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告白しよう、そうしよう





リヴァイがその手を離せなくても、エレンからは簡単に手放すことができるのだと痛感したのは、それから三日経ってからだった。
ここのところ昼食は毎日一緒にとっていたのに、昼休憩が始まっても、一向にエレンは姿を現さない。嫌な予感は勿論したし、悪いことは重なるものだ。
放っておいても良かった。三日前の出来事さえなければ、リヴァイも心置きなくそうしていただろう。でもリヴァイは、その手を離さないと決めた。その温もりを求めても良いのだと、自分に許していた。
溜息を吐かざるをえないのは、エレンにか、リヴァイ本人にか。分からないまま、リヴァイはエレンを探しに行った。
大学構内は広いので、難航するかのように思えたエレン捜索は呆気なく終わりを告げた。第一校舎の裏、木陰に隠れるようにして、エレンは佇んでいた。リヴァイは目を細めた。エレンだけではない、白いワンピースを着た可愛らしい女の子がエレンの前で俯いている。風に乗って聞こえてくる声はか細い。何と言っているのかまではリヴァイには分からない。しかし今がどういう状況なのか察するのは容易だった。エレンは背中しか見えないが、俯いた少女の頬は赤い。己の視力が飛びぬけて良いことに、この時ばかりは恨めしい思いがする。どうやらリヴァイは、間の悪いことに告白現場に遭遇してしまったようだった。
告白!
リヴァイはゾッとした。告白されて、その思いを受け入れるエレン。あんなにリヴァイの背中を追っていたエレンが、今度は自分の知らない女の横に、当然のような顔をして歩いていくのだ。自分から勝手にした妄想だったが、リヴァイは腸が煮えくりかえる思いがした。勝手にリヴァイの後をついてきて、散々リヴァイの心中を引っ掻き回しておいて、自分は素知らぬ顔でリヴァイから離れていこうとするのか? それは手酷い裏切りだった。女も女だ。エレンがリヴァイの犬のようにその後を追いかけまわしているのは周知の事実だ。リヴァイに連られるようにして、エレンも有名人なのであった。それなのに、リヴァイの存在も無視して、エレンを隣に置こうなどとよくも考えられるものだ。それをリヴァイが許すなど、大間違いも甚だしい。
あいつは俺のものでなければならない。
この時ようやくリヴァイは己の恋心を自覚した。今までこんなにも胸が掻き毟られるような思いをしてきたのは、エレンを好いているからに他ならない。こんなに腹立たしいのは、リヴァイの独占欲が強すぎるせいだ。自分の独占欲を認識して初めて、リヴァイは自分がエレンという存在を求めていることを自覚した。何ともリヴァイらしい自覚の仕方だった。
優しさだけじゃなく、体温だけじゃなく、エレン・イェーガーの全てが欲しかった。エレン・イェーガーが手にするもの全てを、リヴァイ手ずからに与えたかった。その横にいるべきなのはリヴァイであって、あの女ではない。
リヴァイが憤懣遣るかたないのを尻目に、会話を終えたのだろう二人が離れていく。走り去っていく女の顔はやはり俯いていて分からないが、その陰から涙が光った。
後から来たエレンの胸ぐらをリヴァイは掴み、そのまま通路に押し込み、エレンを壁に押さえつけた。逃げ場など端から与えてやるつもりはない。エレンの顔の横に手をついた。少し態勢がきついが、問題はないだろう。
「よう」
「…リヴァイさん」
突然のリヴァイの登場に、エレンは驚いていた。どうしてここにリヴァイがいるのか分からなかったし、何も楽しいことがないはずなのに愉快気に笑って見せるリヴァイに、嫌な汗が背筋を伝う。
「随分楽しそうだったじゃねぇか」
「…見てたんですか」
悪趣味ですよ。
込められた皮肉に意にも介さないリヴァイは鼻を鳴らした。何がそこまで愉快なのか、それとも不愉快なのか、エレンには分からない。
「なあ、エレン。お前俺のことが好きだろ」
低い声。真剣なリヴァイの眼差しに、冗談の色はない。エレンの冗談も求められていなかった。確認作業のような質問に、エレンも頷く。強いて反論するような余地はない。
「はい、好きです」
リヴァイの質問の意図よりも、エレンはリヴァイとの距離が近いことが気になった。密着、というほどではないがリヴァイが背伸びしてしまえば、もしくはエレンが屈んでしまえば、簡単に口と口がくっつきそうだ。距離をとりたくて身動ぎするも、どうにかなることはない。
「俺もお前が好きだ」
その言葉はエレンの意識を吹っ飛ばした。今までエレンは過剰なほど、リヴァイに己の好意を捧げてきた。しかしその好意が報われることはなかったし、エレンもただ思っているだけで良かったから、そんなこと望んでもいなかった。リヴァイはいつもエレンの憧憬混じりの好意をなかったもののように黙殺するか、時には殴って黙らせ、時には一蹴した。口汚くエレンの思慕を罵られた時もある。迷惑だとはっきり告げられたことも。だからこんなこと、エレンは思ってもみなかった。「は?」思わず零れ出た言葉に、リヴァイは鼻で笑う。
