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木曜日





「いらっしゃいませ! いつものですね」
「あぁ、頼むな」





「今日も来たの? 噂の女子学生」
 電車に揺られながら、アルミンは隣のエレンに尋ねた。窓の外では夕日が川面をオレンジ色に照らしている。
「あぁ。“彼女とかいるんですか?”だってよ」
 昨日の今日で大きな進展に、アルミンは驚いた。最近の若い子は大胆だな。高等学校の卒業式を終えたばかりのアルミンは、自分を棚上げにしてジェネレーションギャップを痛感した。
「へぇ! で、エレンはなんて答えたの?」
「正直にいないって言ったな。好みのタイプはって訊かれたけど、お客さん並び始めたから流した」
 あっけらかんと、なんの悪気なく言うエレンに、肩の力が抜ける。大人になりつつあると言っても、まだまだエレンに恋愛事情は早いようだ。
「なんだ。なんにも始まらなかったんだ」
「始まるも何もねえだろ。だいいち、……好みじゃない」
 小さく呟かれたエレンの言葉に、違和感がアルミンの意識を浚う。自分は何か、思い違いをしているのではないか。その予感にぞわぞわと背が粟立った。
 窓の外は夕日が沈んで夜が訪れようとしていた。
「好みのタイプはないんじゃなかったの? ジャンにも散々鈍感野郎ってからかわれていただろ。大学生になるのを機に、付き合ってみれば良かったのに」
 目的の駅についた。降りる人もまばらの中、プラットホームにてアルミンとエレンは立っていた。風が吹き、夜の香りを孕んでやってくる。エレンのモッズコートの裾が揺れる。
 エレン。身ぎれいになったな。アルミンは気付いた。いつもは寝癖が跳ねるに任せていた髪も、しっかりくしけずられ、シャツはアイロンがかかってピシッとしている。くたびれたジーンズ、履き古されたスニーカー、どれもが姿を変えて新しいものに置き換わっていた。大人びた表情をするようになった。だがその半面で、子どもらしい笑顔も増えたと思う。器用に仕事をこなし、背筋を伸ばしてハキハキとその伸びやかな声で客に対応するエレンは、女子学生の目にさぞかし男前に映るに違いない。
 ポツポツと街燈がつきはじめていた。この街から星が満足に見えることなどないけれど、アルミンはそれを不満に思ったことは一度もない。目の前の友人の虹彩に、求める星があるからだった。そして今や目の前のエレン・イェーガーはその大きなまなこに、特大の流星群を引き連れて言うのだ。
「アルミン、オレのタイプはな、」



「今日も行ったんだ。それでまた、コーヒー?」
 朝の挨拶より早く投げかけられたからかいの声に、リヴァイは諦念の溜め息を吐いた。デスクにほかほかのコーヒーカップを置いてから、ハンジに対面する。
「……どこに行ってなにを買おうが俺の勝手じゃねえか」
 ハンジはニヤニヤとその顔を眺めた。まったくこれで無自覚なのだから、大変面白い。
「ほんと最近熱心じゃない。そのコーヒー一杯にどんな魔法がかかっているのかな」
「なんもねぇっつってんだろ」
 一段階低くなった声音に、周りの班員らがハラハラとしているのをハンジは気付いた。リヴァイはどうだろうか。だがハンジには、まだまだ満足するには至っていない。
「ふぅん。あ、そういえば。明日金曜でしょ? 飲みにいかないかって総務部の子たちがさ、あんたをご使命なんだけど」
 わざとらしく、かつ棒読みであった「あ、そういえば」の声音に、リヴァイ以外の班員が凍りつく。
「行かん」
 リヴァイの返事はにべもなく、極寒の嵐のような激しさが凍りづいているようだった。
 対して突風のようなハンジは白々しいほど明るい声でリヴァイの神経を逆なでにかかる。
「またすげなく断っちゃって! もういい年なんだからさ、そろそろ初恋ぐらいは済ませておきなよ!」
 リヴァイは大人として耐えて、初恋のくだりは聞き流した。そして息を詰める自分の部下たちをこれ以上緊張させないように、努めて穏便に事態を収束させようと最大限の努力をした。
「……ああいう手合いは好みじゃねえ」
 だがハンジはそんなリヴァイの回答を悪あがきだとせせら笑うがごとく、身を乗り出してリヴァイに迫る。この瞬間を待っていたと言わんばかりに。まさしくハントの瞬間であり、リヴァイはむざむざ罠にかかったのだ。
「あれま。好みのタイプはいないってこの前言ってたじゃない。いつの間に趣旨替えしたんだい?」
 だが、気付いたところで遅かったし、愚直にもリヴァイは、この時点では「まだ」自覚していなかったのだ。よって悲劇は、リヴァイ班室内で起こった。
「ハンジ、お前のお節介ついでに教えてやる。いいか、俺のタイプはな、」








