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やがて溺れ死ぬ





 花見をしようと誘ったのはナルトで、見物客の多さにろくに桜を見ることも叶わず不貞腐れはじめたのもナルトだった。同世代の子どもたちよりひとまわりも小柄なナルトがぴょんぴょんと飛び跳ねては体をあちこち通行人にぶつけひんしゅくを買っているのを、見咎めたのはカカシだった。
「オレが肩車してやろうか」
 せっかくの親切心からの申し出も、幼いプライドをいたく傷つけたらしく、ナルトの不機嫌は止まらない。どうすりゃいーっていうのよ……、内心の辟易は溜め息をして漏れ出るばかりだ。
「せっかくせんせーとデートなのに……」
 俯いたナルトのつむじはカカシの目線のずっと下にある。一生懸命縋られたてのひらもカカシのズボンの裾を握るばかりだ。こんなに小さい子どもに「デート」と言わしめるふたりの関係こそ歪なのだろうか。
 せんせいとおはなみしたかったってば。健気な本心はまっすぐカカシを射抜く。純粋で眩しい子だ。力になりたいと思うのは当然で、カカシはナルトの手を引いた。なだらかな丘にできた花見で有名な公園は、奥地いくほど密集した人もまばらになっていく。
「ほら、あそこに池があるのが分かるか? ボートの貸し出しもやってるぞ」
 子どもの目を引くのは、色とりどりに塗られたボートだ。
「ボードでちょっと下ると、桜の木も近いだろ。あそこまで漕げば、ゆっくり見られるよ」
 指差した先には桜並木が連なって、風に吹いて散った花弁が湖面をピンク色に染めていた。
「せんせい!」
 カカシ先生はやっぱりすごい!とそうでかでかと書かれた顔でカカシを見上げる。先ほどまでの癇癪に泣き出しそうな顔が嘘みたいだ。
 ナルトの筋肉のつききっていない細い腕が、懸命に櫂でボートを漕ぐ。オレが、オレが漕ぐ!と興奮で頬を真っ赤にしたナルトに櫂を託し、カカシはふぅふぅと力任せなオールさばきを見守っていた。真っ赤なほっぺには、いまは汗も滲んでいる。ときおり船が急旋回しそうになるのを、カカシは緩くサポートして軌道を正すぐらいだ。陽気は麗らかで、吹く風も気持ちよく、湖面がキラキラと輝いている。なにより、目の前に小さなナルトが頑張っている姿があるのはとても良かった。目元が、緩まずにはいられない。
「見て! せんせい!」
 はしゃぎきったナルトの高い声。ちょうどボードの先がピンクの水面に到達していた。頭上には並木の見事な桜景色が迫っている。冬の寒さに耐えた荒い枝が可憐な桜を満開に咲かせるさまは美しく。その夥しい薄桃色の洪水は圧巻としか言いようがない。はらはらと落ちる花弁は小ぬか雨のように降り落ちて、ナルトの小さく柔らかな手がそれを掴もうと躍起に振り回されている。
「おい、そんなに身を乗り出すと、」
 ボードから落ちるよ。そう注意しようとした言葉は途中で遮られる。カカシの注意喚起を待たずに、バランスを崩したナルトの体はボートの外へ落ちたからだ。カカシは暗部時代の超S級任務でもかくやという反射神経で身を乗り出してナルトの足を掴んだ。ボートが大きく揺れる。カカシも水面でバランスを保っておられず、たまらず水面に膝をついた。
「すごーい、忍者だ!」
 沿道の花見客が物珍しげにあげる歓声を、カカシは羞恥に耐えて聞くしかない。チャクラコントロールで水面に立ったカカシと、上半身だけ濡れて逆さに吊り下げられたナルト。ナルトは目をパチパチしてカカシを見上げる。カカシ先生ってすごいな! ずぶ濡れの顔でカカシを見上げるナルトの目には、キラキラとした尊敬しかない。
(こいつには一刻も早いチャクラコントロールを身に着けさせないと……。こういうのはエビス先生あたりが得意だったな……)
 能天気なナルトの賞賛と、花見客の無粋な視線に晒されながら、まったく心臓がいくつあっても足りないとカカシは嘆息した。



