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チョコより甘く思い知れ





「カカシせんせー、バレンタインにチョコくれる?」
 ベッドの上で寝ころびながら、どきどきワクワクと期待した心地を隠さないまま聞いてきたのはナルトである。もうすっかり筋肉もつき、背も伸びた。若人らしく力強く逞しくなった体をカカシのいいようにシーツに転がしてから暫く。熱も引いた体で小腹が空いたと訴える年若い恋人の情緒のなさに、カカシは呆れ笑ったばかりである。シンと冷えた深夜の台所に立ち、なにかつまめるものでも用意してやろうと下穿きを引っ掻けたままで裸の背中に、ナルトは戯れのような言葉を投げる。
 バレンタインとは、ここ数年で里でも流行りだしたけったいな風習である。戦から遠のき平和を謳歌するように、女性が男性に思いを伝えチョコを渡す。どこかの菓子メーカーが作り出した文化は、あっというまに根付いてこの季節になると甘ったるい匂いを往来に振りまく。しかしよもやそれをナルトが望むなどと。
「バレンタインって、女の子がやるやつでしょ。手作りチョコレート」
 恥ずかしいことも臆面もなくやってみせる。若いってすごいよね。カカシは鍋に火をかけながら零す。
「カカシ先生はやってくんねえの? 手作りチョコレート」
「ん~、甘いものは得意じゃないからなぁ」
 たとえそれを食すのが自分でないとしても、チョコを刻んで溶かして固める過程で自分が辟易とするのは容易い想像だ。
「それにお前、チョコよりお汁粉のほうが好きでしょ」
 そしてお汁粉より愛しているのがラーメンだ。深夜のこの時間の間食など、本来なら諌める自分であるのに、ついつい甘やかしてしまう。インスタントラーメンの袋を勢いよく開けながら、まあ今夜だけなら……とカカシは乾麺を湯に放る。暫くの長期任務を言い渡したのは火影である自分で、ナルトは昼には里を発つ。その前夜の逢瀬に付きあわせたのはカカシのわがままであるからして。
 そうやって甘やかしてやっているというのに、だ。
「ふぅん……。カカシ先生ってケチくさいのな」
 冷気でひっかき傷がじくじく痛む背中にぶつけられたのは、つんけんしたナルトの声。
 思わずカカシは振り返った。
「えっ」
「なんだかんだ理由つけて、チョコくんねえんだろ。先生のケチ!」
 不平不満もそのまま乗せて唇を尖らす。そりゃあ若者たちの浮かれ騒ぎのイベントに便乗してナルトに手作りチョコレートなんて、そもそも用意する段階で憤死するほど恥ずかしい。かたや六代目火影のはたけカカシ。かたや里と言わず世界を救った英雄うずまきナルト。カカシがナルトに、なんて醜聞もいいところだし、ナルトはたくさんの女の子からたくさんのチョコレートを贈られるだろう。そのたくさんのチョコレートの山に自分の思いひとつ。乗せることのなんと惨めか。その後ろめたさを察したのか恋人は、糸目のように目を細めて、「……先生のケチ」と罵った。三度もである。
 ぐつぐつと煮立つ鍋の中で、麺は揺れる。見てないうちに膨れ上がった鍋の中は噴きこぼれた。
(……ケチ? ケチだと?)
 ケチと言ったか。それも三度も。カカシの眉間にうっすらと青筋が浮くのが分かった。なるほど深夜の冷えた台所で着るものも着ずにナルトの他愛ない我がままを叶えようと体に悪いとめったに供しない袋麺を作ってやる恋人を、ケチと言うのか。
「……分かった。バレンタインチョコレートな」
 低い声で了承すれば、カカシの怒気に当てられたのだろうナルトはごくりと咽喉を鳴らした。寝台の上、薄暗闇に浮かび上がってなおほの明るい碧眼を見て、うっすら笑う。 「覚悟しとけよ」
 ……うっす。ナルトは厳かに頷いた。



