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俺とリヴァイさんのセックス決戦





「来い」と一言告げられて切られた通話も、今この時ほど憎くて堪らない時はない。行きたくない、行きたくない、と脳が叫んでいる。しかし足は勝手にリヴァイさん家へのルートを歩んでいる。電話をかけ直して、今日は無理だと謝って、それでどうする? いつまで問題を先延ばしにするつもりだ? そんなこと出来ない。今行くしかない。頭で何度もリヴァイさんから、セックスの問題から逃げようと算段するも、行きつく先は全部「否」だった。
セメントで固めたように重い足を引きずって、この世の終わりみたいな顔をして、リヴァイさんのいるマンションに辿りついたのは多分四十分も経っていない。震える指でインターフォンを押すと、すぐに扉が開いた。まるで玄関で待っていたかのような反応の速さだった。
リヴァイさんは俺の顔色を見て、一瞬驚いたようだった。
「死にそうな顔してるぞ、お前」
リヴァイさんもね、そう軽口を叩く余裕がない。
「気分でも悪いのか?」
そう聞くリヴァイさんの背を追いながら、はいと小さな声で返事をする。自分でも驚くくらい今にも死にそうな声だった。
座れ、と命令されて大人しくソファに腰かける。とにかく話をしなくては。リヴァイさん、と開こうとした口はすぐさま悲鳴に変わった。リヴァイさんがハイエナよろしく襲いかかってきたのである。
「リヴァイさん! やめてください!」
「やめねえ」
その瞳はその声はその表情は滲むその雰囲気は、酷くギラついていた。怒っているのではない。目の前の餌を逃がさない、獣の顔だ。獲物を甚振る加虐心が、劣情と溶けている。 欲情しているのだ。
ああもう! エレンは叫んだ。結局こうなるのかよ。実際に毒つきたかったが、生憎口はリヴァイ本人の口で塞がれてしまった。四か月ぶりのディープキスは初めての比じゃないくらい激しくて、けだもの染みていて、全てを奪いつくそうとする略奪者の口付けだった。 こんなのもうキスじゃない。
前戯だ。セックスの前の。
セックス。
セックス!
セックス!!
どん詰まりのこの状況。その原因がセックスだ。
(そんなにセックスがしたいのかよ!)
エレンは怒りに燃えていた。相手の意志を無視して欲望の吐け口とする。
そんなの人間のすることじゃない。
家畜だ。家畜の行為だ。
あのDVDとおんなじだ。
エレンはリヴァイに従順だが家畜ではない。一人の人間だ。そしてリヴァイも。リヴァイに家畜に成り下がってほしい訳でもない。
万力の思いと力を込めて、リヴァイの細い肩を引き離す。
「やめろよ!」
リヴァイに敬語を使わないのは初めてだった。
「こんなことしたくない!」
貴女を傷つけたくないんだという言葉は、告げさせてくれなかった。
情け容赦のない渾身の一撃が顎にクリーンヒットした。星が瞬く瞬間を確かにこの目で見た。視界がぶれて、焦点を繋げられない。脳震盪を起こしているのだろう。意識が遠のいて、体全体がさざ波のように揺れている気がする。抵抗することも、逃げ出すこともできない。
「お前の意見なんざ、聞いちゃねぇんだよ」
薄い意識の中でも、ゾっとするほど冷たい声だった。怒っているんじゃない。ブチ切れている。
意識が朦朧としている内に、リヴァイは手早くジーンズの前を寛げ下着からエレンの男性器を取り出した。性急に扱いてゆく。思えばエロ本発覚事件から自慰をしていない。自分は淡泊な方だが、それでも溜まっているものを強く扱かれれば勃起するなんてあっという間だ。
やっと焦点が定まってきた視界に、俺に跨ったリヴァイさんが酷く残虐な笑みを浮かべるのが見える。反応した俺のペニスに、満足げに舌なめずりする。
完勃ちに近い状態のソレを離さないと言わんばかりに握って、空いた片方の手でもどかしげにショーツを下す。
まさかもう入れようとするのか。
性急すぎる。第一リヴァイは慣らしてもいない。入るはずがない。無理やり挿入するつもりか?