「おい、嬉しいか? 両思いだぞ」
嬉しいかと言われれば、エレンはただひたすらに困惑していた。好きかと聞かれたので好きだと返したことに後悔はない。しかしその好きとは。両思い、とは。エレンは混乱していた。そういうつもりで言ったのではない。エレンの好意はあくまで憧憬に過ぎない。リヴァイとの間に誤解が生じている。困ったものだった。この誤解は正すべきだろう。けれどエレンが口を開いた瞬間に、リヴァイは言葉を畳みかけた。
「エレン、お前は俺のものになれ」
堂々と要求するリヴァイに、エレンは肩の力が抜ける。誤解を正す前に主張しなければいけないことができてしまった。
「俺、物じゃないんですけど」
当然の主張なはずだ。エレンは人間なのだから、リヴァイの言うような物にはなれない。
「人間扱いはしてやる」
だからリヴァイに所有されろと、リヴァイは再度告げた。
それはつまり、お付き合いをするということなのか。
エレンとリヴァイの言う“好き”は食い違っている。ならその申し出は断るべきだと思った。エレンはリヴァイと無責任な関係を築くことを良しとしない。好きでもないのに、いや好きではあるのだがリヴァイの求める好きではないのに、付き合うことなどできない。誤解を招いたのはエレンだ。だから貴女の好きとは違うんですと告げて、怒られても構わない。痛い思いをする覚悟はある。しかしエレンは、見てしまった。壁をついている方とは逆の片方の手、エレンの胸ぐらを依然離さないように掴んでいるその手が、小刻みに震えていることを。痛いほど見つめてくるその瞳に、不安の影が宿っていることを。
リヴァイが怒ってくれるのなら、それで良かった。しかしもしリヴァイを悲しませてしまったら。傷つけてしまったら。エレンはリヴァイに怒られる覚悟はあるけれど、リヴァイに傷をつける覚悟はなかった。リヴァイの言葉に、頷くよりほかない。物理的にも、心理的にも退路は断たれていた。リヴァイが求めるのなら、エレンは差し出すしかなかった。
しかしやはり罪悪感が抑えきれない。
リヴァイを悲しませる姿だけは見たくないのだと、母カルラや幼馴染ミカサを思い出しながらエレンは思った。そして告げた。了承の意を。
「はい。俺は貴女のものになります」
でも交際は清いままでいこう。そうエレンは決意をした。手を繋ぐまでは許そう。でもキスはもってのほかだ。リヴァイがやがてエレンの手を離れて、他の男の手に渡るいつかがくるまで、リヴァイの唇の純潔は死守しなくては。
エレンが決意を固めたのと同時に、リヴァイは背伸びをした。エレンがあっと言う間もなく距離はゼロになる、そう、ゼロに、なった。
「んぅっ」
びっくりして二の句が継げない。いや、口を塞がれているから、どうしたって二の句は継げない。
開かれた口は、呆気なく他者の舌の侵入を果たした。歯列をなぞられ、正体不明の疼痛に背筋が震える。小さな舌が(リヴァイのものはなんでも小さい)エレンの舌を絡め取ると、日中に相応しくない夜中を思わせる淫靡な水音がエレンの鼓膜を犯した。あの潔癖症のリヴァイがエレンの口の中に舌を捩じ込み、思うように蹂躙し、あまつさえ唾液の交換をしている。これが白昼夢ならどんなに良かっただろう。しかしエレンの反応を見逃さないように開かれたその目が、エレンが現実から逃避するのを許してくれなかった。これは現実なのだ。
「ふっ」
息が苦しい。口元がはしたなく濡れて、唇が擦り合わされてぬるぬるしている。足ががくがくと痙攣するが、無様に膝を折るのを男の矜持で耐えた。いつまでも続くかのような舌の交わりに、エレンは耐えきれずリヴァイの肩を叩く。リヴァイはその訴えを無視して、満足するまでエレンの口内を貪っていた。
満足げに笑うリヴァイとは対照的に、エレンは顔から血の気が失せた。
唇を奪ってしまうどころの騒ぎではなかった。
エレンは重い責任を感じた。ここまできてしまったら責任は果たそう。リヴァイに捧げた好意が不誠実だと言うのなら、見合ったものにすれば良いだけの話だ。エレンはリヴァイのことが好きだし、大事にしたいと思っている。リヴァイのことを一番に好きになって、何より大事にすれば良いだけのことだ。なんにも難しいことはない。
決意を固めたエレンは、リヴァイの「初チューか?」という問いかけに馬鹿正直に「いえ」と答えてしまってリヴァイのご機嫌を損ねてしまうのだが、とてもじゃないがそこまで気を回せなかった。
嘘みたいに昨日とは違う関係になってしまった二人に、七月の太陽は優しく、少々情熱的に、その陽光を降り注いだ。














2013/6/29
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