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おめでとう、だいすきだよ





 七代目火影の就任式が迫ってきていた。火影塔は慌ただしい雰囲気に飲まれている。その中で、唯一泰然と構えていられるのは、歴戦が築いた胆の太さか、はたまたのんびりとしたフェイクなのか、それとも生来の性格か、あとわずかで火影の任を降りるはたけカカシその人であった。
「ナルト、もうすぐお前の夢が叶うな」
 日の落ちた火影塔で、一足先にナルトとカカシは祝杯をあげていた。カカシはナルトの七代目就任を祝うために、そしてナルトは、カカシの誕生日を祝うために。「六代目火影を引退するんだから、その労いであってもいいんじゃないの?」そう気恥ずかしげに笑うカカシに、ナルトもナルトで「それは就任式の後でな」と真面目な顔をして言う。最後の最後まで気は抜かせないわけだ。ナルトの意外性ナンバーワンぶりをこれまで何度も目にしてきたカカシは、それが嬉しくて口元を緩めた。
 杯に月が映りこむ。今日の月は目を瞠るほど大きい。
「先生は? 火影の後に叶えたい夢とかねぇの?」
(火影も叶えたい夢ってわけじゃなかったけどね)
 カカシは内心で言うにとどめた。目の前の男こそ、長年火影になるという夢を抱いて、これまであまたの困難を越えてきたのだ。
(それに、こいつに尊敬され続ける忍になることがオレの願いだった。ナルトの夢はオレの夢そのものだ)
「どうだろうねぇ。いますぐには思いつかないよ」
「相変わらず欲がねぇなあ」
 欲、その言葉に酒器を持つ手先が震える。ナルトには言葉にしつくせないほどいろんなものを貰ってきた。これ以上を望んでいいのか。癒えた傷跡を晒す左目を見るたびに思う。そんなカカシにナルトは「諾」と応えた。「そんなの、良いに決まってんだろ」オレのほうがカカシ先生から貰ったものは多いんだし。どこまでも懐深く受け入れてくれるナルトに、カカシは勘違いしそうになってしまう。その器に、欲望の酒を注ぎいれたくなってしまう。
 お前の欲望がナルトを傷つけるんだ。いつかのオビトの声は、いまはもうカカシ自身の声で聞こえる。カカシはそのたびに、自身の欲望を深く握りこんで黙殺してきた。
 大人げないと言われたことがある。ナルトのもうひとりの恩師である中忍教師に。
 えこひいきじゃないのかと、サクラにはからかわれたこともある。崖下りの修業を終えたサクラが、汗まみれの顔で笑った。いくらナルトのためだとは言え、ひとりだけ特別任務を言い渡して誕生日を祝ってもらうなんて。意外とカカシ先生もかわいいところがあるんですね、なんて。思えば、サクラは昔から聡明な子だったから、なにかしらカカシの機微に感じるものがあったのかもしれない。
 ナルトから、手のひらサイズの箱を貰ったこともある。「これにな、オレの気持ちいっぱい詰めたから」そう告げたナルトに、やたら胸が騒いで箱を開けると、そこには一楽のラーメンを奢る券が入っていた。お前の気持ちはラーメンなの、と呆れると、ナルトは恥ずかしそうに頬を掻いた。その夜、券の隅に小さく「有効期限:永遠」と書かれているのを発見して、胸が詰まった。
 いつかのとき、ナルトが拙いなりに一生懸命「お誕生日おめでとうの歌」を歌うのがカカシにはたまらない気持ちにさせて、思わず「お前へたくそだねぇ」と誤魔化したこともある。それから毎年、ナルトはお誕生日おめでとうの歌を歌ってくれるけど、年々うまくなっていくのをカカシはちゃんと分かっていた。カカシの誕生日が近づいてくると、ひっそりと練習の鼻歌が聞こえてくる。カカシはナルトが隠れて練習するのを、こっそり聞いている時間が好きだった。
 毎年祝われるナルトとの誕生日の思い出。ナルトは何度も「おめでとう」と言ってくれた。幼い日の親しみそのままに、「カカシ先生がオレの先生で良かった」と。
「そうだなぁ……。夢というなら、もうお前の“先生”から卒業したいな」
「……え?」
 酒に口をつけていたナルトが、顔を強張らせ動きを止めたのが分かった。
「先生とか六代目火影とか関係なく、はたけカカシとして、お前にオレを見てもらいたいんだ」
 ――お前の欲望でナルトを汚すのか。これ以上なにを望む? せっかくナルトに尊敬され続ける忍の道を、歩み続けてきたというのに。
