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「親愛なるアメリカ合衆国へ」





ニューヨークで会議が開かれる前日、俺はアメリカの家にいた。理由はなんてことない、下心だ。俺はアメリカに執着していて、アメリカは俺のものにならないかと常々思っている。しかしアメリカが俺の植民地だった頃は昔の話で、アメリカは俺から独立し今や大国となっていた。そんな状況で俺のものになれもない。だから俺はアメリカを抱きたかった。そういう意味で俺はアメリカが好きだったし、何か機会があればアメリカを性的な意味で征服できるんじゃないかと、その機会を窺っているのだ。俺の可愛いお馬鹿ちゃんはそんな俺の下心なんて気付きもしないで、皮肉と一緒に俺を招きあげたというわけだった。
「君は会議の前日まで俺に小言を言うのが趣味なのかい?」
わざわざ紳士らしくアポイントをとって訪ねてきた俺に向かっての一言がこれだ。
「ちげーよ、ばか! お前がちゃんと会議の予習してるか確認しに来ただけだかんな!」
「わお。イギリス、有難迷惑って日本語知ってるかい?」
うるせー、ばか! と一通りの挨拶とは呼び難い挨拶を終えて、リビングに通される。昨日今日に掃除でもしたのか、部屋には雑然と物が置かれていたがまあ片付けられていた。それにまず小言の出鼻を挫かれる。くっそこいつ片付けやがって。理不尽な怒りが胸中に飛来する。アメリカの部屋の汚さに一言二言文句を言ってやるのが、俺の生き甲斐の一つだと言ってもいい。不機嫌な顔のままソファーに腰かけると家主はコーヒーでも淹れてくるらしい、ぶつぶつ言いながらキッチンに引っ込んでいった。
「で、君本当は何しに来たんだい? まさか本気で俺と明日の会議の予習でもしようっていうのかい?」
香ばしい匂いのコーヒーが運ばれてくるなり、アメリカは開口一番でそんなことを言った。
「生憎本気だ」
俺がそう言うとアメリカはなんだかがっかりしたような顔になる。こいつはそれこそ本気で俺が遊びに来たなどと思っているのだろうか。それなら可愛いし、笑える。
「事前に各国に配られた会議の概要があんだろ? 持って来いよ」
アメリカはそこでため息を吐いた。まるでおっさんの我が儘にしょうがないな付き合ってあげるよと言わんばかりのため息だった。
「書斎にあるよ…。あ、ちょっと失礼」
書斎に向かおうとしたアメリカの足を止めさせたのは、着信を知らせる呼び出し音だった。アメリカは廊下に出てしばらく話していたが、やがてひょいとこちらに顔を出してスマートフォンを手で押さえるようにして、俺に話しかけてきた。
「さっき言ってた会議の資料、ちょっと持ってきてくれないかい? 今必要になったんだぞ」
自分で取りに行けば良いものを、今アメリカはそれどころじゃないらしい。さっと、耳元にスマートフォンを押し当て、やかましく何か話しだしている。
なんで俺がお使いの真似事みたいなことしなきゃなんねぇんだよという気持ち半分、しょうがねぇなという気持ち半分で、俺は腰を浮かした。書斎までの道のりは分かっている。生憎掃除はここまでできなかったらしい、散らかった書斎にたどり着くと俺は家主の許可を得たこともあり、気兼ねなくその部屋を観察した。本棚にラック、書き物机と大したことのない配置だったが、ここでアメリカがこまごまとしたものをやっつけているのかと思うと、妙に興奮した。盗撮カメラの一つでも置きたいぐらいだ。俺は邪な考えで頭をいっぱいにしながら、机の方に目を向けた。そこには書類が山となって置かれていて、ここから目的の資料を見つけ出すにはちょっと難しいのではないかという量だった。ため息を吐く。一、二時間はアメリカに説教をしたい気分で、目的のものを探し始めた。ここでアメリカに文句を言いにとって引き返さないだけ俺も紳士だなと思う。
それを見つけたのは偶然だった。うんざりしたまま書類の束をひっくり返していると、ひらりと便箋が落ちてきたのだ。Dearから始まって続いた知らない女の名前に、人の手紙を読むなんて失礼だということも忘れて、その文字を追う。アメリカに関して言えば、この手の常識は俺には通用しない。己への自信が滲み出る筆跡は確かにアメリカのものだった。普段はおおざっぱな筆記体を書くくせに、妙に丁寧な字で書かれたそれは、まさしくラブレターだった。あのアメリカが! 女への! ラブレター! 俺はそれを読んでいくうちに愕然とした。アメリカに好きな女がいることにも驚いたが、アメリカがその女にラブレターを書くというのも衝撃的だった。らしくない。俺はなんとかその文面を三回ほど読むと、無言でラブレターをポケットにしまった。何事もなかったかのように、資料を探すことに没頭する。それからしばらくして、やっとの思いで見つけた資料を片手に、確かな足取りで俺は書斎を後にした。
廊下ではアメリカはまだ電話を続けているようだった。無言で資料を渡すと、小声で「サンクス」とお礼を言ってくる。これは長くなりそうだなと、資料をめくり始めたアメリカを見て思い、俺はリビングに入りソファーに腰かけた。そして、アメリカの書きかけのラブレターのことを思う。
手紙を盗んだのは、見も知らない女にアメリカのラブレターを渡したくないからだった。アメリカが書き直せばいずれ女の手にラブレターは渡されると思うが、それでも初めて書くんじゃないかと思われるほど手馴れていない、この拙いラブレターをイギリスは所持していたかった。これはアメリカの弱みだ、イギリスは直感的に思った。先ほどイギリスはいずれラブレターはアメリカの好きな人に託されると思ったが、今一度考えてみると、どうにもそうならないような気もするのだ。理由は一つ、アメリカがラブレターを渡すなんて、らしくないのだ。アメリカならその好意を直接女性に伝えるだろう。ラブレターなんて、回りくどいことをしないで。このラブレターはどちらかというと、彼女への思いが溢れてしまって仕方ないので、自分を落ち着かせるためにも書いてみた、そんな感じだ。そう思うと、やけにポエティックな表現が多いことにも、説明がつく。どこかの髭野郎じゃあるまいしアメリカはこんな内容のものは素面では渡せないだろう。そうするとこれは、アメリカの表には出さない秘めた思いだ。ラブレターという体裁をもっているものの、誰にも見せたくないだろうアメリカの宝石みたいな素直な気持ちだ。それを俺が、俺だけが知っている、握っている。そう思うだけで、興奮は止まらなかった。これをうまく活用すれば、アメリカに深い杭を打ち込むことができるかもしれない。俺はアメリカを性的な意味で好きだったが、アメリカにトラウマを植え込むことも性的な快感を覚えるくらい好きだった。大切にしたいんじゃない、俺はアメリカに復讐したいのだ。勝手に独立した裏切りへの復讐込みで、俺はアメリカを愛していた。
アメリカの電話は長いことかかり、そのお詫びに泊まっていかないかいという誘いには、俺は丁重に断った。アメリカのラブレターに書き連ねていた愛の言葉を暗誦しながら(俺はもうその内容を暗記していた)、襲ってしまいそうな気がしたからだ。それはまだ時期尚早というものだった。今はまだ、俺がアメリカのラブレターについて知っているということも隠していなければならない。俺は明日は寝坊するなよということだけ言うに留めて、アメリカ宅を辞した。

