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花丸をあげるね





 わざわざ演習場まで出向いて何をするのかと思えば羽子板。いそいそと板と羽根を取り出したナルトに、正月早々呼び出され集まった第七班メンバーの反応は一様に微妙なものだ。
「羽子板なんて子どもの遊びじゃない! そんなことよりサスケくんと初詣行きたかったのに!」
「羽根なんて飛ばして喜ぶのはお前ぐらいだ。ウスラトンカチ」
 子どもらしくなく不満たらたらなサクラとサスケに、カカシはこっそり溜め息をつく。ナルトが目に見えて狼狽える様子を見せると、胸が痛んだ。
 年が明けて早々、あけましておめでとうと言ったその直後、ところで何が「あけまして」めでたいんだ?とこっそり訊いてきたナルトが、このような遊びを知っていることにも、進んで第七班のメンバーを誘うことにも珍しいと思うだろう。季節ごとの行事やその意味を教えたのはカカシで、いままでとんと縁のなかったナルトがその話に目を輝かせて飛びついたのは無理もない。カカシとしては、正月は正月らしく寝正月としゃれこみたかったのだが、ナルトが自分がしたいと思ったことを同世代の少年少女にも誘いをかけたことには多大な意味がある。
「お前ら、そんな連れないこと言わないの。ま! これもチームワークのためだよ」
 大いにお節介をかいてそのようなフォローをしてしまうのも、なにもナルトかわいさのためだけではない……はずだ。カカシだって、首尾よく年末からナルトを自宅に引っ張り込めたのだ。チームワークより先に深めたいことだってあった。年明け早々教師面なんてまっぴらごめんだと思っていたのに……ねぇ?
 水分を含んできらきらと輝くナルトのまなこが、カカシの言を得て不承不承のていで羽子板を手にするふたりを見て、パッと輝く。
「オレってばクジも作ってきた! これでさこれでさ、対戦相手決めるの!」
 オレ頭良いだろ!と自慢げに胸を張るナルト。ひとりぼっちの部屋でなにもすることがないと無為な時間を過ごさせる前に、この子を部屋に引っ張りこめたのは正解だったなとカカシは実感する。多少の想定外もいいだろう。楽しそうな子どもたちの姿を見るのは、カカシとてやぶさかではない。
 そうして厳正なるくじ引きの結果、一回戦はナルト対サスケの白熱した試合となった。最初こそやる気のかけらもなかったサスケだが、勝負事となれば手は抜かない。相手がナルトならなおさらだ。ナルトはナルトで当然、持ち前の負けん気の強さを対サスケ用に何倍も膨らませて挑むから、熱い戦いになるのは当然だ。忍術は禁止なので、純粋な体力や反射神経のみのこの勝負、体術の覚えもめでたいサスケが優位になるかと思いきや、ナルトの粘り強いラリーによって一進一退の展開になっている。
「サスケくん、がんばれ〜!」
 サクラは当然のようにサスケを応援し、カカシは声には出さずとも内心でナルトにエールを送っていた。えこひいきだと言いたければ言うがいい。口にしなければいいのだ。
「やった〜! 流石サスケくん! 当然よねっ」
「くっそ〜! サスケなんかに〜!」
「フッ。ほざいてろウスラトンカチ」
 サクラの喜色に満ちた高い声が青い空にこだまする。惜しくも羽根を受け取り損ねたナルトに、勝負の行方もついたようだ。
「はい。じゃ、ナルトは罰ゲームね」
 そうしてカカシが取り出したのは、筆。
「げっ! なにすんだよ、カカシ先生!?」
「負けたほうが顔に墨塗られるんだよ。ジッとしててね」
 古来からの敗者への罰だが、本来なら敗者の顔に墨を塗るのは勝者の特権である。それを分かってるはずのサスケは目を剥き、サクラも首を傾げる。知らぬまま言いなりになっているナルトのほっぺたに、カカシは大きくぐるぐるを描いた。
「くすぐって〜!」
 けらけらと笑うナルトの顔には花丸。
「なんで花丸? ふつうはバッテンとかじゃないの?」
 サクラの疑問も当然だろう。
 カカシはナルトの目線に合わせて微笑む。これは“先生”のする顔じゃないと、知っているのはナルトだけだ。
「ん〜、ナルトは諦めずになんども羽根追いかけて頑張ってたからねぇ、そのど根性に花丸ね」
「へへっ」
「もう! カカシ先生はナルトに甘いんだからぁ」
「……チッ」
 思ったことを、口にしなければそれは“思ってない”も同然だ。そうかたく信じていたときが、カカシにもあった。だが言わなければその感情をなかったことにできるなんてとんだ詭弁で、それに気付かせた張本人は今日も正直に思ったことを言う。
「カカシ先生、大好き!」
 飛びついたナルトのせいで乾ききっていない墨がカカシの服にもついたが、もとより黒い生地なので気にならなかった。完全にエコひいきだ。だが今日はまだ正月。第七班の担当教員はまだお休みなのだ。



