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真夜中の安眠防衛戦線





「今日は泊まりにおいで」そう言われたときのナルトのはしゃぎようは凄かった。任務前に伝えていたら、気を散漫させてうっかり大けがでも負いかねない。たとえ子どものおつかいのような任務であっても油断はできない。小さな体のどこにそんなエネルギーがあるのかと驚くほど、ナルトの全力を尽くそうとする心意気、またそのがむしゃらな体力は、うまく導いてやらねばから回って自他ともに傷つけるだろう。
 任務終了後、サクラとサスケの姿が見えなくなってからナルトを誘って、本当に良かった。これなら帰りの道中だけ特に気を付けてナルトを見てやればいい。任務中はナルトだけ見てやることはできないから、いかに気をつけていたとしてもそこは意外性ナンバーワン忍者、なにをしでかすか分かったものじゃない。
「あ! あのさあのさ! じゃあスーパー寄っていこうぜ、カカシ先生」
 人目をはばからず手を繋いでいたのは正解だったろう。繋がれた手を犬のしっぽのようにぶんぶん振りながら、ナルトはいまにも駆け出していきそうだ。興奮してきらきらと輝くまなこからは、まわりを歩く里民の姿など視界に入っていないことは明らかだ。カカシがしっかりその小さな手を握ってやらなければ、この子は里の誰かにぶつかっていただろう。
「なに、なにか買いたいものあるの」
 ナルトが商店街で買い物をすることは滅多になく、たまにスーパーで牛乳とカップラーメンを買いこむぐらい。カカシと一緒に赴けばカゴの中身はもう少し彩り豊かになるが、入れられた野菜を見るたびナルトは口を尖らせる。それでもひとりでひっそり買い物に行くよりかはいろんなものが買えるから、カカシの都合を見てナルトが買い物に誘うのはこれまで何度かあった。
「お菓子! いっぱい買ってさ、今日の夜に先生と食べたい!」
 無邪気に頬を赤らめて上目使い。その顔はとてもかわいい。かわいいが、
「そんな不摂生をオレが許すと思ってるのか。夜中にお菓子なんて食べたら虫歯になっちゃうでしょ」
 窘める色は存分に“先生”を含んでいて、それを真下から受け止めたナルトは一瞬悲しげにまなじりを下げ、すぐに拗ねたように眉を吊り上げた。
「えー! オレってば火影になる男だから虫歯なんか大丈夫だってばよ」
「なにが大丈夫なんだ。……夜中じゃなくても夕食後に団子出してやろうか。甘栗甘の」
 ナルトが拗ねたような顔をするのは、実際に拗ねているのではなく、内心の寂しさを悟らせないためにそう見せているに過ぎない。そのバカ正直な言動からつい騙されてしまいそうになるが、ナルトは実に巧妙に本心を隠す。カカシもうっかりその影を見落としそうになることがあって、最近ようやくナルトの機微に気付けるようになってきた。いまのは看過できない表情だ。そんなに夜中にお菓子が食べたいのだろうか。カカシは精一杯の代替案を出す。わざわざ遠回りしなければならないナルトの好きな店の名を出すほどには必死だ。
「そうじゃなくて……、甘いもんが食いたいんんじゃなくてさ、いやカカシ先生が奢ってくれるなら食いたいけど、そうじゃなくて……、オレはカカシ先生と夜中も一緒にいたかったの!」
 怒ったようにナルトは喚いた。往来の大きな声に、何人かの里民が振り返るが、ナルトは気付かない。怒ったようなのは振りだけで、ナルトは自分の心情を吐露するのに慣れていない。拙い言葉を出すのは咽喉に引っかかるような心地だろう。吐き出すように勢いをつけなければ、ナルトは自分の感情を素直に伝えることも難しい。その一所懸命さを、カカシは「うるさい声だ」と「煩わしい」とは思わない。むしろこそばゆい気持ちだ。
「泊まりにくるんだから、夜だって一緒にいるだろ?」
「そうじゃなくて! だって夜は寝ちまうじゃん! オレってば誰かと夜も一緒なんて初めてだからさ、もったいねーじゃん! 夜も先生と起きてたいの!」
 こんなにかわいい生き物が他にいるだろうか。最近とみにそう実感する。幼いナルトを、その幼稚に付け込むまでしてカカシは手に入れた。下忍とその担当上忍のお付き合いは微笑ましいほど健全で、ただ日々を積み重ねるようにナルトへの愛おしさも募っていく。「夜も先生と起きていたい」だなんて、ナルトにそんな意図が全くないにしても、カカシはマスクの下で緩む口元を抑えきれない。
「んー。お前がそんなに夜更かししたいっていうなら、お菓子も必要なのかねぇ。ま、いいでしょ。夜中にお菓子は今日だけ、な?」
 だが泊まりにくるのは何度だって、いつだっていいよ。もちろん都合の悪いときだってあるが、ナルトが望む限り、何度だっていつだって。
 そう伝えると、ナルトは嬉しそうにはにかみ頷いた。



