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「おいしくたべてね」





虹色の世界だった。七色に光る大気に包まれながら、荒野を歩く。荒野は広く、地平線が続いている。夕暮れ時のような空は、地平線を橙色に光らせていた。ここは願いが何でも叶う世界だった。詳しく言うと全然違うのだが、シモンはそういうものだとこの世界を認識している。夢見がちな荒地にはコンテナが無数に置かれ、その一つ一つがシモンの願いなのだと、まだ開けていないコンテナ群を見つめながら思う。その圧倒的なコンテナの数から、自分はなんて欲張りな人間なのだと自嘲の笑みが零れた。自分がこんなにたくさんの願いを持っていたなんて! あったかもしれない過去。これからあるかもしれない未来。そんなものに縋って、自分は願わずにはいられないというのか。アニキの生きる世界を。
アニキはたった一人のアニキだった。もちろん本当の兄弟なんかではない。アニキ曰く、魂の兄弟というものだった。自分が信じたアニキ。アニキが信じてくれた自分。二人の絆は確かなものだった。だがアニキは、自分のせいで死んだ。シモンはずっとそのことを後悔している。アニキが生きていた過去、あの時アニキが死んでいなかったらの未来、そんなものがシモンを捕えて放さない。だから今ここに虹色の世界が広がっているのだ。
「俺の望み…」
シモンは一つのコンテナを前にして呟いた。鍵穴のようなドリル穴は、螺旋を描くように仄かに発光している。自分の心音に合わせて光っているのだと気付くと、どくんという心臓の音と共に、その光も大きなものとなった。このコンテナを開けば、シモンの数多ある願いの一つが叶えられる。それはどんなに魅力的なことだろう。まだアニキが生きていればの話? もしアニキが生きていたらの話? どちらにしろシモンには幸福な物語だった。ごくりと生唾を飲み込む。このコンテナを開けてしまったら最後、もうここには戻ってこられないかもしれない。言わば、シモン一人の命を引き換えに、シモンの願いが一つ叶うのだ。それで良いのか、このコンテナで良いのか、シモンは暫く熟考した。しかし答えは変わらなかった。良い。これで良い。もし一目でもまたアニキに会えるのなら、自分は何を引き換えにしても構わない。シモンは自分の首に下げられているコアドリルをゆっくりと外すと、コンテナの穴に力強く差し込み、ねじった。途端にコンテナの扉が開かれて、中からもうもうと煙が立ち込める。そのあまりの量に思わず顔を庇うように手を振り上げ目を瞑ると、世界が一転したのはあっという間だった。ぐにゃりと重力が曲がったような感覚がして、シモンは目を開ける。そこはブタモグラの群れの中だった。そしてシモンはなんと、ブタモグラになっていたのだった。
自分がブタモグラになっていたことへの驚きは一瞬で、多元宇宙ならこういうこともあるのかと納得するのは早かった。周りを見渡すと入り組んだ穴道、限られた照明、ブタモグラの群れ、僅かな情報しかなかったが、どうやらここはジーハ村らしいことがわかる。とするとこれは、アニキがまだ生きている頃の世界なのだろうか。そこまで考えて、シモンは考える気力をなくした。猛烈にお腹が空いていたのだ。様子を窺えば周りのブタモグラも同じようで、食事の時間を今か今かと待ちわびてそわそわしていた。今まで自分はブタモグラを食べる側だったから無関心だったが、そういえばブタモグラは何を食すのだろう、そうシモンが考え始めた時だ。その存在は突然現れた。
「風呂の時間だ!」
そこへやってきたのは着るものを脱いですべて曝け出した全裸のカミナだった。言葉通り入浴をしにきたのだろう。シモンは目を見張り、カミナの姿を見つめた。死別したはずのアニキが今ここにいる。耐えきれない感動だった。カミナとの久しぶりの逢瀬にシモンの頬は紅潮した。もっともその姿は成獣したブタモグラのものだったが。喜びのあまりカミナに抱き着こうと突進するとカミナは「うお!」と言いながら身を躱してしまい、シモンはショックを受けた。そして自分がブタモグラの姿であることに頭が追いついてきて、絶望した。せっかくアニキに出会えたというのに、これではアニキに抱き着くこともできない。
シモンの異様な雰囲気に気圧されていて、遠巻きにカミナとシモンを見ていただけだったブタモグラたちが、シモンが落ち込んでいる間にアニキに向かってぞろぞろと動き始めた。そのブタモグラたちの妙に興奮した様子を見て、シモンは大事なことに気が付いた。そう、ブタモグラは人間の垢を食すのだ! 人間は垢を取ってもらうのでこの行為を風呂や入浴と呼んでいるが、ブタモグラにとっては大事な食事の時間だ。大勢のブタモグラがカミナに群がり、カミナの垢を舐め取っていく。その想像はシモンの正気を違わせるには十分だった。シモンは自分の持つ螺旋力全てを以て、ブタモグラたちを威嚇し始めた。
(俺のアニキに、触るんじゃねぇ!)
シモンの恐ろしい気迫が伝わったのか、ブタモグラの群れはまたぞろぞろと後退していく。シモンは再び一対一でカミナと向き合った。
「なんだぁ? 今日はお前一匹だけなのか。まぁ良いけどよ」
こんな時、いつもは群れで身体を舐められているのに、今日は一匹だけの不可思議さをアニキが気にしないくらいの馬鹿で良かったと本気で思う。アニキはブタモグラが食事をしやすいように胡坐をかいて座っていた。何も身に付けていない肌は滑らかで、きれいだ。ごくりとシモンは唾を飲み込む。そろそろとアニキに近づいていき、距離を詰められるだけ詰めると、至近距離にあるアニキの頬をベロンと舐めた。