「正月……全然休めなかったってばよ……!」
 玄関に入った早々、ナルトは肩で息をしながらそう言った。
「そうだねぇ。新年会に祝賀会にあいさつ回りで、三が日は今日で終わり。明日から通常業務だな」
 淡々と事実を述べれば余計に疲労感が増したのだろう。ナルトはがっくりと肩を落とす。六代目火影と里の英雄。新年のお祝いモードに、顔を出さなければならない場は数知れず。やっと解放されてふたりの家に帰りつけば、日はとっぷり暮れている。
 ナルトは酒臭いいきのまま、どさりとベッドに倒れこんだ。
「こら、礼服皺になるぞ」
「ん〜……」
 窘めても反応は薄い。やれやれ。カカシはとりあえず自分の服だけは脱いで簡単につるし、飲めや歌えやの連日の騒ぎでやっとぐったりできたナルトの服に手をかける。
「……カカシ先生のえっち」
 擦れた声で言われれば、明日からも朝早く仕事だというのに、カカシの胸はざわつきだす。
「あんだけしこたま飲んで、オレもお前もたたないでしょ」
「カカシ先生が〜?」
 間延びした声で、ナルトがけたけた笑う。ベッドの上を共有するものとして、「たたない」だなんて、とんだ冗談だとでも思っているのだろうか。まあ、この子と共有した夜は長く、オレも若かったからねぇ……としみじみと手だけは動かす。そうすると、ナルトのポケットから小さな筒状のものが転がりでてきた。
 色つきのリップクリーム。ナルトもカカシも縁のないそれは、いまどきコンビニに行けばすぐに手に入るものだ。連日連夜のお祭り騒ぎにはめをはずしたナルトが、間違って買ったもの。もともとそんな性分ではなかったのに、ナルトが唇のケアを怠らないのはまぎれもなく不届きな先生であったカカシのせいで、いつもはいちばん安いしゃれっ気のないものを買うのに、酔っぱらって買ったのがこの真っ赤な色のするリップクリームだ。
 成長してカカシと同じぐらいに大きくなったナルトから服を脱がすのはたいへんな労力だ。本人が酔い潰れて協力的でないなら尚更。カカシがナルトの体に跨っていたのもそのためで、そこに深い意味はなかった。……ナルトの服から零れ出たそのリップクリームを目にするまでは。
 カカシはおもむろにそのリップを手にすると、外出時はいつも覆っているマスクを下ろした。露わになった口を緩く開けて、ナルトに見せ付けるようにその朱を自分の薄い皮膚に塗っていく。
「なんか、えろいってばよ……」
 酔って潤んだ瞳がカカシを見上げる。カカシは薄暗い室内で、月の光を受けて横たわるナルトに微笑んだ。
「ナールト」
 甘ったるい声でその名を呼び、真っ赤になった唇で頬に口付ける。するとナルトの肌には、赤く情熱なキスマークがついた。
「里内外からたくさんの人と挨拶して、酒飲んだり食べたりして、疲れたろ。お疲れ様」
 本当はこの青年が、見た目の人懐っこさよりも人見知りするのを知っている。
「頑張ったお前に、先生が花丸あげるな」
「……キスマークが?」
 ナルトに見せつけるように、リップクリームを更に塗りたくる。この際、唇からはみ出ていようが気にしない。そんなこと、すぐにどうでもよくなるからだ。
「オレからお前の、お前だけの特別な花丸だよ」
 せっかく健やかに新年を迎えられたというのに、仕事続きで十分に休めていない不満が、当然カカシにもあった。そしてカカシにとっての休息とは、単純に寝て体を休めるというより、目の前の愛し子をとことん愛することに意味が変わってしまって久しい。
「お前が教えて。こんどはどこに花丸をつけられたい?」
 月明かりのみの部屋で、ナルトが震えた息を吐く。その顔は赤く、アルコールやカカシのつけた花丸の朱とは違うものだ。
 その口が開き、艶めいて光るのを、カカシはうっとりと見つめた。

















2017/1/7
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