「こらナルト、まだ袋開けないで。髪濡れたままでしょ。拭いてやるから」
 風呂から上がったナルトがさっそくスーパーで買いこんだスナック袋に手を伸ばすのを、カカシは慌てて止めた。その髪先からはいまもぽたぽたと雫を垂らし、薄い肩に寝間着の布を貼りつかせている。
「こんなのほっときゃすぐ乾くって!」
「そう慌てるな。夜はまだ長いんだから」
 少し強引にナルトの頭を抱えその金糸をタオルで包むと、下にいるナルトはきゃらきゃらと高い声を上げた。仮にも一人前の下忍とはいえ、こういう反応は同期のなかでもナルトは特に幼い。
「ほら座って」
 抱き込んでそのままベッドの縁に腰かける。カカシの足の間にすっぽり入りこんだナルトは、はじめ細い足を互い違いにぶらぶらと揺らしていたが、それも途中で途絶えた。カカシの胸に寄りかかるようにして、小さな頭が力なく俯く。
「……ナルト?」
 あんなに「夜もカカシ先生と起きていたい」と情熱的に誘った――駄々をこねた――のに、呆気なく寝入ってしまった子どもにカカシは戸惑う。確かに今日も任務でナルトは元気に里内を駈けずりまわっていた。帰りは帰りでカカシとのお泊りのはしゃぎようはひどく、ずっとハイテンションだったのだ。突然、糸が切れたように寝てしまうのも無理はない。理解できる。だが、
「お前ねぇ、それはないでしょうよ……」
 ひとまわりも年の離れた、それも自分が担当している下忍と付き合っている身。もちろんいまの健全状態から今夜踏み外すつもりは毛頭なかった。カカシはナルトの十分な成長を待つつもりだ。
「まぁ寝る子は育つっていうしな……」
 むしろ育ってくれないと困る部分は大きい。カカシは諦めて溜め息を吐くと、そっとナルトの脱力した体を布団に横たえる。上掛けを掛けてやり、その寝顔を見下ろす。
 すると温もりがなくなったことに眠りながら悟ったのか、ナルトの手はもぞもぞと動く。しかし目当てのものがないと知ると、ナルトはぎゅっと身を縮こませた。
 そうか、いつもは人形を抱いて寝てるから。カカシはそっと、ナルトの手を握ってやる。そうすれば、ナルトの寝顔がふっと和らぐのが分かった。
 夜を誰かと過ごすのは初めてだと言ったナルト。もったいないと言った。まるでカカシとともに夜を過ごす時間が、一回きりとでも言わんばかりじゃないか。なんて切ないことをこの子どもは言うのだろう。
 お前と過ごしたい夜の数なんか、いくらでもあるよ。だからお前は怯えなくたっていいんだ。いつかまたひとりで夜を明かさなくちゃいけないときがくるなんて、もうお前は案じなくてもいい。何度だって、お前が望むならいつだって、また夜を明かそう。
「おやすみ、ナルト。良い夢を」
 髪を梳く。頬を撫でる。ナルトの安心しきった寝顔。この顔をいつまでも守りたいと思う。お前が安心して眠れるなら、オレはいくら寝ずの番をしたって構わない。お前から穏やかな睡眠を奪うような奴が現れたら、オレがこっそり退治してやる。伊達にエリート上忍なんて呼ばれてないからね。だからお前は安心して眠ればいい。ひとり寝の寂しさに、お前が怯えなくてもいいと分かるまで。
 そうだ。だからいまこの場でカカシが戦わないといけないのはカカシ自身で、死守しなければならないラインを見極める。髪を梳く。頬を撫でる。そのまぶたにキスをする。ここまでだ。これ以上はナルトの安眠を侵すだろう。まだだめだ。そうだ。ふたりで過ごす夜なんてこの先いくらでもあるのだから。それまではカカシがこのあどけない寝顔を守ってやればいい。自分の不埒な欲望からだって。
「夜更かしはまた今度な」













2017/5/20(初出)
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