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肉欲の秋





 他人の体温が苦手だったので、セックスが嫌いだった。汗と唾液と精液と。ぬるぬるぐちゃくちゃと混じりあった匂いがどうしても駄目で、初めて経験してからは他人との性行為を避けていた。もう十年以上も右手が恋人だったのだ。
 長年の右手とのセックスライフについに終止符が打たれたのは、ついこの前だ。初めて自分以外の体温に心地よさを覚えた。他人の体液に肌が濡れるのが、ゾッとするほど興奮した。俺にセックスの気持ち良さを教えた相手。あれだけの苦手意識をいともたやすくひっくり返したその人は十五も年下の同性であったのだから、人生とはどう転ぶのか分からない。
 泥酔した見ず知らずの人間にいきなり背中から寄りかかられて、その酒臭くて生暖かい吐息にうっかり勃起してしまったときから、人生は変わってしまっていたのかもしれない。今になってはそう思う。湿っぽい息が首筋に当たって、嫌悪感からではなく興奮から鳥肌が立った。
 なんだかんだと酔っ払いの勢いに押されたていをとりながら、その実まんまと獲物をタクシーに乗せられたのは結果として上々であったろう。なんの疑いもなく住所を告げる男の、意識の低さにはほくそ笑むより先に心配になってしまうほどだ。だがそのうかつさも酔っ払いゆえか。タクシーに同乗した親切な俺が、まさか人の個人情報に聞き耳を立てているなんて夢にも思わなかったとて、無理はない。あまつさえ青年、エレン・イェーガーは自ら進んで携帯電話を俺に差し出してきた。昨今、プライバシーの塊と言っても過言ではないその精密機械を! 震える指先は都合の良すぎる展開に自分でも戸惑っていたからだ。住宅街。街燈の明かりだけが均等に並ぶ道を、タクシーは静かに走っていく。細切れな光が、エレンの横顔を照らしていた。
「……良いのか?」
 さっきまでアルコールで満たしていた口内が、いまは乾いてカラカラだった。ひりついた咽喉から、擦れた低い声がする。仕留めた獲物を前にした肉食動物の唸り声だ。まさしく俺の声だった。
「いいですよ。あなたになら」
 エレンの長く無骨な手のひらが、そっと俺の股間を撫でさすった。短く切りそろえられた爪先が刹那光る。
 酔ったうえでの行為だった。だがもし酔っていなかったとしても、その誘惑に抗えただろうか。エレンの長い指先。ちらりとのぞく手首に嵌められたシルバーの腕時計。鎖骨から肩のラインがスッと通っている。衣服からも、含み笑う吐息からも、たらふく飲んだ酒の臭いがする。上目使いのまなじりは濡れていた。男だった。だがリヴァイの目にはなんの問題も映さない。とびきり魅力的なまなざしを湛えた男。すぐにでもリヴァイの雌にしたいと、いっそ暴力的な衝動に駆られる。
「アハ、大きくなった」
 ひそめられた声の、そのはしゃいだ声を暗い車内で聞いて、リヴァイは悟ったのだ。たとえアルコールの見せた幻でも構わない。この男に人生を狂わされたいと。

「あっ、あん……! はげし、あっ、そこぉっ」
 鍵のかけられていない玄関先で、破る勢いでエレンの衣服に手をかけた。エレンも負けじと俺の胸倉を掴むようにして、キスを仕掛ける。フローリングに二人して倒れこんで、暗い廊下でもつれあう。ローションも道具もないエレンの処女地を、お互いの精液と唾液だけで柔らかくほぐした。
「ん……! ぁ、あっ! まじかよ、ケツ、きもちい、イイよぉ……!」