アニキの首筋に舌を這わせる。アニキの垢は美味しかった。甘美なものを食すように夢中でアニキの首筋を舐めると、ザリザリとした感触が擽ったいのかアニキはおかしそうに身を捩る。その様に食欲と同時に劣情を刺激される。はぁはぁと息の荒さを不審がられていないだろうか。今、アニキに触れている。それがこんなにも興奮するなんてシモンは知らなかった。
シモンはアニキに恋をしていた。いつからかなんてわからない。いつも一緒だったアニキにいつのまにか心を奪われていた。アニキを想って自らを慰めた夜がいくつもあった。もう触れることの叶わないアニキを想って、シモンは泣いた。アニキがいなくなってしまっても決して色褪せることのない、寧ろその存在は一層艶やかになっていく恋心にシモンはなすすべもなかった。ただアニキのいない絶望、その激流に身を任せながら、夜ごと火照った体を持て余すのだった。アニキのいない暗く翳った世界に比べて、この世界はなんて楽園なのだろう! 今、アニキはシモンの目の前にいて、シモンはカミナの首筋にしゃぶりついている。こんなに幸福なことがあるだろうか。シモンはうっとりしながら、自らの舌を鎖骨のくぼみからアニキの胸へと這わせていった。
アニキの胸は筋肉がついていて逞しい。余分な脂肪もなく引き締まっているその胸を舐めるのは楽しかった。アニキの胸に鼻先を埋めると、アニキの匂いがする。口の中ではアニキの味がいっぱいにして、シモンは恍惚とした。ブヒィと思わず吐息が漏れる。乳輪ごと舐めるように口に含むと、そのままシモンは器用に歯を使ってアニキの乳首を甘噛みした。
「ぁ、」
アニキの小さく漏らした声。その声に調子づいて、やわやわと乳首を刺激する。
「ん、やめろって」
カミナはシモンの頭に手を置いて、慌ててシモンを引きはがした。変な声が出たのが恥ずかしくなったからだ。ちゅぱと水音がして、シモンの口からカミナの乳首が解放される。薄く色づいていたはずのそれは、赤く染まり既に芯を持っていた。
(アニキの乳首たってる。かわいい)
シモンは嬉しくなって、今アニキに拒絶されたばかりだというのに、今度はアニキの懐に顔を埋めた。アニキは胡坐をかいたままなのでその行為は容易だった。アニキの腹は生白くて普段は衆目に晒されていない場所なんだと思うと、余計に興奮した。腹筋はきれいに割れていて、シモンはその割れ目に沿って丁寧に舌で愛撫する。シモンはまだアニキが入浴気分でいることが少し悔しかった。その先入観に付け込んでアニキに悪戯をしていることも棚にあげて、もっとアニキの淫らな表情が見たいし、声が聞きたいと思った。へそに舌を突っ込むとアニキは「ひゃあ!」と声をあげた。可愛い声だ。そんな声をもっと聴いていたい。シモンは胡坐をかいたカミナの股間を覗き込む。下生えに隠れているアニキの陰茎は当然のことながらなんの反応も示していない。不埒な考えが頭をよぎったが、今はアニキの垢を食すことに専念した方が良さそうだ。アニキ自身を食すのは、その後で良い。
シモンは細く未発達なカミナの太ももを舐めた。アニキの肌はつるつるで程よい弾力があって好ましい。決して太くはない太ももを舐めながら目の前にあるカミナのペニスが気になって仕方がない。あそこは一体どんな味がするんだろう。シモンはそれを想像するだけで口角が上がるのを抑えきれなかった。わざとペニスから目を外すように、シモンの舌は更に下へと降りていく。カミナは無意識なのか習慣なのか知らないが、シモンの舐めたいところが分かっているかのように足を投げ出した。シモンは恭しくその引き締まったふくらはぎに口付けた。啄むように吸うとアニキの味がしてシモンの頭はくらくらする。今、アニキを食べているのだ。そうしてシモンの命が繋がれていく。アニキの身体の一部だったものが、シモンの身体を形作る。シモンはうっとりとした。そして与えられてばかりいるのではなく、シモンもカミナに何かを与えたいと強く思うようになる。
(何か、アニキにしてあげたい)
シモンはカミナの足の甲にむしゃぶりつきながら思った。そうすると目に入るのはやはりカミナの萎えた陰茎で、蠱惑的にすらシモンには感じられるそこを目にして、シモンはごくりと咽喉を鳴らした。
今まで散々アニキに劣情は抱いてきたけれど、今は純粋な気持ちでアニキに奉仕したかった。今まで存在しえなかった機会が今まさにここにある。シモンはあまり悩まなかった。アニキがいる。アニキが裸で目の前にいる。その何の反応もしていないアニキのペニス。シモンの何かしてあげたいという気持ち。それから、やっぱりアニキの可愛い顔を見たいという気持ちが、シモンの胸に渦巻いている。こんなチャンスは二度とない。二度とないんだ。シモンは自分に言い聞かせるようにして、徐にカミナの陰茎へと顔を近づけていった。
「ぎゃ!」
突然男の弱点ともいえるところをブタモグラに咥えられて、カミナは驚いた。今までシモンに散々良いように舐められていたが、カミナは深く考えずにこれが風呂だと思っていたので、突然のブタモグラの暴走に一層驚いたことだろう。引き離したいが、咥えられている場所が場所なので下手に引きはがすことがカミナにはできなかった。そのことで、シモンは更に勢いを増していく。大胆に舌を絡めると、執拗にカミナの裏筋を扱くように舐めまわす。
「やめ、…あ!」
弱いところを責められて、カミナは高い声を出す。その声こそシモンの聞きたい声だった。唾液をまんべんなくアニキのペニスに塗りこめながら、アニキを味わう。結論から言うと、アニキはどこもかしこも美味しかった。しかしペニスの味わいはまた一層濃いもののようにシモンには感じられた。
「はぁ、あ、んん」
ぬるぬるとした陰茎に更に唾液をまぶしていく。たまに裏筋を扱いてやると、堪らないのかアニキの声は大きくなった。くちゅくちゅと淫猥な音があたりに響く。
シモンはブタモグラになれたおかげで今アニキに奉仕することができる。その僥倖に感謝すると同時に、ブタモグラとなったのが少し残念でもあった。手が使えないのだ。舌だけでなくて、手を使ってもアニキの身体を愛撫したかった。その胸を、そのわき腹を、その太ももを、そのふくらはぎを、そのつま先を、あますとこなく。しかしそれは無理な話だった。何より、こんな幸運に恵まれておいて、まだもっとなんて自分は欲深すぎる。いつもそうなのだ。アニキの前では歯止めなんかきかない。理性を捨て獣と化すシモンは、まさに今の姿がお似合いなのだ。
「ふぁ…、やぁ…っ」
名残惜しくアニキの勃起したペニスを口から解放して、シモンはアニキの陰嚢に舌を這わせる。アニキのペニスは光度が最低限落とされた穴倉の中でもてらてらと光っていて卑猥だ。鈴口はシモンを誘うようにひくついている。シモンはアニキの足の付け根に唇を落とすと、強く吸い付いた。カミナが痛みを訴える声を上げるので少し申し訳なく思ったが、欲求には耐えられなかった。足の付け根だけでなく、臍の近く、胸の合間、首筋にも同じように痕を残していく。恐る恐る覗いたカミナの瞳は既に快楽に潤んでいた。ぺろりとその可愛い目尻を舐めると、しょっぱい味がする。シモンはカミナに口付けようとして、…できなかった。自分が家畜だということを思い出したからだ。例えそのブタモグラがシモン自身だったとしても、アニキはそんなこと知らない。ただアニキに家畜からキスをされるという屈辱を与えたくなかった。シモンは泣いた。ぼろりと涙がカミナの頬や鼻先に落ちて、カミナが怪訝な顔をする。それでもシモンは悲しかった。こんなにアニキと近いのに、アニキにキスすることができないなんて。アニキの唇は、あんなにも柔らかそうなのに。
その時驚くべきことが起こった。カミナがブタモグラのはずであるシモンを抱きしめたのである。
「なんだかよくわからねぇが、お前の好きなことをやればいい」
アニキは優しく言った。
「俺は、大丈夫だから」
カミナがシモンの心情の何を察したのかはわからない。しかしシモンは、アニキがシモンをシモンだと認めてくれたような気がして、更に滂沱の涙を流した。
(うんっ! ありがとうアニキ)
言葉はブヒブヒィとしか言えなかったが、アニキには伝わったようだった。くしゃっと花のように笑った。その可憐さにシモンは眩暈がする。アニキは可愛すぎだ。
口にはできないのでせめてもと、まだ萎える兆しもないアニキのペニスにキスをする。ちゅうと吸い付くと、アニキからは甘い声があがった。限界が近いのだろう。カミナの声は段々切羽詰ってくる。カミナを追い立てるようにちゅうちゅう吸い付くと、一際高い声をあげてカミナは射精した。どくんとカミナのペニスが脈打って、熱いものが口内に広がる。シモンはそれをすべて飲みきった。アニキのものなら、なんだって美味しく感じられた。