それじゃああんたが痛いだろう。血だって出る。それ以前に。
エレンは剥き出しになった己の下半身を見る。何も纏わず、強く脈打つそれ。
何より、コンドームをつけていない。
妊娠。
瞬時に点滅した言葉。今時小学生だって知っている。自明の理。
瞬間、爆発的な力がエレンにみなぎった。正に火事場の馬鹿力としか言いようのないその力を、エレンは迷うことなくリヴァイに向けた。
リヴァイを突き飛ばしたのである。リヴァイの小さい身体は吹っ飛び、ソファの下に落ちた。すぐさまエレンは起き上がり、ソファを飛び超え、リヴァイから距離を取った。
「ってーな、くそ…」
リヴァイは大きく舌打ちを零し起き上がる。
リヴァイはタフだ。力じゃ勝てない。
「こんなことしないでください! あんた処女でしょ!?」
とんでもなくはしたない行為。エレンにはそうとしか思えなかった。エレンの非難にリヴァイはつまらなさそうに声を出す。
「処女がめんどくせぇなら、今すぐ誰かに抱かれてくるが?」
お前は待っていろと、そう静かに告げられた言葉に、エレンは信じられないものを見るような目で、リヴァイを見た。リヴァイは賢く、エレンはリヴァイよりは頭が悪い。だからその真意を正確に把握することはなかなか出来ない。しかしこれは、それ以前の問題だ。
そうじゃない。処女を抱くのが面倒臭いんじゃない。何故この人は分からないのだ。
「違う! そうじゃない! もっと自分の身を大事にしろって言ってんだ!」
本心だ。なのに不可解げに見上げられたその眼差しに、エレンの本心が汲み込まれた気配はない。どうしてこうも伝わらない。話さないと。ハンジの助言が頭を掠める。
「聞いてください!」
悲鳴のような声だった。伝えなくてはならない。分からせないとならない。とても大事なことなのだ。
「俺がセックスしたくないのはあんたを傷つけたくないからだ!」
伝わってくれと祈る。これで止まってくれないのなら、本当にもうどうして良いのか分からない。
エレンは今、一度もリヴァイに対して抱いたことのない感情を持っている。それは全身に重りをのせて、エレンが考えることも動くことも酷く億劫にさせている。この感情に飲み込まれてはいけない。
その感情は、脅え、という。
決してリヴァイに対して持ってはいけないもの。
リヴァイにひたむきだったあの頃を思い出せ。殴られても蹴られても、こんな感情抱いたことなかったのに。
リヴァイが怖い。あの目が。あの口が。あの顔が。あの身体が。
リヴァイという存在が怖い。
(踏みとどまれ。狼狽えるな)
エレンは震える全身を叱咤してリヴァイに視線を合わせた。
しかしリヴァイの眼差しを受けて、恐怖で咽喉がひゅうと鳴る。
リヴァイはいかなる感情も削ぎ落としていた。あの猛り狂った熱情さえ、今はない。
そしてゆっくりとその薄い唇を開く。
「もうとっくに傷ついてる」
リヴァイの言葉に、エレンは絶望を知る。
リヴァイに連られるように、エレンもストンといかなる感情も地面に下ろした。とても冷静だった。
「じゃあ、別れます」
声は平坦で無機質に部屋を震わせた。
「貴女を傷つけていたなら、別れます」
リヴァイを傷つける。それはしてはいけないことだった。エレン自身が許せないことだ。リヴァイを傷つけるものは排除されるべきだ。
例えそれが自分であろうとも。
「さようなら」
別れの言葉は呆気なく口から落ちた。踵を返す。もうここにはいられない。
「待て!」
弾かれたかのように追い縋ってきた静止の声。しかしエレンに待つつもりは毛頭ない。駆け出しかけた足が不自然に止まる。
「待てつってんだろ、ちくしょう!」
