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初めまして、エレンです。
どうぞよろしく、リヴァイです。






人体が宙を舞う瞬間を、エレンは初めて見た。

その存在に気が付いたのは、目つきの悪さが凄まじい割に、やたらとものを食べる所作が美しいからだった。流れるような動きで箸を操る。それから、貰ったお絞りでしきりにテーブルを拭いていた。綺麗好きなのだろうか? 箸を持つ、お絞りを握る、その手は小さい。というか、全体的に小さい。随分小さな女の子だなと思った。エレンはこの時まだその存在が、悪名名高きあの“リヴァイ”だとは気付いていなかった。
見ることなくリヴァイを観察していたエレンは、やがてその女の子が、酒に酔って調子に乗ったのか、はたまた怖いもの見たさでか、二人の男に絡まれているのを目の端で認めた。蠅でも払いのけるかのようなリヴァイの態度に、もしこれ以上ちょっかいが酷くなるようなら助けてあげようとエレンは思った。エレンは正義感の強い男なのである。
男の一人が、無遠慮にリヴァイの肩に触れた。その瞬間、リヴァイはその男を殴りつけた。ばきり、と漫画でしか見たことのないような擬音が鳴る。そのまま立ち上がったリヴァイは、痛みに悶え苦しむ男を更に蹴り上げた。エレンは目を疑った。簡単にその身体が宙に浮き上がったのである。もう一人の男も含めて、リヴァイは男どもを容赦なく蹴りつける。
シンと静まりかえった貸し切りの部屋に、リヴァイの暴力の音だけが響き渡った。皆が一様に恐怖で固まる中で、それ以外の態度をとる者もいた。その内の一人こそが、我らがエレン・イェーガーである。エレンは目を輝かせていた。
信じられないくらい、強くてかっこいい!
エレンのきらきらした目に、いち早く興味を持ったのはハンジだ。ハンジはエレンに暴虐非道を働くあの女の子がリヴァイという名前であることを教えると、エレンに「どう思う?」と聞いてきた。
リヴァイさん。
リヴァイは無駄のない動きで獲物を甚振っている。格闘術に覚えがめでたいエレンから見ても、その動きには舌を巻くものがあった。
エレンは“強さ”に憧れている。そして強い人が大好きだった。
親友アルミンを弱いもの苛めから何度も救ったことのあるエレンは、強くあるべきだという思いに並々ならぬ執着を抱いていた。弱いものは虐げられるままだが、強いものは弱いものを守れる。大事なひとを守ることができる。真理だった。強き者だけが生き残れる世界で、強くあれとしきりに叫ぶ声がするのだ。エレンはその声に忠実だった。
その小さな身体から出るとは信じられないくらいの力強さが、リヴァイにはある。しかし今は握りこぶしで固めたその手が、優雅に動くこともエレンは知っていた。強いだけじゃない。美しさもある。それはとても素晴らしいことだった。エレンはうっとりとその姿に見惚れた。あんなに小さな身体なのに。
なんて強い、そしてなんてかわいい人なのだろう。
リヴァイを表す単語は、エレンの口から思わず零れ出ていた。
「リヴァイさんは可憐だと思います」
耳を疑うような言葉に、その場が凍りついた。傍若無人の限りを尽くしたリヴァイでさえ、驚きで動きを止めた。自身の言葉の恐ろしさに気付いていないのはエレンだけである。
「…おい、」
沈黙を破ったのは、当のリヴァイだった。地を這うように低い声で周囲を威圧する。
自分に声がかけられたのだと分かったエレンは、立ち上がって背筋を正す。鬼教官のようなリヴァイの雰囲気から、サークル(歴史研究サークルだ)で流行っている、古代の敬礼を思わずとっていた。こぶしを胸に当てるやつだ。
「お前は何者だ?」
質問に、エレンは声を張り上げる。
「ハッ! シガンシナ区出身! エレン・イェーガー、商学部です!」
リヴァイは一つ頷く。良い返事だった。しかし詰問は続く。
「何故今、お前は俺のことを可憐だと言った?」
エレンは何か変な雰囲気だなと内心で首を傾げながら、答える。
「貴女の印象を聞かれたので、見たままを話すべきだと判断しました」
リヴァイは怪訝気に眉をひそめる。その不機嫌さは隠しようもない。
「…いや、分からねぇな。何故お前は可憐だと言った?」
リヴァイの疑問に、エレンも不思議そうに目を瞬かせた。
「…? それは“なにゆえ人は人を可憐だと思うのか”という話でしょうか?」
エレンの発言に、一同は心の中で悲鳴をあげる。
(何だあいつは!?)
(馬鹿だ!)
(馬鹿が死に急いでいやがる!)
そんな声は当然エレンに聞こえるはずがない。
「おい。あんまり連呼すんな。鳥肌たっちまったじゃねぇか」
リヴァイが腕をさする。
「あ、ホントですね」
エレンの次の行動は、とうとう全員の度肝を抜いた。それはリヴァイも例外ではなかった。
さわ、
何とエレンは、リヴァイの鳥肌のたった腕を撫でさすったのである。
エレンの暴挙にリヴァイは手を払いのけた。リヴァイは潔癖症だ。誰かに触れられるなんて、怖気が走る。払いのけた手でこぶしを作り、そのままエレンの腹にパンチした。「ぐぉ」と声をあげてエレンが上体を屈ませたのを良いことに、足を振り上げる。丁度蹴りやすい位置だったので、何度か蹴りつける。エレンへの暴力にミカサが立ち上がったが、すぐに仲間に羽交い絞めにされて留められる。ミカサは鋭い視線をリヴァイに投げかけたが、リヴァイもエレンもそれどころではない。
何の説明もないまま続けられる暴力に屈することなく、エレンは顔を上げリヴァイを見つめた。リヴァイの手加減を知らない蹴りに、エレンは脅えも怯みも見せない。反抗して手を上げることもしない。しかしその瞳はらんらんと。リヴァイは息を呑んだ。こんなに鮮やかに染まる緑を見るのは初めてだった。何より雄弁なその目が、「何故」と問いかけている。
ああこいつは、この暴力の理由を知らないのだ。
知らないまま、殴られ蹴りつけられても、怒るでも脅えるでもなく、本質を見極めようとする。
面白い人間だった。
(悪くねぇな)
「良いか、クソガキ。教えてやる」
恐らく二、三歳しか年が離れていない男を、子ども扱いするのは自分が優位であると分からせるためだ。
「普通はな、赤の他人の肌なんかに、そう簡単に触れるもんじゃねぇんだよ」
驚いちまっただろうが。
大抵、驚かれただけであのような苛烈な暴力を振るわれるなんて、堪ったものではない。しかし当のエレンはいとも簡単に納得してしまったようだった。
「あ、そうですよね。嫁入り前の女の子に、触ってしまってすみませんでした」
素直に謝られては、リヴァイも大人しくこぶしを納めるほかない。
女の子扱いされたむず痒さに耐えて、リヴァイは憮然とした。
「もう、良い」
以上が「エレン・イェーガーの死に急ぎ伝説」の一つ「リヴァイ可憐事件」の全容である。
これを機に、エレンはサークル中に一目置かれ、ハンジはエレンの大ファンとなった。














2013/6/29
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