 初めて男に掘られたというのに、エレンはうつぶせて尻を俺の前に差し出した状態で咽び泣く。あまりの気持ち良さに頭を振れば、涙と汗はパタパタ散ってフローリングに落ちた。
 ぎゅうぎゅうと容赦なく締め付けるエレンのアナル。リヴァイの肉を美味しそうに食んでいる。摩擦でぽってりと腫れたアナルの縁は、リヴァイの肉棒を迎え入れて限界まで開かれていた。泡立つ精液が蟻の門渡りを伝って陰嚢、勃ちあがってぷらぷらと揺れているペニスまで濡らす。皮から露出した性器の先を、リヴァイは爪先を当てるようにしてくるくると責め苛んだ。
「やあぁ! やらっ! なんでぇっ、あたまおかしくなっちゃう……」
 後ろから肉を詰め込まれて律動され、前も執拗に敏感な部分をいじくられる。体の逃げ場をなくすような刺激に、エレンはビクビクと震えた。快感の余地があるのなら、余さず徹底的にやるべきだ。なぜならエレンはこんなに淫乱な体をしているのだから。リヴァイはエレンと出会ってまだ数時間ほどの付き合いだったが、その短くも濃密な交わりは、彼の持論を確信させるには十分だった。
 汗に濡れたうなじに張り付く青年の猫毛を、リヴァイは鼻先でかき分けた。産毛のように柔らかな生え際の髪。俯く頭を支えるように、髪の間から丸く骨が突き出している。骨格に沿って、リヴァイはベロベロと舐めた。しょっぱい。
「、ひゃぁっ、ん、あぅ」
 いま、エレンの汗を舐めているのだと思うと、リヴァイは酩酊したように頭がぐつぐつと煮えてくる。興奮が体中を支配して、下半身がぐっと重い。
「エレン、次はどこがイイ?」
 先端ばかりを苛められて我慢汁を垂れ流すエレンのペニス。その根元をきつく掴んで、リヴァイは小刻みに腰を動かした。
「どこを気持ちよくされたいんだ……?」
 エレンの汗と、己の唾液を塗り広げるようにして、耳の穴をねぶった。こめかみから止めどなく汗が流れ、伏せられた睫毛にも涙が散らばっている。口元は涎にまみれ、受け止めきれぬ快感の息をせわしなく吐いている。
「あっ、わかんな、も、むりぃ……!」
 頭を打ち振って拒絶するエレン。過ぎた快楽にか、リヴァイの責め苦にか。だがリヴァイの眼光は、追いつめられた獲物を見て爛々と輝きを増す。
「なら俺が勝手に動くぞ」
 ぐちゃぐちゃに掻き混ぜられてもなお歓喜に咽び泣くエレンのアナル、そのふくらみを先端で執拗に突いてやると、エレンは堪らず悲鳴を上げた。
「やらぁ! り、ヴァイさ、んっ、いじわるっ、しない、れぇ」
 カリカリと短いつま先がフローリングの床を引っ掻く。深夜の暗闇の中で、ときおり月明かりの細かな光を反射してチラチラと光る。エレンの爪。産毛の淡い反射。濡れた唇。まつげの雫。汗に濡れたなまめかしい裸の背中。
「優しい俺がお好みか? 意地悪は嫌か?」
 ぎゅうと強くせき止められたペニスを握る。エレンの腰はリヴァイの怒張した肉から逃げたいのか、それともその肉を味わいつくしたいのか、ゆらゆらと揺れ続けている。
「ヒッ! あぁん! どっちも! どっちもしゅき! リヴァイさん!」
 もはや問われた意味も理解できていないだろう。それだけしか分からないみたいに、エレンはリヴァイの名前を呼び続けた。
 エレンのすべての言動が、巧みにリヴァイの心を煽る。いまやエレン・イェーガーという存在において、リヴァイの心を捕えない要素などなにひとつなくなってしまった。
「ハッ! 欲張りだな。……エレン」
「あぁっ! リヴァイさん! リヴァイさん!」
 貪欲にエレンはリヴァイを求める。エレンの欲望に応えて、ひたすら己を注いでゆくこの快感!
