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いつか帰途になる





 この道を歩く。何度も通った、行き慣れた道だ。それなのに、今日ほど鮮やかに、道の端々にまで目をくれてはハッと息を吐かせるような日もないだろう。
 着慣れないスーツが息苦しい。いますぐ駆け出してしまいたいのに、ずっとこの道をのろのろ歩いていたいとも思う。片手にはがさがさと紙袋。中に入っているパンフレットには、老婆心のようなこれから役に立つであろう知識が漫画形式で描かれている。……これを熟読する奴なんているんだろうか。チラシはぐしゃぐしゃになって底へ、袋の中にはペットボトルとコンビニスイーツが入っている。駅で寄って買ってきたものだ。
 うずまきナルトは成人式の帰りである。しかもこんなに日の高いうちから人通りの少ない路地を歩いているのには、わけがある。同級生たちの同窓会の誘いを固辞して、ナルトが自宅への最寄駅を通りすぎ、この道を黙々と進んでいるのにはそれなりのわけがあるのだ。
 それは、ナルトが十二歳になった冬のころであった。両親を亡くし、施設へ身を寄せたナルトはその年の成人式を見ていた。色とりどりの振り袖姿の女性たち。対して男性は、ほとんどがスーツ姿だった。「オレも大人になれるのかな」道行く新成人の流れをぼーっと目に写しながら呟いた。「なれるさ」その声に答えたのは大人の声で、ナルトの小さな手を握ってここまで連れてきてくれた男は、静かにナルトの不安を撫でてくれた。
 男をはたけカカシという。ナルトの両親、特に父は恩師だとかで、晴れて自身も教師の道に就いて、これからだというときだった。ナルトは父母を、カカシは報いるべき恩人を亡くした。葬儀のとき、ナルトは父母以外の誰も認識できなかったが、向こうはナルトの存在に気付いていたらしい。それからしばらくして、ひょっこり施設に現れたカカシはナルトを連れ出して、成人式の人の群れを見ていた。それがナルトにとってカカシとの、出会いの記憶だ。
 カカシは中学三年間、ナルトの担当教員であった。十三歳の冬の日、祝日で学校が休みだというのに呼び出され、なぜか一日中クロスワードを解いていた。十四歳の冬の日、お互いの将来の夢を語り合った。中学生活も残すところ僅かになった十五歳の冬の日、ナルトはカカシに告白し、見事に振られた。
 その日を思い出すようにナルトは目を閉じ、歩を止めた。冬晴れの明るい日。日差しは穏やかなのに、風が吹けばキンキンと冷たい。往来で立ち止まったナルトを訝しむ人影もなく、手繰り寄せるままに回想する。情景は暗い。ナルトがカカシを呼び出したのは放課後だったからだ。日が落ちるのが早いから、校舎はあっというまに薄暗くなる。クラスメイトみな、受験のために帰った教室で、ナルトはカカシに対峙していた。
「カカシ先生、好きだ。中学卒業しても一緒にいて」
「ごめんね。お前の好意は受け取れないよ」
 でもお前が卒業しても一緒にいてやる。……お前が望む限り。
「なんで?」
 ナルトの好意を受け取らないということは、カカシはナルトのことを好きではないということではないのか。それなのに、もう受け持ちの生徒でもなくなったナルトと、わざわざプライベートの時間を割いて会ってくれる道理など、どこにあるのだろう。
「……オレが父ちゃんの息子だから?」
 恩師の忘れ形見。報いられなかった恩の代わりに、ナルトで義理を果たそうと言うのか。
「そんなの絶対いやだ!」
 もしそうならあまりの仕打ちだ。だってナルトは、カカシに好きだと伝えた直後なのだから。裏切られたとも思えて頭に血が上る。ぶわわと涙がせりあがって、ナルトの頬を濡らしていった。ぼたぼたと、机に落ちる。その雫をカカシは指でなぞって、首を振った。
「……違うよ。そんなことひとことも言ってないでしょ」
 早とちりはやめなさいね。そうしてカカシは静かに告げたのだった。お前が大人になったら。
 どこかで爆竹の音がして、ナルトは我に返った。右足を、一歩踏み出す。左足を。そうして歩きはじめる。
 角を曲がった。
 十六歳の冬、カカシの運転する車で海まで行った。冬の海に入れるはずもなく、ただふたりで寒さに凍えながら海岸線を歩いた。その間、自分が免許を取ったら行きたいところをあげつらねては、ふたりでああでもないこうでもないと他愛もなく話した。十七歳の冬、進路のことで大喧嘩した。就職を望むオレ、進学を勧めるカカシ先生。学もないのだし、両親の残した遺産を全部使い切らず、ある程度残した状態で働きたいオレと、大学四年間での経験は決してナルトの無駄にはならないと強硬に主張するカカシ先生とで、議論は平行線だった。その均衡を破ったのはオレだ。「カカシ先生はオレの父ちゃんでも母ちゃんでもない。ただの中学の元担任だろ。オレの進路を決めるのに、先生は関係ないだろ!」決してただの元担任でも、関係なくもなかったカカシ先生のことをそう詰った。いつまでも子ども扱いする先生に対して、いい加減堪忍袋の緒を断ち切ってしまったとも言えるし、やつあたりだとも言えた。カカシ先生は「オレはお前の、」そう言ったきり、なにも言わなかった。十八歳の冬、短大への進学を無事に決めたオレは、カカシ先生にお礼を言った。去年、先生に対してひどいことを言ったのも謝りたかったのに、カカシ先生はひとこと「お前に礼を言われるようなことはなにもしてない」オレはなにも言えなくなってしまった。
 ナルトの歩みは止まらない。直進を続け、やがてビルの門までやってきた。暗証番号を打ち、ロックを解除する。エレベーターを待つ間、十九歳の冬のころを思い出していた。
 バイトで貯めた金で、カカシ先生と旅行に行った。冬景色の古都を練り歩き、旅館では部屋に備え付けられた温泉に入る。贅沢な旅だったのに、「お前の貴重な十代の時間と金を、オレなんかに使って良かったの」そんなことをカカシが言うから、ナルトは思わず殴ってしまった。
「ふざけんな!」
 お前が大人になったら、いいよ。お前がくれるっていうなら、お前の好き、全部オレに頂戴ね。
 そう言ったのは、カカシ先生なのだ。
 チン、とエレベーターの扉が開く。ナルトは乗り込んで、目当ての階を押した。上昇する。ナルトはその浮遊を感じた。
 二十歳の誕生日。ナルトは自分の「好き」を、全部カカシにあげるつもりだった。それなのに直前でひるんでしまったのは情けない話だ。ギュッと手のひらに力がこもる。頬が熱いのは、誕生日の夜を克明に思い出してしまったから。
 思わず拒絶したナルトのてのひらに額を寄せて、カカシは「いいよ」と言った。お前が大人になるまで、待ってるから。大人になる覚悟を決めるまで。
 そうして、扉は開かれる。廊下を進む。ナルトの歩みは止まらない。やがて突き当りのドアの前で止まる。合鍵は、いつも着ているパーカーのポケットの中だ。ごくり。唾を飲みこみ、ナルトはインターフォンを押した。がちゃり。
 開いた扉の先で、男は驚いたように顔を上げた。
「……抱かれにきたの?」
「……オレも大人になれるって、先生が言ったんだろ」
 ニュッと伸びた手がナルトの手首を掴む。すぐに門前の影は屋内に吸い込まれ、慌ただしく扉は閉じられた。

















2017/1/22
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