「オレのタイプはな、大人の人で、ブラックのコーヒーが似合うような大人で、シワひとつないスーツ着こなして、朝からシャンとしてて、姿勢もいい。黒髪で、まっすぐで寝癖だってついてない。声が低くて、落ち着いてて、もっと聞きたいんだけど、耳元で囁かれたら腹のあたりがくすぐったくなるような。それで、背はあんまり高くなくていいんだ。手は節くれだって荒れてるけど、それも大人の男って感じで恰好いい! 伏し目になると、前髪は頬骨のあたりにかかるんだ。あとは、あとはな、」
 ゴウゴウと風がプラットホームに吹き付けていた。エレンの目は瞬く。夜の街燈を反射して。
 流れ星? とんでもない。あれはきっと隕石なんだ。
「待って、エレン。君はそんな素振りも僕に見せてこなかったのに、いったいいつのまに好きな人ができたんだい?」
「えっ」
 アルミンは悟ったのだ。朴念仁の親友が、いつのまにか恋に落ちていたことを。
 だが当のエレンは鳩が豆鉄砲でも食らったような顔をしている。アルミンは溜め息が漏れるのをグッと我慢した。
「好みのタイプが具体的すぎるよ。タイプっていうより、まんま好きな人じゃないか」
 親切に教えてあげたというのに、まだエレンには信じられないようだ。
「えっ、そんな人、どこで会ったんだろう」
 あまつさえ心当たりはないという。アルミンは呆れて、強張っていた体が一気に脱力したのを感じた。
「自覚症状なかったの? 随分ことかまかに話してくれたけど」
 コートの袖口がエレンの口元を覆った。
「オレ、なんて言ってた?」
 記憶もないらしい。このトンチキ野郎。アルミンはしかし善良な友人で会ったので、そのような罵倒は一切口には出さずに、ニコリと真実を語った。
「とりあえずエレンは、年上の大人の男の人に恋しているみたい」
 隕石の瞳は大地にぶつかって、大爆発した。
「えー!?」



「いいか、俺のタイプはな、まず目ん玉がでっかくて珍しい色をしている。照明に当たるとぴかぴか蜂蜜みたいに光りやがる。釣り目がちなのが特にいい。で、笑うと涙袋がぷっくり盛り上がるだろ、澄ました顔してるとクソガキだが、笑うともっとガキくせえ。髪はふわふわの猫っ毛で、お辞儀するとぴょこぴょこ跳ねる。よく通る声をしていて、耳に心地いい。背は高い。高いがまるきし体が追いついていないひょろひょろの体して、俺がコーヒー受け取らないで手首でも掴んだら折れちまうんじゃないかって冷や冷やするな。エプロンの紐があのほっそい腰のところで縛られてんだぞ? 後姿で見える紐の余りのなげえこと。それから努力家なのも好ましい。客の注文はすぐ覚えるし、手際も日ごとによくなってる。顔がいいし、接客業だから、女の客にしつこくされてもうまくあしらってたな。あの小生意気な澄ました顔が営業スマイルでもなんでも俺に毎朝笑いかけて、当然のように俺の注文を覚えて俺にコーヒーを手渡す。毎朝あいつからコーヒーを貰いたいと思ってる」
 一息に喋り倒すと、青ざめた顔の班員たちと、顔を紅潮させたハンジとのコントラストが目に付いた。訝しむ間もなくハンジはニヤニヤ笑う。
「あーあ。つまんない。あっさり初恋を白状しちゃって!」
 つまんないと言う割には意地の悪い笑みをしている。そしてその言葉には到底リヴァイには承服しかねるものがあった。
「アぁ? てめえちゃんと聞いてたのか」
 好みのタイプを話していただけなのに、なぜ初恋の話を蒸し返されなければならないのか。だが、そう疑問に思うリヴァイこそがこの場では異質なのであった。
「聞いてたよ! 最近よく行くコーヒー店の店員に恋しちゃったんだろ! それで毎朝大して好きでもないコーヒーを意中の君から直々に手渡されたいがために通ってるんだろ! で、その子の名前は?」
「えっ」
 リヴァイは自分があげたおかしな声を聞いた。しかしそんなことはどうでもよくて、この期に及んで狼狽えるリヴァイを、ハンジは信じられないという面持ちで見返した。室内の誰もが、――不幸にもそれはリヴァイを尊敬する部下たちも含まれていた――リヴァイの盛大なのろけを朝から聞いてしまい、ハンジ以外の面々は俯くことしかできないというのに、その告白をした張本人が、その自覚どころか、好きな子の名前すら思い至らないというのだ。
「えっ、あそこまで細かく詳細に羅列しておいて、まさか本当に気付いてなかったの?」
 だとしたら心底気持ち悪いな! 全部無自覚かよ!
 ハンジは吐き捨てた。墓場のような静寂の中、リヴァイはもう一度困惑の声をあげた。
「……えっ、」






















2016/4/13
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