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水曜日





「いらっしゃいませ。あ、いつものでよろしいですか?」
「……あぁ、頼む」
「はい。少々お待ちくださいね」





 三度目のエレン待ちとなると、もう慣れたものだ。流れてくる人と人の間から、友人を難なく見つけ出して手を挙げた。
「エレン、バイトにはもう慣れた?」
 帰りの電車の中でエレンに尋ねると、彼はぼんやり路線図に投げかけていた目線をアルミンに合わせた。
「あぁ、メニューも一通り覚えたし、お客さんもよく見る顔はだいたい分かってきたな」
 まだバイトを始めて日が浅いというのに、そつなくやっているようだ。どちらかと言えば個性の強い……難のある性格をしているだけに、友人が飲食店、それも接客業に従事できるのか不安を覚えていた。だが彼も大人になりつつあるのだろう。今日まではその心配も杞憂なことであったらしい。
 アルミンはにこやかに親友の努力を称賛した。
「もう? すごいじゃないか」
 エレンははにかんで、声を潜めてアルミンにだけ聞こえるように言った。狭い車内でいくら声を落としてもエレンののびやかな声はよく通る。だがアルミンは彼の配慮を尊重して、顔を近づける。
「今朝のバイトで先輩にからかわれたんだ。“お前がバイト入ってから、これまで週に一回か二回来る女子学生が、ここんとこ毎朝来てる”って」
 アルミンは親友の顔を見上げた。エレンは誇らしげな顔をしているけれど、それが女の子の存在に喜んでいるからと判断するには、疑問の余地がありすぎた。
(どちらかというと、常連さんを増やせて嬉しい、とか?)
 目に見える成果を喜ばない者はいないだろう。アルミンはそう結論付けた。
「その子はエレンめあてなの?」
「さあ? 学校もまだ始まってねぇだろうし、単純に家が近いんじゃねえ?」
 かまをかけてみればこれである。単純に、モテて嬉しいとか、そういうことではないようだ。変わらない朴念仁に、アルミンは内心で安堵の息を吐く。そうしてささやかな意趣返しに、意地悪を言うのだった。
「もうエレンたら。せっかく大学生になるんだから、恋のひとつでもしてみようと思わないの」
 エレンは目を大きく開けて驚いてみせた。まるで突拍子のないことを言われたみたいに。エレンにとっては「まるで」ではなく「まさしく」なのかもしれないが。
「なんでだよ。大学生と恋は関係ないだろ」
 エレンの春はまだ遠いのかな。固く蕾をつける桜の木々は川の土手沿いに植わっている。電車はタタンタタンと冷たい川を眼下に収めながら通り過ぎていった。



「あらまたその店行ったの? 最近毎日じゃない」
 いつもは昼にからまれるのに、今日に限っては出社早々に難癖をつけられて、リヴァイの眉間には皺が深く刻まれた。これ見よがしに片手に紙のカップを持っているのも、よくなかったのだろう。自己主張の激しいブランドロゴが、リヴァイの指の間から微笑んでいた。
「……あぁ」
 知らずに低く飛び出た声は、図星を刺された気まずさからではないと思いたい。リヴァイはもともと、朝が苦手なのだ。
「前に私と行ったときは、クリーム食べてんだかジュース飲んでんのか分からないって言ってたじゃない」
 おもにクリームを食べていたのはハンジだった。向かいのリヴァイは、モブリットにかわってハンジのお守りを任された不快感と、ポッドから煮出されなかった紅茶をちびちび飲みながら無愛想面を振りまいていただけに過ぎない。
 恐ろしく愉快な時間だったな。もう二週間ほど前のことだ。ハンジがどうしても期間限定の桜フラペチーノが飲みたいと駄々をこねて、むりやり店の敷居をまたがせたのだ。あのときは嫌々だったくせに、今日で数えて三日連続、彼はその店に通っている。
 リヴァイは手元のコーヒーに目を落としていた。湯気が出ている。まだ肌寒い春先の朝に、その温かさは優しかった。
「俺が頼んでいるのはクリーム山盛りじゃない。ただの一杯のコーヒーだ」
 ただの一杯のコーヒー。それこそがリヴァイという男にとってどれだけ重要なことなのか、本人は知っているのだろうか。ハンジは眼鏡のレンズ越しに目を光らせた。
「それだってあなた、コーヒーより紅茶派じゃない。たかが一杯のコーヒーのために、全国チェーン店に通い詰めるなんて、何があなたの御眼鏡に適ったの?」
 リヴァイはしばし口を噤んだ。心当たりを、探ろうとしているみたいに。それはまだ彼の認知外のことであるかもしれないと、ハンジはそのとき初めて思い至って口元を戦慄かせた。まさか。だってそんな。
 やっと絞り出したような声で、リヴァイは否定した。
「……何も」
 何もないと言うのか。そんな顔をして!
「へぇ。そう」
 これが愉快と言わずして、いったいこの世にどれほどの娯楽あるというのか。ハンジはリヴァイの前で盛大に笑い転げるのを、なんと賢明にも耐え忍んだのだった。






















2016/4/13
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