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デート、波瀾万丈





「ぶふぉ!」
ハンジは思わず噴き出した。いや、これは吹き出さずにはいられなかった。
「おい、きたねぇぞ、ハンジ」
そう言って露骨に顔を顰めるリヴァイの手には雑誌があって、その雑誌の見出しが、
『初めてのセックス☆その常識とマナー講座』
だったのだから。
一週間ほど前から、リヴァイとエレンが付き合っていることを、勿論ハンジは知っている。二人から報告されたわけではなかったが、いつもリヴァイの後ろについていたエレンが、恥ずかしそうにしながらもリヴァイの横を歩くようになったのだから、二人の交際は一目瞭然だ。こうして「エレン・イェーガーの死に急ぎ伝説」に、あの人類最強のリヴァイとお付き合いをしているという項目が増え、エレンはサークル中のみならず、大学中から一目置かれるようになった。ハンジは二人の出会いから興味深く二人のことを観察もとい見守っていたので、二人の交際には諸手をあげて喜んだ。
喜んでいたのだが。
何分急な展開に、驚かざるをえない。というより、大事な点が。
「君、処女だよね?」
もうすぐ四限の授業が始まる時間帯に、実に似つかわしくない単語だった。しかしそれを言うのなら、昼下がりから堂々とセックス指南書を広げているリヴァイはどうなんだと思う。生憎、二人の非常識に突っ込むことができる者など一人もいなかった。
「俺が豚野郎相手に足開くとでも思ってんのか」
遠回しな肯定だった。生殖器とはいえ同時に排泄を行う器官、それも他人の、そんなものを自分の胎内に入れるなど、潔癖症のリヴァイからしてみれば考えるだに恐ろしいことなのだろう。
でもエレンには進んで足開きたいんでしょ。
そのからかいの言葉を、ハンジは寸でのところで飲み込んだ。初めて見るこんなにも殊勝なリヴァイに対して、そんな意地悪なことを言うのは流石に気が引ける。
しかし。
「ちょっと焦りすぎなんじゃないの。もうちょっと段階を踏んでからさぁ」
交際一週間余りでいきなり処女を捧げられては、あの奥手そうなエレンには重いのではないだろうか。
率直な助言に、リヴァイも素直に頷く。あのリヴァイが腐れ縁のハンジに対してここまで素直になることは滅多にない。
「デートとかさ」
「デート」
鸚鵡返しに復唱するリヴァイは真剣な様子だ。リヴァイのこの反応から、恐らく二人はまだデートもしていなかったのだろう。それより先にセックスとは、早計過ぎる。
「ケーキとか食べたりしてさぁ」
「…ケーキ」
カップルで入っても恥ずかしくない、人気のケーキバイキングのお店をリヴァイの代わりにスマートフォンで検索してあげながら、これはいよいよ面白くなってきたぞ、とハンジはほくそ笑んだ。

「おい、次の日曜日空けておけよ」
前後の脈絡に関係なく伝えられた申し出に、エレンは「はい?」と小首を傾げた。理解の遅いエレンを呆れるように見ながら、リヴァイはぶっきら棒に「デートだ」と告げた。 デート。あぁ、デートね。
エレンは恥ずかしさを隠すように頬を掻いた。付き合ってから一週間ちょっと。何にも不自然なことはない。最初こそ濃厚なディープキスをかまされたものだが、それから二人は過度な接触はとっていない。極めて潔白なお付き合いだった。
「あー、映画見て、ご飯でも食べに行きますか?」
妥当なデートプランを提示すると、リヴァイは頷いたのでどうやらこの案に不満はないようだ。しかし一言付け加えられた。
「…ケーキ食うぞ」
「ケーキですか? じゃあご飯食べてから映画見て、その後ケーキ食べますか?」
リヴァイが甘いものを好むとは知らなかったが、恋人からの要望を跳ねつけるなどと、そんな酷いことをエレンはしない。
「確か前に、サシャがお勧めの店があるとか言ってたな…」
徐にスマートフォンを取り出したエレンは、リヴァイの目が剣呑に光ったことなど気付かなかった。これより三日前に、リヴァイはエレンの二度目の告白現場を目撃していた。
「おい、女か」
低い声で問われて初めて、エレンはリヴァイの顔をまじまじと見た。その顔は不機嫌そうに顰められている。ん? エレンは不思議に思った。
「女の子ですけど、花より団子な奴ですよ。すげー食い意地が汚くて、でも舌だけは確かです」
食い物関係なら頼りになる奴ですよ、と重ねて言うも、リヴァイの不機嫌が晴れることはない。
「お前と食べに行きたくて、食いもんの話をしてるのかもしれねぇじゃねぇか」
おぉ? エレンは思った。もしかして、嫉妬をしているのか。姦しい面倒臭いと思うよりも、好かれているんだなと知ることができて、エレンは単純に嬉しい。しかし誤解は解いてあげなければ。
「いや、俺相手に話していたんじゃなくて、クリスタとユミルに、」
言い募るエレンに、リヴァイは一段と声を低くして「また女か」と言った。あれ、泥沼? 墓穴? そう気付いても、それから暫くリヴァイは機嫌を直してくれなかった。



