里内の整備された、――もしくはまだ整備の進まぬ、そもそも整備する必要のないのどかな――道をぼんやり歩きながら、目を凝らすのは人々の表情であったり、施設やインフラであったりした。隣を歩くナルトがどこまでカカシの真意を悟っていたのかは知らないが、多重影分身を大いに役立て、文字通り里内を「駈けずりまわって」いる姿を日常よく目にすれば、十分すぎるほど伝わったのだろう。思えば、多重影分身の有効性を教えたのもカカシだから、いまのナルトのオーバーワーク気味の原因の一端はカカシにあるとも言えた。
 いつかの土手沿いの原っぱで、カカシが過去を回想していたのにはわけがある。そこの四つ葉のクローバーが咲いていたからだ。懐かしく思うと同時に、いまも胸を締め付けられる。その成長を喜ぶいっぽうで、少し寂しいとも思う。立派に成長して手の離れた教え子に、なんの不満があるというのか。
「カカシ先生、知っていますか」
 それは里の復興中、イノがいつか言った言葉だった。復興テントの近くに、クローバーが咲いていたのだ。
「クローバーの花言葉は『幸福』や『約束』のほかに『復讐』もあるんですよ」
 ちょっとした雑談だった。それなのに、あの頃から意識の片隅でずっと小さなナルトの足がクローバーを踏みつける夜の光景が離れないんだ。
 お前にとって、これは健全は復讐だったのではないか。里のみんなに認められるために火影になりたいと語っていたお前が、自分の力で里だけではなく世界中の人間に認められて火影になった。あの日お前が踏んだクローバーは、まさに辛苦に耐えて葉をいちまい増やし、約束を果たし幸福を称するお前そのままだ。お前の幸福な姿が、この世界にとっていちばんの復讐なんだ。
 カカシは長い指先で器用に花冠を編んでいた。つれづれに、目的もなく歩むのが散歩なら、カカシは散歩などしたことがないと言えるのかもしれない。散歩のていを装って、真の目的は必ず存在した。この花冠を作るために今日は来た。わざわざ子育て中で忙しいイノの元に赴いて、その作り方が教わってきたのだ。
 白と緑で彩られた輪っかを、世界でいちばん多忙な火影となったナルトの頭にかぶせにいこうと思う。あの夜のナルトの拙い告白。幼いナルトのまっすぐな気持ちが、どこまでカカシを惹きつけたのかナルト自身は知らないだろう。クローバーの花言葉を教えてもらったとき、カカシこそやっと自覚できたぐらいだ。
 ナルト、いまからお前に「復讐」しにいくよ。一緒にしあわせになろうと約束する。あのとき心を打ったお前の心強い優しさを好きだと思った。いまになってお前に分からせたいんだ。恋に落とされた男の情念を花に編みこんで、お前に告白しにいくよ。













2017/6/24(初出)
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