万力の拘束を思わせる腕が腹に回されている。背中が暖かい。背後からリヴァイに抱きしめられているのだ。
「離してください」
「はなさねぇよ」
「離せ!」
「はなさねぇ!」
逃げ出そうとすればするほど腕に力が籠められる。どうにもならなくて、本当に一歩も先に進むことが出来なくて、どうなっているんだよこの馬鹿力と歯噛みする。
目に涙の膜が張る。嫌だ。泣きたくない。
目に力を込めて、あと三歩で届きそうな玄関のドアを睨みつける。
「お前は俺のもんだ」
「もうあんたの物じゃねぇ」
「それを決めるのはお前じゃねぇ」
理不尽だ。どんな暴力にもそんなこと思ったことないのに、初めてこの人を理不尽だと思った。
この人の思い通りには死んでもなりたくない。
「俺は人間だ! あんたの家畜じゃねぇ!」
吠える。何としてでも逃れようと身を捩る。
「知ってる」
どうして女の子の腕に敵わない。どうして女の子の声は震えているんだ。
「お前が人間なのは知ってる」
「じゃあ離せよ」
「はなさねぇ!」
小さな手が、シャツの裾をきゅっと握る。
「いやだ」
声はくぐもって聞こえた。しかしお互いの息遣いの中、その声は突き刺すようにエレンに届く。
「わかれたくねぇ」
その一言で彼女は決壊した。背後からひっきりなしに届く嗚咽の声。ひくっとしゃくりあげる声の合間から「いやだ」「すてるな」と切れ切れに訴えかけられる。
これは誰の声だ? そんなの決まってる。ここには二人しかいないのだから。リヴァイさんだ。リヴァイさんが泣いている。
あのリヴァイさんが。
新歓コンパで三人の新入生(内一人はエレンだ)を蹴り上げ殴り飛ばしていたリヴァイさんが、元ヤンで人類最強とまで異名を挙げたリヴァイさんが、泣く子も黙らせるあの鬼の子リヴァイさんが、いつも不機嫌な顔して何か気に入らないことがあると口より先に手と足が出るお転婆なリヴァイさんが、口が悪くて目つきが悪くて態度も悪い、でもご飯を食べている所作だけは美しいリヴァイさんが、おっかないけど無愛想なのは不器用なだけで、一度懐に入れてしまえばとても優しいリヴァイさんが、嬉しそうにするのが恥ずかしいから、目元を緩めて口元を僅かに上げてしか笑えないリヴァイさんが。
リヴァイさんが。
泣いているなんて。
頭をがつんと殴られたかのような衝撃が襲う。
誰が泣かせた?
そんなの一人しかいない。ここには二人の人間しかいない。
エレンだ。エレン・イェーガーだ。
エレンの中で、強くて気高く美しい女の子の姿が音をたてて崩れていく。代わりに現れたのは、弱くて浅ましくて脆い女だ。
正直、今すぐここから逃げ出したい。しかしエレンは自分のせいで泣かせてしまった女を、自分が本性を引っぺがしてしまった女を放って逃げ出すなど、そんな非人間的なことはできなかった。もう声を荒げることもできない。優しく、丁寧に。
「あの、もう逃げないので、離してください」
「やだ」
「本当に、本当に、貴女から離れたりしないので。貴女を正面から抱きしめたいんです。だから離してください」
「うそだ」
「俺、貴女に嘘なんか吐いたこと、一度もありません」
俺の誠意が伝わったのか、リヴァイが根気負けしたのか、恐らく半分半分だろう。リヴァイが少しずつ、ほんの少しずつ腕の力を弱めていく。しかしやはり不安なのか、その手はまだシャツの裾を握ったままだ。
エレンは解放を暫く待ってから、くるりと身体の向きを変えた。
約束に違わず、その小さな身体を安心させるように強く抱きしめる。背中に回される腕が、また力を取り戻していく。
「すみません。貴女を傷つけたい訳じゃなかったんです。ずっと。いつでも。今でも。でも結果的に貴女を傷つけてしまった。俺の言葉が足らなかったせいです。話を、聞いてくれますか?」