昼前に待ち合わせて、昼食は無難にイタリアン、話題のサスペンス映画を鑑賞して、小腹が空いた頃に女性に人気のあるケーキバイキングに。
デートは概ね順調だった。今、エレンはトイレに行っている。席を立つ際に財布も持って行ったことをリヴァイは見逃さなかった。大概、ついでに会計も済ませてしまうのだろう。別に奢る必要もないのに。エレンは時に鈍感だが、気遣いもできとてもスマートだった。付き合い始めてから初めて知るエレンの意外な一面に、リヴァイの独占欲は満足する。リヴァイ以外、他の人間が、エレンのそうした一面を知ることはないのだ。満足げに紅茶を飲むリヴァイに、影が差した。

とんだケチがついたものだとリヴァイは思う。
優雅なケーキバイキングの時間は、突如現れた見目のよろしくないチンピラどもによってぶち壊された。ご指名はリヴァイだ。リヴァイは店側の迷惑を考慮して、大人しく言われるがままにチンピラどもに連行されてやった。突然いなくなったリヴァイをエレンは心配するかもしれないが、後でメールを送っておけば大丈夫だろう。
連れて行かれた先は漫画でしか見たことのないような完璧な袋小路だった。相手側は五人。一人はこの前校門前でリヴァイを待ち伏せしていた男である。リヴァイは舌打ちした。リヴァイは執念深い男が大嫌いだった。面倒臭いの一言に尽きる。それ以前にこいつらはリヴァイの嬉し恥ずかしの初デートを台無しにしたのだ。リヴァイの苛立ちは最高潮だった。
「舐め腐った真似しやがって」
唾を吐く。男どもが一斉にリヴァイへの不平不満を並べ立てるが、お門違いも甚だしい、リヴァイは歯牙にもかけなかった。リヴァイに突進してくる男を、問答無用で叩き潰す。
リヴァイが男の胸ぐらを掴みあげ往復ビンタをかましていると、「リヴァイさん!」と悲鳴のような声が空間を切り裂いた。見ると、袋小路の入口にエレンが立っている。リヴァイを探し走り回っていたのだろう、その肩はひっきりなしに上下していた。
「エレンか」
大方、店側からリヴァイ拉致の旨を聞いて、大慌てでリヴァイを探してくれたのだろう。恋人に心配されたことに、リヴァイは一時心酔した。その一瞬の隙を、敵は見逃さなかった。
「ぐっ」
重い一撃を腹に決められて、小さな身体は簡単に吹っ飛ぶ。受け身も取れたし、殴られる一歩手前で腹筋に力を入れていたので、そこまで痛くはない。しかし簡単に攻撃を受けたことは不愉快だった。リヴァイにとってはそれだけだった。しかしエレンは違う。大切な恋人を傷つけられて、エレンの平常心は崩壊した。
「おい、おめぇら」
およそエレンのものとは思えない声の低さに、一番にリヴァイが驚いた。その目は憎しみに彩られて峻烈な光を帯びている。初めて見る色だった。
「女の子一人に寄ってたかって暴力を振るうのか? その人を傷つけて、無事に帰れると思ってんのか!?」
エレンの怒りのボルテージがどんどん上がっていっている。安い挑発に、チンピラどもが奇声をあげる。
「お前らなんか全員、害悪だ!! 来いよ、一匹残らず駆除してやる…!」
リヴァイはエレンの身に潜む激情を初めて目にした。怒りに燃えるエレンの姿は何よりも苛烈で、憎悪に歪んだ顔はある種の美しささえ湛えている。リヴァイは状況が状況だというのに、しばしエレンに見惚れてしまった。
自分の身の丈も知らないチンピラ風情が、エレンに襲い掛かる。鈍重なパンチを、エレンは避けもしなかった。敢えて受けて立とうとする。エレンはたたらも踏まなかった。しかし。
ぶちり、
と、その時その場にいる誰もがその音を聞いた。怒りに我を忘れたエレンも例外ではない。
「誰がそいつに触って良いと言った…?」
エレンの比じゃない、地を這うような声だった。リヴァイだ。エレン負傷でリヴァイもまた理性の糸をブチ切った。
エレンを傷つけていいのは俺だけだ。
独占欲もここまでくると恐ろしいが、生憎そのことについて、気にしていられる余裕は何者にもなかった。
箍を外した化け物が一匹、理性をブチ切った人類最強が一人。
そこからはもう、阿鼻叫喚の地獄絵図だった。

「チッ」
鋭い舌打ちが、まだ明るい路地の中で響き渡った。リヴァイは男の手元にあった携帯端末を蹴りつける。
「こいつら仲間を呼びやがった。おい、エレン。ずらかるぞ」
エレンはもう意識のない男一人をタコ殴りにしている最中だった。リヴァイの言葉で、漸くその手を放す。
「ほとぼりが冷めるまでどっかに隠れる」
面倒臭げに髪を掻きあげながら、リヴァイは宣言した。
「どこか?」
エレンは首を傾げたが、残された時間は少ない。二人は走り出した。どこかに向かって。














2013/6/29
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