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神様に誓った日





好きな人のことは、うんと大事にしてあげるのよ。
母は繰り返しエレンに諭した。
子供ながらに自我が酷く強かったエレンは、幼馴染ミカサの過保護な過干渉をウザったく思っていた。当時通っていた格闘塾でミカサに抜かされてしまったことも、ミカサの思いやりを素直に受け止めることができなかった原因の一つだろう。小学生高学年に上がったエレンは、女子に付きまとわれる気恥ずかしさも相まって、とにかくミカサを邪険にした。エレンの心無い言葉や態度に傷つき、寂しそうな顔をするミカサ。エレン自身も気まずさを覚え、かと言ってどうすることもできなくて、エレンはただ落ち込んでいた。意気消沈して、それでも意地っ張りを通すエレンに、母カルラは優しく、時に厳しく何度も何度もその呪文を降らした。
結局ミカサとは思うように優しくできないでいるままだ。小学生、中学生、高校生、果ては大学生になっても変わることなく、ミカサはエレンがどんな態度をとってもずっとエレンの傍にいてエレンを見守っているし、エレンにしても本当に少しずつだったが、ミカサに自分なりにできる思いやりを示してきた。しかしそれは優しさとまではいかない。エレンもミカサも、お互いのことになるとどうしようもなく不器用だったのである。
思春期に差し掛かったエレンは、その不器用さに拍車がかかっていた。強すぎる自我を、自分でも制御できないのである。そんなエレンに一番の被害を受けたのがカルラだ。カルラも自分の息子に喧しく口を出すことを止められなかったから、高校受験が差し迫った頃は二人が喧嘩をしない日はなかった。エレンは手こそ出さなかったものの、酷い言葉は何度も母に投げつけた。激昂するカルラに、時に涙を零した母に、エレンは自己嫌悪を抑えられない。それでも受験のストレスから、言葉は簡単に口を衝いて出る。自分自身に失望して己を戒める度に、エレンは母の言葉を思い出した。
うんと大事にしてあげるのよ。
大事にしたいと思った。母もミカサも、他の奴らだって。でも思うように身体が動かない。言葉はいつだってエレンの意志を無視する。エレンは“優しくする”とはどういうことなのか分からなくなっていた。
母カルラが倒れたのはそんな時だった。
奇しくも合格発表の日だった。無事志望校に合格したエレンは、優しくできないにしても、これでもう少し母に対して態度を和らげることができるだろうと心底ほっとしていた。意気揚々と合格を伝えるために帰宅したエレンが目にしたのは、居間に倒れてぴくりとも動かない母の姿だった。どうやって救急車を呼んで病院まで行ったのか、エレンははっきりと覚えていない。ただ重体で意識不明な母が力なく横たわっている姿と、そんな母に項垂れるように背を丸めた父の姿が、今でも明確に思い描ける。
エレンは祈った。
どうか母が目を覚ましますように。
エレンは願った。
母が目を覚ましたら一番に「ごめんなさい」と言うから、どうか目を開けてほしい。優しげに微笑んだ、その目を。そしたらエレンは、今度こそ母に優しく接するから。
どんなに祈っても、どんなに願っても、カルラは目を覚まさなかった。そしてそのまま永眠した。
世界は、残酷だった。
エレンは父のように声をあげて泣くことができなかった。その代わりエレンは、ただひたすらに後悔した。
どうしてあの時、あんなに酷いことを言ってしまったのだろう。どうしてすぐに、素直に謝ることができなかったのだろう。どうして傷つけるばかりしかできなかったのか。どうしてもっと大切にできなかったのか。どうして、どうして、という思いがしきりにエレンを責め立てる。
後悔は、ずっと続いている。
しかしあの言葉が。
好きな人のことは、うんと大事にしてあげるのよ。
もはや呪いのようになってしまったその言葉が、エレンを生かした。
エレンは誓った。
もし好きな人ができたら。今度は後悔しないようにエレンの全身全霊をかけて、とても大事にしてやるのだ。決して傷つけることのないように、心も身体も大切に。
母亡き後、一歩も踏み出すことができないでいたエレンが、やっと前に歩みだした瞬間だった。
その誓いは、今もなお変わらずエレンの胸に突き立っている。














2013/6/29
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