 というのが、もう十年は前の花見デートの記憶である。カカシにとってはひたすら恥ずかしい思いをしたという記憶しかない。そのあと託したエビスの元で、ナルトは自来也と出会い、その自来也と三年弱の修業の旅に出ていたナルトは、あっというまに実力もカカシを追い抜いてしまった。
 まだ幼いナルトをたらしこんで「デート」をしていた付き合いは、いまも継続中である。もしかしたらナルトの半生分の付き合いになっているのかもしれない。ふたりの関係を歪と言うにはいささか手遅れである。
「懐かしいなー!」
 そう言ってはしゃぐナルトの声はあの頃と比べて低い。声変りをして久しく、大人の、男の声だった。だが喜色満面の顔も、キラキラと輝く目の美しさも、上気した頬の甘やかさも変わらない。そんなナルトを目の前で堪能できる位置にいる自分も。
「ほら桜! すごいな!」
 ナルトが固く筋肉の引き締まった腕を伸ばす。その手の先は包帯に巻かれていて白い。無骨な指先が、小さな淡い色をした花弁を掴む。
「せんせ、見て見て」
 カカシの手のひらにちょこんとのっける。その美しさをカカシは目を凝らさずともよく見れた。
「ここは変わらないんだな」
 およそ十年の月日で、木の葉はだいぶ様変わりした。重なる襲撃に壊滅し、復興し、戦争の過ぎたいま、里は穏やかな様相を取り戻していた。そして更なる繁栄を。それを成しているのは六代目火影の尽力でもあるし、戦争の英雄であるナルトが、里を越え、忍を越え、人と人を繋いでできた成果でもあった。
 ふたり、いまはお忍びのデート中なのだ。
「懐かしいなぁ。先生、あのときは溜め息ばっかりでさ、オレも気が気じゃなかったってば」
 存外鋭く敏感に相手の機微を察するナルトの前で、溜め息を抑えきれなかったかつての自分の落ち度を蒸し返されて、カカシは肩を落とす。
「オレもあの頃はまだまだだったからねぇ」
「そうかな? かっこよかったってばよ。ボートから落ちたオレを助けてくれてさ!」
 変わらない尊敬の念をひたむきにナルトはカカシに寄せる。面はゆく受け止めながら、厳しい寒さを耐え抜いて満開の桜を咲かせた情景がナルトと重なり、カカシの胸は締め付けられた。
「オレは恥ずかしかったよ。木の葉から離れた土地で忍者だ!なんて注目されて」
「あははっ!」
 カカシのシャイな一面を知っているからこそ、ナルトは遠慮せず大笑いした。しかし背もぐんと伸びて逞しく成長した大人の男が腹を抱えて笑うものだから、ボートは簡単にバランスを崩す。
「おいっ!」
 カカシの慌てた制止も間に合わず、湖面は大きく揺らいだ。ついでばしゃん!と。
 手を伸ばしたのは無意識だった。ナルト助けなくてはがむしゃらに体が反応して、チャクラをどうこうする意識も欠けていた。冷たい水にしたたかに顔を打って、しかしすぐさま腕を力強い手が支えてくれた。
「せんせー、大丈夫か?」
 見事なチャクラコントロールで水面に立ったナルトが、カカシの腕を引いていた。
「すごーい、忍者だよー!」
 沿道でやんややんやと騒ぐ声にナルトは手を振り、カカシは両手で顔を覆った。

「オレもびっくりした。先生、今日酔ってたのか?」
 ボートに乗る前に、桜を見ながら飲酒をしたのはふたり揃ってだ。いいわけなどできるわけない。
 自室のベッドに腰掛けたカカシは、昼間の醜態を思い出して顔を俯けた。
 溺れて死んでしまうかもと思った。もちろん水にではない。ナルトを失うかもしれないなんて、わずかにでも思ってしまった。その恐ろしさ。鉛を飲んだかのように呼吸がしづらくなって、そこで初めて気づいたのだ。溺れている。ナルトに。
「死ぬかとおもった……」
 十年前から付き合っておいて、自覚が遅すぎる。いったいいつのまに自分は手遅れになっていたのだろう。
 死ぬなんてそんな大げさだなぁとカラカラと笑うナルトがカカシの前に立った。風呂上がりのTシャツとパンツいちまい。
「でも安心しろよ。オレの恋人は絶対死なせはしないから!」
 見上げるナルトの笑顔が眩い。その存在が巨大すぎて、カカシはいまにも息ができなくなりそうだ。
「ナルト……、先生惚れ直しちゃったから今から抱いてもいい?」
「おう。バッチ来いってばよ!」
 そのつもりでシャワー浴びてきたしな。ナルトは素直にカカシに抱き着いて、カカシはその重くなった体を受け止める。
 このまま溺れても本望だな。カカシは熱い息を吐いた。













2017/4/8(初出)
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