 禁断の果実だったのだ。エレン・イェーガーは。一度でも口にしてしまえば、もう手放すことなどできない。あれもこれも、もういちど、なんかいでも。火のついた欲望は燃え盛り続ける。
「エレン! エレン……!」
 その名前だけ。それ以外の言葉を忘れてしまったのはリヴァイのほうだった。熱く締め付ける肉の器に、リヴァイは何度も精を放った。
 うすらと明けゆく夜の終わり。しらじらと空が明らむ。眩い光に包まれて夢うつつに彷徨うエレンに、リヴァイはひとことだけを告げた。
「こんどはお前が次を決めてくれ」
 楽園のようだったアパートから出て、リヴァイは早朝の空気を吸い込んだ。凍てつく空気が、リヴァイの肺をいっぱいにした。
 あの饐えた臭いが苦手だった。生暖かく湿った感触も。それがいまや、こんなにも名残惜しい。次なんてないかもしれない。リヴァイは思った。彼がリヴァイを望むのか。リヴァイには確信が持てなかった。向こうは酔っていたのだ。一夜の過ちで終わってしまう可能性は大いにある。だが、確かなことがひとつだけ。それはリヴァイの人生が、このたった一夜でまったく変わってしまったということ。
 百八十度方向転換した人生が、更に急転直下の展開を見せるのがその数時間後のこと。掌におさまる液晶に表示された名前。エレン・イェーガー。「次」は、リヴァイが想像するよりもずっと早く、そして息もつかせぬほど強引に、怒涛の勢いでやってきた。



 セックスの何がそんなに良いのだろう。裸になって無防備になって、自分の弱点を他人に晒すようなこと、どうして好き好んでできるのか、そんなことが不思議でならなかった。思えば対人に対して、潔癖なところがあったのだと思う。慣れあいたくないのは、人に傷つけられるのを恐れたからだ。どうしようもなく臆病な自分がいて、傷つきたくないから、弱みを見せてはいけないのだと思い込んで、人との関わりを避けていた。
 そんな自分だからこそ、数こそ少ないが気の置けない仲間ができたのは僥倖なのろう。久しぶりに会った馴染みの友人と飲む酒は楽しくて、アルコールで箍が外れるままに、普段抑圧しているものを解放した。飲んでいたはずが酒に飲まれていて、呆れた友人を置いて、見ず知らずの男性に絡みに絡みまくった記憶は残念ながらおぼろげだ。そのまま初対面の男となりゆきでセックスしてしまうなんて、素面のときでさえ、とても想像できることではない。だがエレンは年の離れた同性の、見ず知らずのサラリーマンと自宅の玄関でセックスをした。誘ったのは自分だったことも、なんとなく覚えている。
 そして初めてのセックスは、これまでの殻に閉じこもった自分の価値観を徹底的に壊してしまうに十分な威力を持っていた。
 裸になって無防備になって、自分の弱点を捕食者の前に曝け出している。いままさに食べられるのだと認識した瞬間の、あの凄まじい興奮は! 恥ずかしい体勢をみずから取って、いちばん柔らかくて弱く敏感なところを、自分の手で差し出していた。どうぞ召し上がってくださいと。たくさんいっぱい嬲ってほしくて。傷つきたくないから意固地になっていた、いままでのオレは何だったのだろう。ひとつ残さず貪られる快感を、エレンは知らなかったのだ。セックスが、こんなに気持ちのよいものだったなんて。

 母がいなくなったのは、エレンが十を数えたときだった。大好きだった母がある日突然いなくなって、エレンはどうすることもできなかった。いまでも、なぜ母がいなくなったのか、生きているのか死んでいるのかも分からない。自分は捨てられたのだろうか。あの優しく美しかった母に。母の焼いてくれたパンケーキが大好きで、もう味わうことのできないパンケーキがエレンは大嫌いだった。失われた愛情。もうこれ以上奪われることのないように多くを持とうとしなかったのも、エレンの心を守るための自衛だったのかもしれない。
 リヴァイと嵐のようなセックスをしてから、再び彼と会った日。エレンはパンケーキを注文した。その温かく甘いパンケーキを口にするのは、随分久しぶりのことだった。
