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優しくない蚊





「ワリ。オレちょっと抜ける。先に花火見てて!」
 人でごった返す雑踏の中で踵を返し、あっという間に背を向けて走っていったナルトが放った言葉がそれだった。
 ナルトとサクラとサイ。大戦後久々に新生七班でスリーマンセルを組んだ任務の帰り、ちょうど催される花火を見ようと言い出したのはサクラだった。サクラの誘いにナルトはたいそう喜んで、さきほどまでサイと屋台を冷やかしながらはしゃいでいたというのに。
「どうしたんだろうね」
 既に姿の見えないナルトに、首を傾げたのはサクラばかりじゃない。それぞれの道を歩む三人が、久しぶりに同じ任務に就く。朝から妙にテンションの高かったサイは、澄ましたような顔を見せてもその実いちばん今日の任務を楽しみにしていたことを隠せていない。大成功の任務の後、一緒に花火まで見ようと言うのだから、サイの頬は心なしか上気していた。それがナルトがいなくなった途端に眉をひそめるのだから、表情豊かになったものだとサクラはその横顔を見ながら思う。
「突拍子のない行動をとるのはいつものことよ。場所取りして待ってましょ」
 社までの参道は人で賑わい屋台も出ていて、なかなか腰を落ち着かせる場所がなかったが、ちょうどサクラの後輩たちが座っていたベンチを譲ってもらえることになった。
「ナルトはまだ来ないかな」
 そわそわとナルトを気にするサイに、サクラは苦笑を零し、
「ナルトのいない隙に、あいつの恥ずかしい話してあげる」
 そう悪戯気に目を細めた。落ち着きなくあたりを窺っていたサイが、ぴたりとサクラを覗き込む。
「ナルトの恥ずかしい話? ぜひ聞かせてほしいな」
 ――昔ね、今日みたいに第七班の任務の帰りに……、下忍になりたての頃よ、私とサスケくんとナルト、それからカカシ先生。任務の依頼主に手持ち花火を貰ってね。今日みたいなすっごい熱い日にずっと草むしり任務だったのよ! 炎天下のなかだったから、すぐにばてちゃってね。その日は珍しくいちばんにへばったナルトが「昨日の夜はでっかい音がずっとして眠れなかった」って言い訳したの。その前の日に花火大会があって、私びっくりしちゃった。「あんた花火大会行かなかったの?」って。だって子どもの頃っていったら、それこそ花火大会なんていちだいイベントじゃない。そしたらあいつ、花火を知らなかったのね。……、……。で、すごい悔しがっちゃって。それを依頼主がたまたま聞いてたらしくて、そのときはサボるなって怒られたんだけど。すっごいおっかないおじいちゃんだったのよ。でも任務の終わりに、「これでみんなで花火でもしなさい」ってくれたの。ナルトったらもうはしゃいじゃってはしゃいじゃって。それでみんなで仲良く花火しておしまい、だったらよかったんだけど、初めて見る花火が、あんまりにも綺麗だったんでしょうね。ナルト、花火を触ろうとしたのよ!
 サクラの話を相槌を打ちながら聞いていたサイは、流石に目を丸くした。サイとて花火や夏祭りに縁のない幼少期を送ってきたが、それでも火花に触れることの危険なんて誰に教わらずともわかったはずだ。だがナルトは違うと言う。
 群青色の夜空の下で、初めて見た花火の美しさに思わず手を伸ばした幼いナルト。きっとその目には、恐れなどなにもなく、ただひたすら憧憬がぴかぴかと輝いていたのだろう。閃光を放つ火花よりも激しく。
「私もサスケくんも本当にもうびっくりしちゃって、咄嗟に動けなかったの。やけどした手を水につけなくちゃいけないのは分かってたんだけど、バケツの水は火消しのために使って汚れてたし。どうしようどうしようって泣きそうになってたところに『このバカ!』って」
「サスケが?」
「ううん。カカシ先生がね。任務報告してさっさと帰っちゃったと思ってたのに、どこかで見守っててくれたみたい。で、ナルトが火傷して血相変えて出てきて、水筒の水で冷やしてくれたの。それからすごい剣幕でナルトのこと怒って」
 サイは数時間前に、任務報告の為に赴いた火影塔を回顧する。火影椅子に座り、任務の成功を労ったカカシは、終始柔和な笑みを浮かべていた。ナルトが興奮気味に話すせいで任務の主旨から脱線しても、嬉しそうに「うん、うん」と聞いていたのだ。あの柔らかなまなざしを目にした直後なだけに、サクラの思い出話はにわかには信じがたい。
「あのカカシ先生が」
 素直に驚きを示せば、サクラはそうよねぇと盛大に同意して見せた。
「今じゃ見る影もないわよねぇ。カカシ先生は私たち三人に平等に厳しかったけど、ちゃんと私たちのこと考えてしてくれたことなのよ。半端な覚悟じゃ忍になんかなれない。カカシ先生はそう言いたかったんだと思う。最初の頃は分からなかったけどね。だって先生って見るからに怪しい人だし! なのにばっちり強いから、最初はすごい怖かったわ。ナルトなんて、まだあの頃はドべだなんだって言われてて、人一倍負けん気が強いから頑張るんだけど、から回ってばかりで、それで人一倍失敗するから、カカシ先生からいちばん怒られてたのよ」
「よくナルトもカカシ先生のことを嫌いになりませんでしたね」
 負けん気が強いなら、より一層反発しただろうに。ナルトの頑固は折り紙つきだ。
「逆よ。ナルトはカカシ先生のこともう大好きで。修業してって四六時中カカシ先生に張り付いてたのよ。……きっと甘えていたのね」
 サクラは夜空を見上げた。日中に比べて、通る風が涼しく気持ちいい。
「病院の手伝いをしてて、ちっちゃい子どもの面倒を見る機会も多いの。前に男の子が病室から勝手に出ていなくなっちゃったときがあって、とても心配でずっと探してて、その子を見つけたときは本当に安心したんだけど、私すごい怒っちゃったのよね。そしたら男の子も泣きだして、もっと優しくしてあげればよかったって後悔したの」
 泣かせたかったわけじゃない。ただ、その身を案じていただけなのだ。安堵した途端に噴きだした激情は、心配の裏返しに過ぎない。
「サクラは優しいですね」
 サイの無垢な返しに、サクラは微笑む。
「カカシ先生もそうだと思うのよね。だって人一倍ナルトに優しいじゃない。今日なんか、これから花火見に行くって言ったら」
 ――そう。夜道は暗いし危ないから、特に林の中は気をつけなさいね。ナルト。
 世界を救った英雄に「夜道は危ない」などと言える人間がどれほどいるだろうか。
 サイとサクラがそろって苦笑した、そのとき。
 ワッと歓声が上がって、夜空に大輪の花が咲く。花火大会が始まったのだ。
「カカシ先生も、今ごろ火影塔で見ているのかしら」
「というかナルト遅くないですか?」