会議が終わってロンドンへ帰ってきた俺は、早速アメリカのラブレターの件にとりかかった。その処遇は、会議中にじっくり考えて決めてある。俺はアメリカのラブレターに返事を書くことにした。俺は間昼間から書斎にこもり、アメリカへの返事をどうしたためるか熟考した。あまり使わないラップトップのパソコンを引きずり出して、考え込む。手書きではなくてワープロ打ちなんて情緒の欠片もない方法をとるのは、差出人が誰なのか分からなくするためだった。ストーカーや脅迫者が手紙を作成するかのような背徳感を味わいながら、俺は遅々とキーを打っていった。Dear United States of Americaから始め、アメリカの穂麦のような髪を称えながら時節の候を述べる。挨拶にしては少し長すぎるようだが、アメリカの美しさの一部分を発露できたので良しとする。それから、先日はラブレターをくれてどうもありがとうと書いた。アメリカの渡したはずのない、それどころか書きかけのラブレターだ。その一語一句を時には正確に引用しながら、自分もアメリカの好意を大変うれしく思う旨を伝える。そして始まるアメリカへの美辞麗句だ。俺は、どんなにアメリカを美しく思っていて、その存在に神に感謝さえしていて、アメリカのことを良く思っているか、言葉を尽くして書いた。深海の底から、晴れ渡った空から、宇宙の深淵までも引き合いにだしてその瞳の色について語ったし、丸みを帯び、陶磁器のように滑らかな頬、きりっと通った鼻筋、チェリーのように艶やかな唇、その顔がどのように魅力的な引力を以て俺に働きかけるかを熱心に説明した。これではまるで本当にストーカーのようだと自嘲する。しかし俺は無我夢中でアメリカの容姿を褒め称え、俺にアメリカがどう思われているかを書き綴った。アメリカの独立から派生する複雑な思いまで書けないことは残念だった。その執着を見せつければ、それこそアメリカは震えあがっただろうに。最後の行はストレートに愛の言葉にした。俺は世界中の誰よりもアメリカのことを愛している。そう書いてアメリカへの返事は完成した。印刷した紙を手袋をした手で丁寧に折り畳み、封をする。
この手紙を誰にもばれずにアメリカの家へ送り届けることが肝心だった。俺は三日三晩ありとあらゆる方法を模索し続けて、結局は妖精に頼み込んだ。俺の必死な嘆願が功を奏してか、悪戯好きの妖精が一匹、その案に乗ってくれた。ラブレターの返事をアメリカ宛の他の手紙に混ぜてくれるらしい。俺はほっと胸を撫で下ろした。これで足がつくことはないだろう。アメリカには、誰がこの手紙を出したのか分からないはずだ。もとよりアメリカは妖精の存在をはなから信じていないのだから余計だった。
ただ一つ。残念で、そして悔しくて堪らないことがある。それはラブレターの返事を読んだアメリカがどんな反応をするのか、俺には見れないということだ。まさか本当に監視カメラを忍ばしておくわけにもいかない。俺はアメリカがどんな反応をするのか空想を膨らませながら、アフタヌーンティーを楽しむことにした。アメリカに、どこかの女へのラブレターを書いたことでトラウマを植え付けることができたなら、こんなに愉快なことはない。



