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祝福は絶えず





 月光が明るく照らし出す夜に、カカシの眼前にはただ無慈悲な現実が横臥している。地面に描かれた母親らしき絵。その真ん中に体を丸めて眠る孤児。夜も更けたこんな時間まで、誰の目にも見咎められなかったのは、それだけ里がこの子ども忌避しているからに他ならない。
 ひとりぼっちのゆりかごで眠る子どもを見下ろす。その仮面に隠された素顔には、なんの表情も浮かばない。カカシの脳裏には、いつかあったあたたかで穏やかな思い出を映し出していた。
「ミナト先生の子どもとして生まれてくるなんて、大変ですね」
「ん? それはどういう意味かな。カカシ?」
 クシナが妊娠したと知ったときのミナトのはしゃぎようはすごかった。あまりにも浮かれていて目も当てられないので、ついカカシは水を差すようなことを言ってしまった。言ってから、しまったと思ってももう遅い。しっかり聞きとがめたミナトは、ただ不思議そうに教え子であるカカシを見ていた。そこに、気分を害した色はなく、スリーマンセルであった班が、ついにカカシひとりになってしまった憐憫の色もなかった。ただひたすら、透き通った青。カカシは、みずからの失言に羞恥を抱いて思わず目を逸らした。
「……先生ほど立派な忍を親に持つと、子どもは大変でしょう。……いろいろと」
 生まれたときから期待されて、比べられて、理想通りにならないと見るや落胆を投げつけられる。その子自身を見るのではなく、ただ「英雄四代目火影の子ども」としてしか見られない。
「カカシ。君の言うことも分かるよ。でもね、オレは、オレとクシナは信じてるんだ。オレたちの子だもの。絶対大丈夫だって」
 果たして、カカシの言った通りにはならなかった。「英雄四代目火影の子ども」として里民から期待される重圧の人生を送るはずだった子どもは、「九尾の子ども」として迫害され、人柱力として過酷な運命を負わされることになった。
 ――先生。どうしてですか。
 子どもがいわれなき暴力を受けるたびに――それは殴る蹴るの単純な暴力のほかに、無関心と疎外、中傷、心への暴力でもあった――カカシは絶えず投げかけた。
 どうして我が子に、こんな過酷な業を背負わせたのか。
 ――信じてるんだ。
 慈愛に満ちたかつての恩師の声は、いまでは呪いの声のようにも聞こえる。大人はなんて勝手だろう。どんなに子どもを信じたって、現にこの子は孤独に押し潰されそうだ。
 拙い絵を踏む。こんなもの、なんの役に立つんだろう。決して抱き返すことのない母の肖像。信じていると負わされたさだめ。
「お前も、生まれてこなければよかったと、思っているんだろうね」
 オレもだよ。カカシはひとりごちた。そうしてやっと、その小さな軽い体を抱き上げて、背に負ぶってやる。ソッと、静かに、子どもを起すことないように細心の注意を払って、カカシは夜のしじまを駆けた。子どもの自宅に連れ帰って、ベッドに横たえ、毛布をかける。寒い夜空の下で眠るより、よほど上等だ。だがきっと、どんなに高価な羽毛布団も、この子どもの孤独を抱え込むことができないのを、カカシは知っていた。今夜に限っては、カカシだけが。ベッドの中で眠る子どもを見下ろす。そのカカシを、月は淡く照らしていた。