行為後、カミナは風呂の時間が終了したので帰ってしまい、シモンはブタモグラの群れの中で独りぼっちだった。あれから何人か、入浴をしにブタモグラの群れに来た者たちがいたが、シモンはその輪に加わろうとはしなかった。アニキを独り占めできたおかげで腹はくちくなったし、なにより胸が一杯だった。アニキにもう一度出会えただけでも奇跡だというのに、その肌に触れてしまった。あまつさえアニキのを口でするなど、夢にも思わなかった。今でもアニキの味が口の中に残っている気がして、シモンは何度も生唾を飲み込んだ。幸福な時間だった。これ以上自分は、この世界に何を望むのだろうか。
その時、消灯時間を迎えたばかりだというのに誰かがブタモグラの群れが飼育されていうる穴倉に入ってきた。一瞬シモンはそれをカミナだと思った。今日出会ったブタモグラがシモンだと気付いたのかもしれない。そんな詮無い淡い希望を抱いて。しかしそこにいたのはカミナではなくジーハ村の村長だった。村長は村では貴重な明かりのついたカンテラを頼りに、一匹一匹ブタモグラを物色している。心なしかブタモグラたちは脅えているようであった。村長はシモンの前にもやってきて、シモンの背を撫でながらなにやらぶつぶつと呟いている。
「うん、こいつは良いな。脂肪も程よくついている…。こいつにしよう」
そういって村長はシモンのわき腹に黒いペンキで大きくバツをつけた。そうして満足そうに去っていく。後に残されたのはバツをつけられたシモンと、そんなシモンを同情的な目で見つめるブタモグラたちだけだった。

