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失われた傷を求めて





 うだるような暑さの中、サイはひとりベンチに腰かけていた。最高気温が三十度を超える昼時に、多少の木陰があるといえど外でひたすら座し続けるなんて、サイ自身、正気の沙汰とは思えないことを自覚していた。任務中でも誰かと約束があるわけでもないのに、サイはひとり、外のベンチに座っている。止めどなく汗は流れ、目に入りそうになったのをサイは頭を振って回避した。目を閉じる。風の音すら聞こえない。ひたすら熱がこもっていく。
「サイ。こんなところにずっといると、そのうち熱中症になるよ」
 声をかけたのは、六代目火影として執務中であるはずのはたけカカシであった。
「六代目、どうしてここに?」
「散歩。お前は?」
 目の前に立つカカシは火影マントこそ羽織っていないものの、顔半分を覆うマスクから脛を覆うズボンまで黒衣であり、見た目からしてとても暑苦しい。それなのに、晒された顔の上半分は汗ひとつかいていない。
「考え事をしていました」
「なるほど。でもこんな外で物思いにふけるのは良くないと思うぞ」
「六代目、ボクの話を聞いてもらえませんか? 聞いてくれるだけでいいんです。自分でもよく分からない気持ちを、まとまりがなくても言葉にすることで、整理をつけられるようになると本で読みました」
 カカシは困惑げに頬を掻いた。
「そうだねぇ。お前が人の話を聞かないのはよく分かった。話を聞いてやるから、火影室に来なさい」
「ありがとうございます」

 冷房のよく効いた火影室で、「話を聞くのはまずこれ飲んでからね」と渡された麦茶を飲んだあと、サイは話を切り出した。
「この前、ナルトに会ったんです。テンテンの武器屋をうろついていたので声をかけました。ナルトはボクに意見を求めました。『今度のサスケの誕生日にあげるプレゼントは何が良いと思う?』ボクは答えられませんでした。どうしてでしょうか。ナルトが武器屋にいたのだから、適当にテンテンおすすめのからくり苦無を指差すことだってできたんです。でもボクはしなかった。その他の何物も。ナルトがサスケくんにあげるプレゼントを、ボクは一緒に選んであげることができなかった。六代目、ボクはナルトの友達失格でしょうか」
 長い独白を、カカシは静かに聞き、深い慈しみのこもった声で歌い上げるように答えた。
「ナルトがお前を友達として失格だと思うことなんて、絶対ないよ」
「そうでしょう。そうでしょうね。ナルトはそんなこと思わない。そんなことをナルトに思う方がナルトに失礼だ。だがボク自身は? ボク自身が、ナルトの友人としてふさわしいと、ボクは思えるでしょうか」
「どうしてそんなことを思うんだ」
 火影室の大きな窓に、青空が浮かぶ。ナルトのように澄んだ青、ナルトのように大きな空だ。彼の器は果てしなく大きく、地球まるごと包みこめてしまいそうだ。そんなナルトに対して、友である自分はなんて狭量な人間なんだろう。
「思わず、フと、考えしてしまったんです」
 この苦無はどうかな? 最新技術満載とポップに書かれた苦無を、ナルトは手に持つ。その右手に巻かれた包帯。失われた腕の代わりに、義手のはめ込まれたナルトの右腕。永遠に戻らないその右腕は、サスケとの戦いで損なわれたものだ。
「ナルトはサスケくんを取り戻すために右腕を失った。彼は帰ってきた。ナルトに救われて。そんなサスケくんが、これ以上ナルトから何を貰おうというんだろう。そう思ってしまった。嫉妬してしまったんです。ボクはナルトが、彼のために傷つくのを見てきた。ナルトは、彼のためになんでもあげてしまえるんじゃないか。ナルトの友達は、実はサスケひとりなんじゃないかって。ボクは……」
「サイ」
 深く朗々と、染みるような声だった。深い悲しみと慈しみを持って語りかける。カカシは、苦く笑っていた。その大空を背にして。
「大丈夫。君は、誰がなんといおうと、それが君自身の後悔の声だろうと、確かにナルトの友人だよ。誇っていい」
 そしてサイには聞こえぬように潜められたかすかな声で、こうも付け加えた。
「……それ以上を、誰も望むべきでないのかもしれないな」





