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「アニキが好きだ」とシモンは言った。

「いつもの」

シモンの執務室は一面がガラス張りになっている。今日のような夏の盛りの激しい日中は、特に眩しい。陽光がじりじりとシモンの肌を焼いていくようだった。しかし執務室はまばゆい陽光ばかりで、その灼熱までは届いてこない。快適な空間。不愉快な書類の山。眩しいだけの部屋で、シモンは一人、ぽつりと呟いた。
「アニキがいないと生きていけない」
それは真実であったし、真実でなかったが、シモンにとってはどうでも良いことだった。彼にとっては、今、カミナが自分の目の前にいないことが真実であり、重要なことだった。
「そんなこと言ってどうする?」
不意にシモンが問いかけた。その声はなにかに怯えているようでもあった。
「そんなこと言って、アニキに嫌われたらどうする?」
アニキがいたとしてもいなくても、シモンのアニキはシモンの心の中にいるたった一人のアニキだ。そのアニキにまで、自分が嫌われるようなことがあったらと思うと、それは酷く恐ろしいことだった。
「アニキが俺を嫌いになるはずなんかない」
シモンは言った。
ペンだこのできた手が書類の上に無造作に置かれている。太陽が中点を差したことで、その影が一層濃くなった。
この手は昔、ドリルを握っていたはずなのに、いったいいつのまにペンを握るようになってしまったんだろう。サイン済みの書類の束を見ながらシモンは思う。
それでもアニキは、こんな自分を、穴掘りシモンではなくなった自分を、嫌いにならずにいてくれるだろうか。
アニキなら大丈夫だとシモンは思ったし、アニキにも流石に見放されるんじゃないだろうかともシモンは思った。
「馬鹿だな」
シモンのあざ笑うような声が、白い光の中の執務室に響く。
「アニキに嫌われるかどうとか、当のアニキがもういないっていうのにさ」
禁忌の言葉だった。その言葉を発した途端、狂おしい気持ちがシモンを襲った。シモンは驚愕に目を見開き、シモンは絶望し、シモンはやるせなく俯き、一方シモンは信じたくないと言うばかりに耳を覆い、対してシモンは一心にカミナ像を見つめていた。
シモンが叫んだ。
「でたらめなことを言うな!」
「でたらめなのはお前だ!」
シモンがシモンに飛び掛かった。
「アニキは死んだ! もういないんだ!」
シモンがシモンにシモンはシモンをシモンの一喝。
間昼間の執務室にシモンの怒声が響く。シモンは嗚咽した。
「お前はアニキの死から逃げてるだけだろ!」
鋭い指摘だった。シモンも言葉に詰まるしかない。やがて、シモンは血を吐くように言った。
「アニキがいないなら、俺はどうすれば良いんだ…」
そんな中、一人気だるげに腰を下ろしていたシモンが溜息を吐いた。シモンはとても空虚な気持ちだった。
「別に、現実から逃げてもいいし、議論の続きをしてくれても構わないよ。どうしたってアニキがいないことは変わらないんだしね」
それは希望なんて一切ない言葉だった。何をしてもアニキはいない。その事実にただシモン達は打ち震える。拳を握りしめたまま俯くシモン。ドリルを探すシモン。みなシモンだ。シモンはみんなアニキがいないことに絶望している。



その時、執務室と廊下を隔てているドアからノックの音がした。「失礼します」と声とともに入ってきたのはロシウだ。
「おや」
「どうしたんだい、ロシウ君」
入ってきて早々、驚いた声をロシウはあげた。
訝しむことなく飄々と尋ねるシモンには、少しからかう声が混じっていて、ロシウはむっとした表情を一瞬だけした。しかしそれもいつものことだと悟ったのか、彼の表情はあまり変わらない。無表情だと言ってもいい。それは彼の冷徹さ、もとい冷徹になろうとする心持が透けてくるような表情だとシモンは思った。
つまりシモンにはロシウの心情などお見通しなのだ。
「いえ、話し声というか、言い争いあうような声が聞こえたので、てっきり誰かといるのかと思っていたら、お一人だったので驚いただけです」
「なんだ、ロシウ。お前疲れて幻聴でも聞いたんじゃないか」
明らかな揶揄の声に、ロシウは今度こそ不愉快を露わにした。シモンにとっては、なにかと堅苦しいロシウの肩の力でも抜いてやろうというつもりだったのかもしれない。しかしそんなシモンの思惑に後から気付くのがロシウだった。なので今のロシウはからかいをそのまま侮辱のように感じてしまう。シモンが今まで彼のことを侮辱したことなどないとわかりつつも、ロシウのコンプレックスはこういう時に刺激されてしまうのだ。
「もし僕が疲れているというなら、その原因は間違いなくあなたのせいですよ。シモン総司令」
ロシウはつっけんどんに言って、紙の束を執務室の机に乱暴に置いた。こういう所作を彼がするのは珍しく、だからといってどうとでもなく、シモンは「ちがいねぇ」と苦く笑った。
「ところで何か問題でもあったか?」
ロシウは米神が引き攣るのを感じた。問題などいつも山ずみだ。それを無視して聞いてくるのだろうか。ロシウはシモンを尊敬していたが、こういう楽観的な部分がいまだに苦手なのであった。
「まぁ、それなりに。ですがいつも通りといっても差支えないでしょう」
「そうか」
ロシウの皮肉に気付いているのかいないのか、彼は感情を読み取らせないぼんやりした表情で応えた。ぼんやりとカミナ像を見つめるシモンに、ロシウは眉間に皺を寄せた。 ロシウはシモンが何を考えているのか、よくわからない。でもそれは彼が総司令になる以前からそうだったのかもしれない。近くに全く奇想天外な人がいるから、隣にいるシモンの方が分かりやすかった、ただそれだけだったのだ。あの人がいないと、この人のよく分からなさが分かってくる。
シモンはゆっくり目を閉じた。
「全く以て、いつも通りだな」
そう言ってシモンは、ふふと小さく笑った。







いつもの



シモンさんの脳内会議。



2012/08/31
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