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俺のかわいい嫁リヴァイさん





「おめでとうございます。ご懐妊ですよ」

その兆候はあった。最近リヴァイの顔色はすこぶる悪かったし、食欲も変な感じだった。もしやと思い市販の妊娠検査薬を使用したら結果が陽性だったので、その時リヴァイから初めて妊娠の可能性を告げられたエレンも覚悟を決めていた。いや、覚悟ならとっくの昔にしていた。
エレンはリヴァイとの結婚式にまつわる出来事を思い出す。
エレンがめでたく社会人となりそれなりの月日を経て、二人は婚姻を結ぶことを決めた。
結婚が決まった途端、ウェディングドレスか白無垢かという究極の選択に、エレンは三日三晩悩んだ。多くの人に意見を聞き、その助言の下、リヴァイには結婚式ではウェディングドレスを、記念写真の撮影の時は白無垢を着てもらえば良いのだという結論に至った。なのにリヴァイときたらドレスも白無垢も、あろうことか結婚式すら必要ないとエレンに言った。
エレンにしてみれば、結婚式とは愛し合う二人が結ばれる神聖な儀式で、結婚式を挙げることは親類縁者に二人の関係を認めてもらうということで、何よりエレンは俺のお嫁さんはリヴァイさんなんだぞ、と結婚式にかこつけて自慢したかった。
なんとしてでもリヴァイさんと結婚式を挙げる。そしてウェディングドレス姿のリヴァイさんを、白無垢姿のリヴァイさんを見るのだと、エレンは意気込んだ。
エレンほど頑固ではないが自分の意志は必ず貫くリヴァイを説得するため、エレンは「ハッピー・ウェディング大作戦」を決行する。要はただリヴァイにお願いするだけだったのだが、なかなか頷いてくれないリヴァイに、ついには懐かしい先輩エルヴィンやハンジを巻き込んで、大掛かりな作戦となった。真摯な、または面白おかしく引っ掻き回したような先輩たちの協力で、手を変え品を変え、あの手この手でリヴァイに挑んだが、リヴァイは一度も首を縦に振ってはくれなかった。
今思えばリヴァイは単に恥ずかしかっただけなのだろう。女の子のたくさんある夢の一つは、結婚式で綺麗なおべべを着ることだと信じて疑わなかったエレンは、まさかリヴァイが自分の強面な顔を気にしていただなんて思いもしなかった。ドレスや着物で着飾ったリヴァイは、とても綺麗だろうと思うけれど。エレンの惚れた欲目である。
難航を極めた作戦だったが、禁じ手が一つだけあった。エレンは最初そんな発想、思いもつかなかったが、やはり腐っても鯛と言ったところで、リヴァイと離れて久しいその良き理解者ハンジの助言はとても的確だった。しかしできればエレンはその手を使いたくなかったし、ハンジの言った通り、最終手段としてとっておいたのだ。万策尽きて、エレンはやっとその作戦を実行に移すことに覚悟を決めた。
「結婚したら責任取ることに変わりはありませんから、ゴムなしでセックスしても良いですよ」
エレンの出した条件に、リヴァイはいともあっさり、今までの頑なさが嘘であったようにあっさり、了承した。
リヴァイは目の色を変えて、あんなに結婚式を挙げることを渋っていたのに、会場の取り決め、式の段取り、招待者への手紙、引き出物の中身に至るまで、全て率先して執り行った。エレンは空いた口が塞がらない。
しかしそのままリヴァイの手に任せておくことはできなかった。単純に男の矜持もあったが、何よりも大切なことが。リヴァイは招待客のリストに自分の両親の名を入れなかったのだ。リヴァイが招待客に選んだのは、エルヴィンやハンジ、それに大学生時代に特にリヴァイを慕った数人の後輩のみであった。
エレンはこの時になってやっと、まだリヴァイの両親に挨拶に行っていないことに気が付いた。エレンは顔を青ざめさせた。リヴァイ本人の意思は勿論確認済みだったし、「ハッピー・ウェディング大作戦」に振り回されてすっかり忘れてしまっていたが、伴侶となる者の家族に挨拶に行くことは、とても大切なことなのに。エレンは家の大事な娘を貰い受ける立場にあるのだ。その関係を了承してもらうこと、またリヴァイの一生を預かるその責任を改めて感じ、その意志を表明するためにも、大事なことだった。
エレンは慌ててリヴァイに不義理を詫び、早速リヴァイの家族の元へ挨拶に伺う機会を尋ねた。しかしリヴァイは必要ないと言った。