 それから半刻した頃だった。
「ワリー! 遅くなっちまったってばよ」
 走ってきたナルトが合流した。
「ナルト遅い! もう終わっちゃうじゃない」
「ごめんな、サクラちゃん~!」
 それでも急いできたのだろう、流れる汗を拭って暑そうにナルトが襟を煽ぐ。
「あれ、ナルト。ずいぶん蚊に食われてきたんだね。首元、真っ赤になってるよ」
 一瞬見えた斑点を目ざとく指摘すると、ナルトの肩が跳ね上がった。
「ハハ……。さっき林のとこに、でっかい蚊がいたんだってばよ……」
 でっかい蚊? ずいぶんおかしな言い回しをするものだとサイは訝しんだが、サクラが反応したのは違うところだった。
「林!? ナルト、あんたカカシ先生に林の中は気をつけろって言われたのにわざわざ行ったの!? カカシ先生が最近あんたには優しいばかりだからってね、いつまでもそうとは限らないわよ」
 年長者の苦労が分かってきたからだろうか、サクラがナルトにお姉さんらしく窘める。するとナルトは、拗ねた顔をしてそっぽを向いた。
「……カカシ先生は全然優しくなかったてばよ」
 ナルトの小さな独り言は、見物客の威勢のいい「たーまやー!」の声と重なり、大輪咲く夜空に散った。













2017/7/23(初出)
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