アメリカがその手紙に気付いたのは久しぶりに遅くまで仕事をしていた日の夜だった。宛先はアメリカの名前のみ記されていて、住所どころか切手も消印もない手紙に疑問を抱いたのだ。何気なく手に取った手紙は、どこにでも売っていそうな質素なもので、あまりにも普通すぎて逆に少し不気味だった。無意識に恐る恐る封を開けると、そこには変哲もない一枚の紙に異様にぎっしりとアルファベットが印刷されていた。ごくりと唾を飲み込んで、その手紙を読む。途中まで読んで、アメリカは戦慄した。いつか失くしてしまったと思っていたラブレター(アメリカにとってはそのラブレターを意中の女の子に送るつもりは毛頭なかったが)の、その返事だった。何故こんなものがここにある? あれは、あのラブレターとも言えないものは、アメリカ以外の誰かの目に触れていいものでは決してなかった。あれにはアメリカの正直すぎる思いが赤裸々に書いてある。それを誰かに見られ、あまつさえその返事すらも寄越してくるなんて。アメリカは青ざめた。手紙は気持ち悪いほどアメリカへの思いが綴られている。正体不明な誰かに、こんなことを思われていたのかと思うと、ぞっとした。今すぐ上に掛け合って、この手紙の差出人を突き止めるという考えがアメリカにはなかった。証拠として手紙を差し出せば、アメリカがラブレターにどんなことを書いたかも多少なりともわかってしまうし、こんなことで、こんな変態やストーカーに手紙を出されて震え戦く女の子みたいな反応をすることは、ヒーローとしての自覚がある自分が許すはずもなかったのである。それにしてもアメリカのラブレターもどきの手紙に比べると、この返事の方がよっぽどラブレターらしかった。その気味悪いほどの情熱は、アメリカの記した稚拙な文章など足元にも及ばない。アメリカはその情熱を持った誰かを恐ろしく思う。そしてもう、今後一切、誰にもラブレターは書かないと心に誓った。アメリカは、こんな気持ち悪いものはもう視界に入れたくないというばかりに、わざわざキッチンに向かって、その手紙を焼き捨てた。焼き捨ててしまった。これでもう、この手紙を書いた誰かの足跡を辿ることはできない。犯人を追うことはもうできないのだ。しかしアメリカはそれでも良かった。ヒーローらしくないと言われても、この犯人を捜しあてることはしたくなかった。ただ、便箋を開いたときにほのかな紅茶の香りがして僅かな引っ掛かりを覚えたが、アメリカは深く考えずにその手紙を抹殺した。







親愛なるアメリカ合衆国へ






2013/2/2
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