 だがカカシは、止められなかった。月がいつにもまして明るかった。それだけの理由で。
「ナルト、お前におめでとうと言われるたび、オレは、むざむざ生き残ってしまった命でも、生きていてよかったと思えたよ」
「カカシ、先生?」
 カカシは祝杯を放った。杯に残っていた酒が放物線を描き、月の光が入り込む。
「好きだよ、ナルト」
 だからこれからは、先生でも六代目火影でもなくて、ただの男としてカカシを呼んでほしい。
 酒の軌跡を追っていたナルトは、目を見開いてびっくりしている。
「先生、酔ってる?」
「お前にね」
「……先生がそんなキザなこと言えるなんて、初めて知ったってばよ」
「いままでずっと“先生”でいたからな。でも、お前が望んでいいと言ったんだ。お前がオレに永遠の約束をしたんだ。お前が、オレにとって、悪夢から救ってくれた夜明けの光で、穏やかな夜の呼吸で、あたたかな体温だった。お前がオレの春であり、夏の情熱で、秋の祝福で、冬のなぐさめだった。これをなんて言うと思う? オレは知らなかった。教えてくれたのはお前だよ、ナルト」
 饒舌なカカシのおしゃべりを、ナルトはあっけにとられて見ていた。その唇が、酒のせいで艶やかに濡れている。むしゃぶりつきたくなる衝動を、カカシは抑えた。
 ナルトは、カカシを焦らす意図はないにせよ、長い時間をかけてようやっと尋ねた。
「なんて言うの、カカシ先生」
「おかしい。お前が教えてくれたことなのに、お前は知らないの」
「だって、わかんねぇもの。オレはそういうの。でもカカシ先生は、いつもオレに教えてくれるだろ。オレに、誕生日のお祝いを教えてくれたみたいに」
 そうだったね。カカシは頷いた。思えばあのときから、どうしようもなく見つめていたのだ。無知な子ども! その孤独にカカシが付け込んだことなど、きっと想像だにできないにちがいない。だってカカシですら、無意識に彼をひいきしていたのだ。
「愛してる」
 月明かりは暗い火影室に入り込んで、カカシとナルトの顔を照らしていた。火影室にふたりきり。ナルトの手は酒器を置き、カカシの手に重なった。
「カカシ先生の手が、じいちゃんみてぇにシワシワになっても、」
「なにそれいつかのテンゾウの冗談?」
「茶化さねぇで聞いて」
 カカシの手を両手で握りこんで、ナルトはまじめな顔をしていた。真摯な表情は、彼をずっと大人に見せる。そうだ、ナルトももう三十を超えた。いつまでも、幼く無知でばかりの子どもではないのだ。ハッとした。自分の浅はかさを、もしかしたらナルトは気付いているのかもしれない。彼の孤独を利用したことを。ならこの先に待ち受けるものは、カカシへの糾弾か。
「カカシ先生がじいちゃんになっても、最後まで分からなくても、オレは良いって思ってた。毎年カカシ先生の誕生日をお祝いできたら、それがずっと続くなら良いと思ってたんだ」
 だがナルトは、自身の孤独ではなくカカシの胸に潜めた孤独を言い当てる。一番はじめのあの夜から。ナルトは言っていたではないか。――これから毎年、……
「ナルト、なにを言ってるんだ?」
 ナルトの目が、三日月のように撓んだ。悪戯が成功した子どもの顔だ。
「毎年、カカシ先生の誕生日に『おめでとう』って言ってた。実はさ、おめでとうのあとに『大好きだよ』ってずっと胸の中だけで言ってたんだ」
「え」
「カカシ先生、誕生日おめでとう。ずっとずっと大好きだよ」
 驚きに胸が震える。
「オレがお前の先生だからじゃなくて?」
「カカシ先生がオレの先生だからじゃねぇよ」
「オレがお前より先に火影になったからじゃなくて?」
「カカシ先生が六代目火影だからじゃない」
 胸を張って言い切るナルトに、カカシは声が震えた。しっかり握られた手のひらは、熱い。
「どうして?」
「カカシ先生がはたけカカシだからだよ」
 ナルトの答えは、存外近くにあった。唇にその吐息がかかるくらい。ふたりの体が重なり、夜のしじまにふたりきりの呼吸の音が響いているのを、その手と手が夜明けまでつなげられているのを、月明かりばかりが照らしていた。

















2017/9/23
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