 エレンが大嫌いなパンケーキを食べようと思えたのは、リヴァイとのセックスが原因に他ならない。他人に傷つけられるのが怖いから、深く人と関係しなかった。それなのに、あの夜、エレンはリヴァイになら食べられても良いと思った。いや、違う。食べられたいと願っていた。汗でぬるつく屈強な体に押しつぶされて、尻の穴にその凶器を奥まで突きたてられてもなお、もっともっと欲しいと心が叫んでいた。自らの肉を従順に捧げながら、同時に彼の肉をいっぱいに与えられる。この時間がいつまでも続けばいいのにと、バカになった頭で本気で考えて、月明かりが細々と照る廊下の暗さに安堵した。朝など来なければ良いのに。だが朝は来て、リヴァイはエレンに次を託した。はやる気持ちでスマートフォンを握る指先が震えた。彼に会いたかった。彼になら傷つけられてもいい。奪われてもいいのだと、そう思えたリヴァイだからこそ、エレンは何も知らない彼の前でパンケーキを食べた。
 それからリヴァイとは、セックスしている。もう両手の指では数えきれないほど。
「エレン、うまいか?」
 ソファに腰かけるリヴァイの足の間に陣取って、エレンは彼に奉仕していた。口いっぱいに男の勃起したペニスを頬張る。初めてセックスしてから、この男とはたくさんのことをしてきた。一緒に食事を共にしただけではない。ベッドの上で、ときには待ち切れなくて風呂場やリビングで、互いの体温を貪りあうようなことをしてきた。その中でも初めてしたフェラチオは、恐らくエレンが女性と付き合っていたなら一生覚えることのなかった恍惚だろう。
「んぁ、……おいひいれす」
 塩気ともえぐみともつかない独特の味が口内中を満たしている。鼻から息をするたびに生臭さがついてまわる。だがエレンは、母がエレンのために作ってくれたパンケーキと同じくらい、この味が好きになっていた。舌で竿を圧迫しながら、咽喉奥で先端を締め付ける。
「そうか、っよ!」
 ぐっとリヴァイの太ももが強張ったのを手のひらで感じ、そのすぐ後に精液がドクドクと注がれた。エレンは目を閉じて、その熱い飛沫が咽喉をくだって胃の腑へ落ちていく感覚に酔いしれる。
「んっ、いっぱい、でましたね」
 熱く息を零したエレンの口元に、リヴァイの無骨な手が下りてきて、親指で唇を拭った。 「ついてる」
 自分の出したものを、エレンの唇についていたものだからと平気で口にするリヴァイに、エレンは下腹部が切なく疼くのを感じる。
「リヴァイさん、次は何をシますか?」
 自ら身に着けていた衣服をはだけさせながら、エレンは彼の膝に跨った。
「行儀が悪いな」
「お上品なほうがイイです?」
 目元にかかった前髪を払い、晒された瞼に口付ける。ちゅっと可愛らしいリップ音を響かせるお茶目付きだ。
「まさか。てめえがお行儀よく俺を誘えたことがあったか」
「さあ? もう忘れちゃいました。だから教えてくださいよ」
 悪戯な指先はシャツ越しにリヴァイの乳首をいじくる。リヴァイは目を細めた。そのまなじりは、興奮して血の気が増したのか、薄く赤らんでいる。
「まだ食えるな」
 エレンのなにもかもを奪っていくその手が、腰に回される。背骨を伝って頭の先まで、ゾクゾクと寒気が走った。なのに肌の表面からは、熱に浮かされて汗がどんどん湧いてくる。エレンは笑ったと思う。歓喜は心を充溢し、やがて顔の筋肉まで動かすものだ。だからきっと、それを正面から見たリヴァイは舌なめずりしたのだろう。
「はい。もちろんです」
 骨ひとつ残さずに食べてほしい。奪ってほしい。そしてひとつも余すところなくまたリヴァイもエレンに与えてほしい。その熱も、彼の嗜虐心も征服欲も、すべてエレンが飲み込んで、自らの下腹に埋めなければ。
「ならたくさんな」
 リヴァイが低く、獣のように囁くのをエレンは万感の思いで聞く。
「……それなら良かったです」
 もう母の作った懐かしいパンケーキの味を、エレンが思い出すことはないだろう。

















2016/9/29
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