inserted by FC2 system








いとしいとしと鳴く虫は





 日が落ちてうっすら月が浮かぶ。火影塔で微かな声が聞こえてくる。火影室にもどる道すがら、シカマルは人気のない廊下に立ち止まり、ジッとその鼻歌に耳を澄ませた。誰に聞かせるでもなく紡がれる鼻の抜けた音を聞くと、またこの季節がやってきたのかと感慨深い。シカマルにとって切れ切れと小さく響く鼻歌は、秋の風物詩と言って等しい。
 ゆっくり歩みを進める。無意識で口ずさむほど、向こうも余裕があるのだろう。今日の激務はこれにて終了。あとはお互いを労って帰るだけだ。火影室の前まであともう少しというところで、まばらな人影を認めてシカマルは再び足を止めた。
「なにやってんだお前ら……」
「シーっ!」
 控えめな声で呼びかければ、必死な形相でできる限り声と気配を潜めて、火影塔勤務の数人が振り返る。こんな時間まで残業とはご苦労なことだが。
「とっくに定時過ぎてんぞ。仕事が終わったなら早く上がりな」
「そんな意地悪なこと言わないでくださいよ。いま七代目が歌ってらっしゃるんですよ」
 どうやら夜のしじまに聞きつけて、盗み聞きするためにわらわらと集まってきたらしい。
「これ、誕生日のときに歌うやつですよね」
 こそこそと事務員が言えば、「誕生日過ぎちゃったけど嬉しい。七代目がお祝いしてくださってる……」としみじみと化学班の誰かが言う。そのひとことをきっかけにして、「いや俺の誕生日は三か月後だから俺に」「いや私の過ぎてしまった誕生日に」などと好き勝手な妄想を膨らませている。勝手にしてくれと思いつつも、シカマルの脳裏によぎるのはもう何年も前の光景だ。
 あれはチョウジの誕生日が過ぎた昼のことだった。任務を終えたチョウジとナルト、その頃には六代目火影の補佐についていたシカマルが、ちょうど良いからとともに昼食をとった道すがらのことだ。
「シカマル、この前はありがとね」
「あぁ」
 その短い会話を、ナルトは聞きとがめた。
「この前って?」
 ナルトが聞くのを、シカマルは答えなかったが代わりにチョウジが教えてやる。
「この前ボクの誕生日にね、シカマルがポテチ一年分くれたんだよ〜。三日で食べ終わっちゃったけど」
「お前な……」
 あの山と積まれたポテチを三日で食べきったというチョウジにシカマルは呆れた。対してナルトは「すごいなチョウジ!」と単純に賞賛し、それから興味深げに頷いたのだった。
「好きなものを一年分かぁ」
「なんだいナルト、ボクはいつでもプレゼントを受け付けてるよ。焼き肉一年分でもいいんだよ」
 チョウジの一年分の焼き肉といったら、それこそ破産しかねないなというシカマルと同じことを思ったのか、ナルトは口元を引き攣らせて「いや、ちがくてな」と否定する。
「チョウジは今年の誕生日、どんな風にお祝いされたんだ?」
 いやに誕生日について詮索するなとシカマルは訝しんだ。しかしあまり深くは突っ込まず、チョウジとナルトの成り行きに任せることにする。
「どうって……、そうだなぁ、いつもと同じような感じだけど、やっぱり大きなケーキを前にして、家族のみんなやイノとかが誕生日の歌を歌ってくれるのが嬉しいかな。シカマルは歌ってくれないけどね」
「誕生日の歌って年でもないだろ」
 きまり悪さににくにくしげに言い捨てるも、チョウジには「恥ずかしいんだよね」となんでもお見通しだ。
「誕生日の歌?」
 ナルトは目をまあるく見開いた。
「知らない? おーたーんじょーび、おめでとう〜って」
 一節をチョウジが歌い上げても、ナルトは首を振るばかりだ。

 あのときチョウジにお誕生日の歌を教えてもらってから、夏の残暑が終わるころぐらいからナルトの鼻歌を聞くようになった。いつも偶然居合わせてしまうのは、それなりにナルトとは親密な付き合いを続けている証だろう。