 いま、ナルトの「諦めない心」は奇跡を起こそうとしている。それをカカシは目の当たりにした。亡くした友が生きていた。しかし彼はもうかつての友でなかった。世界を呪い、壊しつくそうと狂気に飲まれてしまったのだ。その友を――オビトを――かつての心を取り戻させたのはナルトだった。ナルトのがむしゃらさが、辛苦に耐えてもなお諦めぬ強き心が、かつて孤独だったカカシを慰めたように、憎しみに染まったオビトを変えた。
 信じられなかった。だがカカシは、ナルトを信じていた。みな、ナルトの生き様に心を打たれる。どうしようもなく引き付けられる。そして自身を変えられるのだ。ナルトの姿に勇気を貰える。諦めていた一歩が踏み出せる。まだ歩けると思える。ナルトともに歩きたいと思う!
 カカシはすっかりナルトの虜だ。ナルトのために何かしてやりたいと、絶えず考えている。ナルトのために生きたいと。生まれてこなければよかった、むざむざひとり生き残ってしまった後悔と孤独を抱え込んでいたカカシが、ナルトと共に生きたいと思えるのだ。また彼に、誕生日を祝ってほしい。来年も、再来年も、ずっと。ナルトの照らした道筋を、カカシは歩きたいと思ってしまった。その轍になりたいと。
「ナルトだって、失敗するかもしれないよ。でも、間違った道にあいつが進んだら、きっとオレが正してやる。オレだけじゃない。仲間が、みんながあいつを助けるだろう」
 ――信じてるんだ。
 オビトに語りかけたとき、やっとカカシはかつてのミナトの言葉を理解した。
 そうだ。ミナト先生、あなたは。ナルトだけじゃなく、オレやみんなのことを信じていたんですね。
 過酷な業を腹に宿された赤子。その子が生きる道はどれほど困難なことであったろう。それでも、九尾を封印するとき、きっとミナトやクシナは信じたんだ。ナルトの強さを。仲間の支えを、里民の理解を、人の優しさを、カカシを。
 それなのにオレは、「生まれてこなければよかった」と言ったんだ。眠って意識はなかったとはいえ、あの夜ひとりきりで外にいたお前に。
 お前は「毎年カカシ先生の誕生日をお祝いする」と約束してくれたんだ。生まれてこなければよかったと後悔に濡れていたオレに。
 涙が伝った。それはナルトがくれた左目だった。かつての友を取り返してくれた、カカシの目を再生してくれた、カカシに生きる希望を与えてくれた、――ナルト。
 いまこそお前に言いたいんだ。「誕生日おめでとう」って。これまでお前の誕生日を祝ってきたけれど、これほど切に願ったことはない。お前の誕生を祝福させてくれ。信じているなんて、かつてオレがお前に言った言葉は、なんて空虚にいまは響くだろう。いまだからこそ言える。お前は四代目火影を越える忍者になるだろう。だってそれが、オレの夢でもあるんだから。ナルト、オレはお前を信じている。信じている。愛しているんだ。
 白々と夜が明けようとしていた。ナルトの十六歳の誕生日が終わって、十月十一日の朝が来る。サスケがあの場で駄々さえこねなければ、もうとっくにカカシはナルトの誕生日を祝っていただろう。
 夜空が朝焼けに塗り替わる。光の地平線を、カカシは見た。天変地異のような戦いを見ていたのは、カカシだけだろう。穢土転生されていた先代影たちは六道仙人が解術し、その六道仙人も消えた。意識のないサクラと、無限月読で眠らされたあまたの命。この地球上に、意識がある者は、ナルトとサスケとカカシの三人のみなのだ。いや、この静けさは、もしやあのふたりもいまは気を失っているのかもしれない。そのぐらい静かだった。世界にたったひとり、カカシは息を潜めている。
 空は次第に明るくなっていき、やがてひときわ明るい光が浮き出てくる。
 カカシはこの光景を忘れないだろう。眩しすぎる日に目を細める。
 ――ナルトだ。
 ナルトとサスケの大喧嘩ももう終わった頃だろう。サクラを起して、迎えにいこうか。ナルトの誕生日を過ぎてしまったが、残念とは思わなかった。カカシが生きている限り。この一分一秒絶え間なく、カカシの血潮が流れ、心臓が脈打つごとに。カカシは寿ぐ。ナルトの存在を。生まれてきてくれてありがとう。生きてくれてありがとう。オレと、出会ってくれてありがとう。カカシの血潮は、ナルトへの感謝の思いを体中に循環させる。カカシの鼓動は、ナルトの生を喜ぶ声だ。カカシが生きている限り、この声は止まない。ナルト、お前の誕生を、お前がここに生きてくれていることを、その祝福は絶えずオレの体に流れているよ。お前を信じるオレが、お前を愛するオレが、一分一秒、生きるごとに、お前を祝うよ。
 祝福は絶えずカカシの呼吸とともにある。

















2017/10/10
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