 夏が去っても、まだ暑さの残る秋口のことだった。ナルトがひとりベンチに座っているのを、サイは見つけた。木漏れ日の降るベンチに腰かけて、その金髪は暗く輝く。上衣は黒で質素なのに、ズボンは明るいオレンジ色なのがナルトらしい色合いだ。
「ナルト。どうしたの」
 顔を上げたナルトは、どこか落ち込んでいるようだった。短く切ってさっぱりしたナルトの顔からは浮かない色が広がっている。露わになった額に影が落ちているのは、なにも頭上に落ちた木陰のせいだけではないのかもしれない。
「カカシ先生に誕生日のお祝いを断られた……」
「誕生日のお祝い?」
「毎年お祝いしてたんだ。そう約束したから。なのに、今年からはいらないって言われた。これ以上は望めないって」
 サイは、ナルトの言ったフレーズに覚えがあった。カカシがサイを不用意に傷つけぬように言った言葉は、胸の内に留めなかったばかりにサイの聴覚がとらえてしまっていた。
 ――それ以上を、誰も望むべきでないのかもしれないな。
 それはサイに対して言ったことではない。「誰も」とカカシは言った。カカシは誰かを非難して言ったのではない。「誰も」とは、カカシ自身のことに他ならないのではないか。
 ハッとした。サイの唇が震える。もしかしたら自分は、いちばん言ってはいけないひとに言ってはいけない言葉を言ってしまったのではないか。
 サスケのために右腕を犠牲にしたナルト。サスケはこれ以上をナルトに望めるだろうかと言った。
 カカシの左目は、戦時中に一度くりぬかれたと言う。その左目を人ならざる力でもって与えたのはナルトだった。失われた左目。カカシが後ろめたく思って、ナルトへの祝いを固辞したのだとしたら。
「ナルト、ごめん」
 サイは正直に伝えることしかできなかった。彼に対する誠実さを、嘘偽りなく隠すことなく本音で話すことしか表せない。
「馬鹿だなぁ。サイもカカシ先生も」
 溜め息をついて呆れ笑うナルトに、青空の影が落ちていた。地球ひとつ抱え込めるくらい、懐の大きなナルト。彼はいま、サイの小心も、カカシの臆病も受け止めようとしている。
「なにも奪われてないんだ。サイ、いつかサスケの代わりに殴られるオレの前に立って、お前がかばってくれたことがあるの覚えてるか? 覚えてなくてもいい。だけどな、オレはたくさんのもんをお前から貰っている。サスケからも、カカシ先生からも。この体ひとつじゃ一生返せないぐらいいっぱい。オレは、貰ったもんをすこしずつお礼しているだけ。なにも欠けちゃいねぇんだよ。サイ、」
 ――お前はオレの正真正銘の友達だ。
 空は晴れ渡っていて雲一つなかった。あたたかな日差しが、ナルトのまなざしと同化する。
「うん。ありがとう。ナルト」
「サイもありがとな! 教えてくれて助かった! これでカカシ先生と仲直りできる。実はさっきさ、誕生日のお祝いはもういらないって言われて、意味わかんねぇって喧嘩しちゃって」
 ナルトは頬を掻いてきまりわるそうに、口元を上げた。
「原因が分かって良かった。いまサイに言ったこと、カカシ先生にも伝えてくる! ないはずの傷を作らなくていい。カカシ先生の目を直したことが、オレの傷になるはずない。オレの誇りだ。カカシ先生のためにできることは全部。オレの誇りなんだよ」

 去りゆくナルトの背をサイは見送った。カカシはナルトの友である自分を誇って良いのだと言った。ナルトはカカシのためにできることは誇りだと告白する。ではカカシは? いまや六代目火影である彼にとっての誇りはとなんだろう。夏が終わり、日差しが和らぐ。サイはその深い声を思い出していた。
 ――それ以上を、誰も望むべきでないのかもしれないな。
 胸中に収めきれなかった羨望が、知らずに漏れ出し密となった声だった。
 カカシも焦がれたのだろうか。その傷口に。

















2017/9/23
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