怖がらせないように、穏やかに声を降らす。
俺の胸から顔を上げたリヴァイさんの目は、痛々しいくらい赤い。
「別れねぇか」
彼女にとって、それが話を聞くよりも第一優先確認事項なのだろう。答える言葉は一つだ。
「別れません」

彼女が落ち着くのを待って、俺は話し始めた。もうどこから話して良いか分からなかったので、愚直にも最初から全部洗いざらい話し尽くした。
彼女の瞳は最初こそ涙で潤んでいたが、話を聞いていくうちにどんどんそれが呆れを含んできていて、最後の頃にははっきりと侮蔑の色を湛えていた。その眼差しにいつもの彼女が戻ってきたと、俺は落ち込むより先に安心した。
「お前は馬鹿だ」
「はい」
「救いようもねぇ大馬鹿野郎だ」
「はい」
リヴァイは憤慨甚だしいらしく、あらゆる暴言でエレンを詰った。
ソファに座ったエレンの膝に乗ったまま。
「まずは大事なことだ」
「はい」
「セックスは痛いことでも傷つけるものでもない。何千年も前から連綿と続くこの営みは、気持ち良いからだ。セックスは本来気持ちの良いものなんだ」
「はぁ…」
「いい。お前ぐらいの馬鹿になると御託は通用しねぇ。今お前に一番必要なのは体験だ」 「たいけん…、やっぱり結局セックスすることになるんですね…」
「たりめーだ、このグズ」
落とした肩に手を添えられる。強い眼差しに射抜かれて見つめ返すと、とても真剣な目をしてリヴァイが言った。
「俺はお前からの愛が欲しい」
―――愛。
その言葉で、カチリとピースが合わさった気がした。
セックスなんてと思った。
リヴァイが何でそこまでセックスにこだわるのか分からなかった。
ただの肉欲だと勘違いして、リヴァイを意志の通じない獣のように見た。
けど違う。
この人は愛が欲しかっただけなんだ。
俺にセックスを拒まれて不安に思ったのも、その不安に苛まれて馬鹿げた努力に身をやつしたのも、全部、この人は俺からの愛情に飢えていたからだけなんだ。
セックスは痛いことではなく気持ちの良いこと。
セックスはお互いに愛を分け与えること。
エレンは目を閉じて、自分の頑なな心に言い聞かせた。
男、エレン・イェーガーは覚悟を決めた。
次に目を開けた時、男の目はぎらぎらと輝いていた。至近距離に見つめていたリヴァイの咽喉がごくりと鳴る。
「俺、リヴァイさんとセックスします」

驚き目を見開いたのも束の間。喜び勇んでエレンを押し倒そうとしたリヴァイを制したのは、やっぱりエレンだった。
「でも、条件があります」
まだお預けを食らうのかと片眉を不機嫌に釣り上げたリヴァイが続きを促す。聞いてくれる気はあるらしい。
「コンドームを、絶対つけさせてください。コンドームなしじゃセックスしません」
リヴァイはふむ、と考える姿勢を保った。本音を言えば今すぐ獲物にむしゃぶりつきたい。しかし散々リヴァイさんが大事と言いのけたエレンの本心が分かりその気遣いが嬉しく、また一理も十分にあったので、リヴァイはすぐさま立ち上がった。
ずり下がった下着を引き上げて(今までずっとそのままだったのだ)、エレンのジーパンも手早く整えてやって(同じく)、スタスタと歩き出す。
「コンビニ行くぞ、来い」
最寄りのコンビニまでは徒歩十分だ。往復で二十分と少し。こんなにももどかしい二十分は生まれて初めて経験する。
リヴァイの変わり身の早さに呆気にとられたエレンは、しかしすぐさま従順にリヴァイの後をついてくる。その気配に、それで良いとリヴァイは笑んだ。














2013/6/29
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