必要ないなんてことはない。リヴァイと共に生きると決めた。今までリヴァイを育ててきてくれた、リヴァイと血の繋がった肉親に祝福されることもなく、リヴァイと関係を結ぶ。そんな無責任なことをしたくなかったし、そんな寂しい関係をエレンは望んでいなかった。頑固加減ではエレンの方が何枚も上手だ。リヴァイの両親に挨拶できないのなら、結婚の話は白紙に戻すと意地を通した。そんなエレンにリヴァイは渋々、両親との確執を語る。 曰く、リヴァイは確かに肉親に育てられてきたが、そこに愛はなかったのだと。そしてリヴァイにも、そんな親に対し慕情はないと。だからこのことについてエレンが責任を感じる必要はないし、事後報告だけで十分だと。事後報告ですらいらねぇかもな、とリヴァイは自嘲的に笑った。
それでも。
それでも挨拶したい、何より大事なリヴァイのことだから負うべき責任は徹底したいとエレンは訴えた。エレンに根負けしたように、リヴァイは鼻を鳴らして「勝手にしろ」と言った。
リヴァイから許しも出たので、エレンは本当に勝手にした。後日、嫌がるリヴァイを引っ張っていき、リヴァイの生家を訪れた。数年ぶりに顔を見せたリヴァイに両親は驚き、随伴したエレンを紹介されて、もっと驚いていた。エレンにしてみれば、父親に殴られることも覚悟の上だった。親の目の離れたところで関係を結び、既に準備万端である結婚式寸前で挨拶するなど、親にとっては大事な娘を突然男が攫っていったように見えただろう。土下座する勢いで「お嬢さんは必ず俺がしあわせにします」と誓ったエレンに、リヴァイの両親はエレンの予想を裏切り、深々と頭を下げた。そして涙交じりに数十年抱え続けた後悔を語る。「娘をどうかよろしくお願いします」と言ったのはリヴァイの父。「不出来な娘だけど、一緒にしあわせになってあげてね」と言ったのはリヴァイの母。
結果として、リヴァイは愛されていたのだ。ただお互いが、愛情の与え方、受け取り方が下手だっただけ。リヴァイの血族はどうしようもなく不器用なだけなんだと、エレンは思っている。
長年の誤解が解けて、頑固な父と娘の和解を象徴するヴァージンロードは、リヴァイの過去を話でしか知らないエレンにも感慨深いものを与えた。赤絨毯の上を歩く二人の姿はぎこちなかったが、幸福を目前にしたリヴァイの姿はドレスなど関係なく美しかったし、娘を気遣いながら歩く父親の姿はエレンに憧れを抱かせた。とても胸に迫った、感動的なヴァージンロードだった。だが招待客中がその奇跡的な二人の姿に打ち震える中で、ただ一人リヴァイだけはどんな感動も覚えなかったようで、涙ぐむ父を早々にうっちゃって、エレンの隣にその身を置いた。エレンは苦笑するしかなかったが、愛し合う二人が寄り添い合うことこそ結婚を迎えた二人のあるべき姿なのだから、当然のことだった。
二人の式は華々しく行われ、皆が笑い、時に涙し、存分にエレンとリヴァイを祝福してくれた。
素晴らしい式だったと思う。できれば綺麗な思い出のまま一日が終わってほしかった。しかしエレンにとって目的であった結婚式は、リヴァイにとっては手段でしかなかった。
エレンはあまり思い出したくないので一言で終わらせるが、夫婦になって初めて迎えた夜は、燃え上がるようだった。本当に。
あれから二か月。リヴァイは身籠った。心当たりなら、腐るほどある。

エレンが学生だった時分では、妊娠の可能性を忌避し続けたエレンだったが、何もリヴァイとの子どもが欲しくなかったわけではない。ちゃんとそれに伴った責任が果たせるなら、リヴァイとの愛の証の到来は万々歳だ。嬉しくないはずがない。
産婦人科を後にして家に帰ってきたエレンははしゃいだ。
「子ども、楽しみですね! 男の子かな? 女の子かな?」
浮かれた調子で言いながら、リヴァイのまだ膨らみのない腹を撫でる。ここに宿っているのだ、大切な命が!
しかしリヴァイは浮かない顔だった。その陰のある表情を見て、エレンは自分が勘違いしている可能性に思い至った。エレンは子どもができても良かったから妊娠の可能性を孕むセックスを了承した。エレンは宿った命が生まれいずることを望んでいる。対してリヴァイは? 避妊具なしのセックスを望んだのはリヴァイだったが、子どもまでは彼女の本意ではなかったのか?
「もしかして、…まだ子どもはいらなかったですか」
そうしたらどうしよう。リヴァイが子どもを持つことは負担になるから嫌だと訴えたら、リヴァイの為を思い、自分は堕胎を了承することができるだろうか? せっかく授かった命を。
もしもを考えて顔を土気色に塗り替えたエレン。蒼白になったエレンの悲観などお構いなく、リヴァイは拗ねた様子だった。そこにシリアスな雰囲気はない。
「ちげぇよ。だが、ガキができりゃあ、お前はガキにかかりきりになるんだろうなと思うと、面白くねぇ」
最悪の展開は避けられて、エレンは肩の力が抜ける。それに伴い、リヴァイとエレンの感覚の相違に、改めて驚かされた。だって。
我が子相手に嫉妬!