翌朝になって、シモン一匹だけ連れ出された場所を見て、シモンは自分の運命を知った。そこは屠殺場だったのである。シモンはここでただの肉となって、朝食だか夕食だかにブタモグラのステーキとして出されるのだ。シモンは少なからず驚いた。まさかこんな形で自分の一生が終わってしまうとは思わなかったのである。確かに、あのコンテナを開けた時に、この命は差し出す覚悟で来た。それでも自分がブタモグラのステーキになることを、いったい誰が予想できただろう。しかしシモンの悲嘆はそこまで長く続かなかった。命を投げ打ってでも来る価値がこの世界にはあった。アニキがいて、アニキに触れられたこと。それだけでシモンには十分だった。また、こうも考えられる。シモンのブタモグラステーキは、必ずアニキの口にも入るだろう。見たところ、今日屠殺されるのはシモン一匹だけだ。アニキの糧となる! それはなんて甘美なことだろうか。シモンの身体が、アニキの血となり肉となるなら、自分がこの命をアニキに捧げるのも、そういう最期も悪くはない気がした。寧ろ歓迎だった。自分は一度、自分のせいでアニキを失くしている。そんな自分が今度はアニキの命を繋ぐことができるのなら、こんなに幸せなことはない。シモンの意志は固まった。死のう、アニキのためにこの命をささげよう。そうしてアニキに、美味しくたべてもらうのだ。口付けることができなかったその口で。
その時、銀色の刃が翻って、屠殺場にどすんと大きな音がした。

「夕食の時間だ!」
カミナはうきうきと席についた。目の前には先ほど配膳されたブタモグラのステーキがじゅうじゅう音をたてている。どうやら、焼きたてのようだ。一日の厳しい労働を終えて腹を空かしたカミナは、涎を垂らさん勢いだ。
「へへっ、いただき!」
そう言うと、カミナは美味しそうにその肉を口に含んだ。







おいしくたべてね!






2013/2/9
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