 回顧を続けているうちに、ナルトの鼻歌は何度も何度も繰り返され、やがて止まった。
「あ〜終わっちゃった……」
 名残惜しげに呟く中忍に、「ほらお前らいいかげんに帰れ」とシカマルは促す。みながてんでばらばらに散るのを見送って、さあオレらも帰ろうかと扉に手をかけたところで、人影が差した。
「よっ!」
「先代」
 先代六代目火影のカカシである。こんな遅い時間にカカシが来るのは、なにか緊急の用があってというわけではなく日常的によくあることなので、シカマルも大して気にしない。
「ナルトー。迎えにきたぞ」
「カカシ先生! シカマル!」
 カカシがシカマルに代わって扉を開け、書類の束を整えていたナルトが顔を上げた。
「もうちっと待って。これだけ済ますから」
(まだ仕事終わってなかったのかよ……)
 シカマルは内心で溜め息をつく。それなら過去に思いを馳せてないでさっさと入室して、ナルトの仕事を手伝えば良かった。
「だーめ。いま何時だと思ってるの。昨日は徹夜したんだろ。隈ひどいぞ」
 カカシの指先がナルトの目の下に触れる。蛍光灯の光は白々とナルトの血色の悪い肌を晒した。
「これだけ! これだけだからさ、お願いカカシ先生」
「だめだって言ってるだろ。仕事に熱心なのは結構だが、ちゃんと休むのだって大事なことだぞ」
 ナルトが未練がましく手に持つ書類は、里の治水工事に関するもので、現場のスケジュールを鑑みれば、確かに朝のうちに決済していたい内容だった。こまかな計算が合わず、火影のもとにきたのは定時を過ぎてから。今日中に仕上げたい書類を優先して、この時間までになってしまうのも仕方がないことだ。だがナルトが昨夜は家に帰れず火影室で夜を明かしたのは事実であり、カカシの言葉はシカマルにも耳が痛いばかりだ。明日の朝いちばんに見れば間に合うのなら、やはりここはナルトが素直に帰った方が良いだろう。というのに。
「大丈夫! オレってば体力だけには自信があるから」
 なんて空元気にナルトが言うものだから、シカマルはめまいがする。
「ナルト」
 カカシが声を低くして言ったのを、正しくその諌めを感じ取ったのだろう、ナルトの肩が強張る。
「だめだ。帰るぞ」
「せ、……カカシ、お願い」
 その懇願は、蚊の鳴くように小さな声で、シカマルとて油断していたら聞き漏らしてしまったかもしれない。実際、そうするべきだった。その弱り切った声は迷子になっていまにも泣きだしそうな子どもの声であり、潜められた甘やかさは火影室で聞くにはプライベート過ぎた。
「お前な、そうやればオレがほいほいなんでも言うことを聞くと思ったら大間違いだぞ」
 カカシは目を吊り上げて、声を高くした。上擦りした声は精一杯の威厳を保とうとして失敗しているのを、真後ろからその耳が赤いのを目撃したシカマルだけが知っている。
「うっ、」
「三十分だけだ。三十分過ぎたら担いででも連れ帰るからな」
「! ありがと先生!」
 怒られてしょんぼりした――まさしくそのままだ。比喩ではない――ナルトは一転して顔を明るくさせ、猛スピードで書類を仕上げていく。
 溜め息のあと、カカシが振り返り、不運にもシカマルと目が合った。
「あのね、オレはあいつのスパルタ教育はとっくにやめたの。いまは甘やかし担当なの」
「なにも言ってないっすけど」
 言い訳がましく取り繕う先代にシカマルは答える。そもそもナルトのオーバーワークはシカマル自身の補佐能力や現状の問題点が多々あるからであり、この場でカカシを責めるつもりなど微塵もない。少し目が胡乱になってしまうのは別の理由だ。
「終わった!」
 それからしばらくしてナルトが声を上げ、やっとふたりだけの気まずい空気から解放される。
「お疲れさん」
「シカマルもお疲れ。また明日な」
「じゃ」
 短い労いのあと、ナルトとカカシは連れ立って帰っていく。
「あっ、鈴虫が鳴いてる。秋だな〜」
 窓の外からリンリンと鳴く声に、ナルトが言った。シカマルから、ふたりの後ろ姿はまだ近くにある。
「ナルト、知ってるか。鈴虫は雄が雌の気を引こうとして鳴くんだよ。求愛してるんだ」
「へぇ。誰か一緒になってくれるやつが見つかるといいな」
「オレも、ここまで来る道で鈴虫の声を聞いたよ。そいつは見つかったんじゃないかな。きっとね」
「そりゃよかった」
 ナルトはなんにも分かってない。シカマルは思う。
 ――いとしいとしと鳴く虫は、
 そりゃお前のことだよ、ナルト。

















2017/9/23
inserted by FC2 system