リヴァイの独占欲は確かに人より強いものがあった。しかしエレンが不貞を働かない限り、そんなものはただの憂慮に過ぎないと、ずっとエレンは思っていた。リヴァイを不安にさせないように、エレンが義理を通せば良いだけだと。大したことはないと。
大したことはあった。大有りだった。
まさかエレンとできた愛の証に、授かった命に、血肉を分ける子ども相手に。
エレンとしては理解できない感覚だ。
エレンの愛に関してどうしようもなく愚かになる人に、さてどう言ってその感情の無意味さを分からせたものか。エレンは暫し考えた。
「あのですね、リヴァイさん。愛は一つだけじゃない。愛情は増やせるものなんですよ」
エレンがリヴァイを愛しているのは当然だ。そしてこれからも。この先子どもができたとしても、その愛情が深まることはあれど、消えることはない。
家族との和解を果たしても、未だにリヴァイは自分が愛されていたことについて懐疑的だ。娘に向かなかった愛情は一心に母にだけ注がれていたのだと信じ込んでいる。どうもリヴァイは、愛情は分散するものだと考えているようだった。だがそうではない。情が希薄になることはないのだと、エレンはリヴァイに訴える。
なのに。
「俺はガキができても、お前だけだ」
たった一人。ただ一人しか。
エレンしか愛することができないのだと、リヴァイは打ち明ける。リヴァイが生きてきた長い時間、リヴァイは確実に愛されていた、両親だけではない、エレンは知っている。エルヴィンやハンジがリヴァイのことを常に気にかけてくれていたことを、リヴァイの後輩が憧憬を持ってその存在を慕ってくれていたことを。リヴァイは愛されてこなかったわけではない、エレン以外の者に優しくされてこなかったわけではない、いつだって彼女は慈しまれてきた。それなのにリヴァイは「エレンだけが」と言う。エレンだけがリヴァイの存在を受け入れ、優しくし、慈しみ、愛してくれたのだと。だからエレンしか愛せないと、リヴァイはそう言うのか。なんて寂しいことを言うのだろう、この人は。そんなこと言ってほしくなかった。こんなに悲しい愛の告白もない。
家族が増えることは幸福なことであるべきで、大切な人に孤独な思いをさせることではない。
己の血肉を分け与えた子を愛することができないなんて、エレンには理解できないことだ。だからそういう人が現にいたとしてもエレンは「本当に?」と思ってしまう。事情はそれぞれに当然ある。この場合、エレンにも、リヴァイにも。エレンがそう思ってしまうことにも。リヴァイがそうであるようにも。誰に対しても明確な正しさなんてない。そう思うことも、その在り方にも、存在してしまうのは等しくしょうがないことだった。ならその思いもその在り方も受け入れるしかない。
エレンがリヴァイに言えることは限られているだろうか。確かにどんなに言葉を尽くしても、完全に交わらないものが、二人には、いやどんな人にだって、ある。
「二人で一緒に愛してあげましょう。足りない分は、俺が補いますから」
隣に寄り添うリヴァイの肩を抱き寄せる。
エレンの思いを、リヴァイは分かってくれているだろうか。
例え二人に分かり合えないものがあっても、それでも、というエレンの思いを。
「俺にはお前がいれば良い。お前だけが」
エレンの肩口に甘えるように額を擦りつけて言うリヴァイは、頑なだった。
エレンは穏やかにその声を降らせた。リヴァイの言葉に傷ついたりすることは、決してしてはいけないことだった。
「もう、そんな悲しいこと言わないでくださいよ」
お母さんになるんですよ、とは言えなかった。家族に愛されたことがないと言い切ったリヴァイ、自分がどんなに酷いことを言って、エレンがどうして自分の言った言葉を“悲しいこと”と表現したのか恐らく分かっていないだろうリヴァイに、そんなことを言って変なプレッシャーを与えたくなかった。
しかし母親になることは不幸なことではないのだ。エレンはリヴァイにそう教えたくて、暫く言葉を探した。結局適した単語は見当たらず、その成果は上げられなかった。だけどエレンはこうも考えた。今でなくても良い。エレンとともに、追々分かってくれれば良い、と。母親とは祝福された存在なのだと、身に染みて感じてくれた時は、その隣にエレンがいれば良い。
エレンが見つけた、代わりの言葉。
エレンはリヴァイの小ぶりな頭に自分の頬を当てる。リヴァイの髪は少し硬い。
二人の身体は更に密着した。まるでこの世界には二人しかいないと言うように。違う、二人だけなんかじゃない。リヴァイの腹の中には、確かに命が宿っているのだ。
「一緒にしあわせになりましょうね」
子どもと、その一言は告げられなかったが、エレンはその言葉の通りに誓った。リヴァイも子どももしあわせにするし、エレン自身もしあわせになってやると。この世界で、がむしゃらに、幸福を手に入れるまで足掻きつづける。
リヴァイが同意するように頷く。たったそれだけ、今の二人はそれだけでも良かった。














2013/6/29
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