「またチョコ?」
 そううんざりした声も態度も隠さないのは元同僚の夕日紅だ。
「うちの娘の顔にニキビができたらどうするつもりなの」
「悪い虫が減って安心するんじゃない?」
 いけしゃあしゃあとのたまうのは里の長として評判もめでたいはたけカカシである。
「ミライ、どう?」
「おいしー!」
 手づかみで口に運び、顔中をココア色に汚しながら満面の笑みで幼子は言う。
「昨日のとどっちがうまい?」
「どっちもー!」
「だいたい、自分が味見できないからって……ミライに味の違いが分かるわけないじゃない」
 嘆息しながら紅も一口摘まむ。生チョコレートは綺麗に真四角に切り取られ、一口収めれば舌の上で滑らかに溶け、上品なカカオの香りが鼻を抜ける。
「まぁあいつも、味覚に関してはそこまでミライと変わらないと思うぞ」
 それなのにプロ顔負けの繊細な菓子作りをする。もともと甘いものが苦手なこの男がだ。それも忙しい火影の執務の合間を縫ってというのだから、どんだけ胸を焼かせるというのだ。
 昔から職人気質気味だったこの男は、料理をとっても忍術をとっても、満足する出来になるまで愚直にそればかりを試し続ける。今回もそうなのだろう。一人暮らしも長いカカシは、昔は料理の指南書を買えば献立ひとつおろそかにしなかった。今と違うとすれば、家事や忍術において技を磨くのは自分のためで、こうして本来苦手なチョコレート作りなどと研鑽を積んでいるのは自分以外の、唯一の者のためだ。
「あんたは重いのよ」
「知ってる」
 カカシは頷いて、それでもまだまだ惜しまないというのか、それからバレンタインの前日までカカシの訪問は続いたのだった。
 ちなみに紅は我が娘の歯に虫を寄り付かせることも、その肌に赤いブツブツができることも決して許さなかった。洗面所での戦いは苛烈で、時にミライは大いに泣いたものだが、そのおかげが彼女の歯と肌は健やかに保たれたままだ。これも母心である。

「ナァルト。召し上がれ❤」
 食卓の上を所せましに置かれたあまいものたちに、覚悟していたはずのナルトさえ引き攣った顔を隠せなかった。
「こりゃまたいっぱい作ったなせんせー……」
 スタンダードに小粒なチョコだけは飽き足らず、生チョコ、チョコクッキー、フォンダンショコラ、ザッハトルテ、チョコケーキでも生クリームのものからチーズケーキのものまで。極めつけはホットココア。いかに甘いものも好むナルトであろうと、視覚からすでに胸やけを起こし始めている。この量を。
「量より質なんて、巷では言うけどさ」
 カカシは涼しい顔で長期任務明け、久方ぶりのナルトを見ている。そのまなざしは、ぞんがいぬるく優しい。彼がフォークでフォンダンショコラを突き崩せば、中からはとろりとチョコが零れだす。
「オレは量も質も妥協したくないんだよね」
 先端に突きだした塊を差しだし、あーんと乞われるままナルトは口に迎え入れた。甘い。うまい。
「どう?」
「おいしいです……」
「全部お前のために作ったんだよ?」
「喜んで完食させていただきますってばよ……」
 明日は絶対一楽のラーメン。味噌も塩も豚骨も懐かしく思いながら、しかしうまいことにもその気持ちが嬉しいことも事実なのだ。ナルトは男気を見せた。

「せんせー、オレからもバレンタイン」
 そう言ってソファに腰かけるカカシの前に立ったナルトは、どこからどう見ても手ぶらだった。収めるものを収めきって、風呂で疲れを癒した体からは湯気がほのかに立ち上っている。
「オレ、甘いものは苦手なんだけど……」
 ただでさえ準備のためにしこたまチョコレートと向き合ったのだ。味見は専ら夕日母子だったとして、匂いだけでもうしばらくは甘いものは見たくもないと思うほどに。
「知ってる。バレンタインって要はさ、相手のこといっぱい考えて、その気持ちを伝えるってことだろ? だからさ、オレさ、せんせーのこといっぱい考えてせんせーが一番喜ぶもの用意してきたんだ」
 もうすっかり大人に成長したのに、こういうときばかりあどけなく発音される「先生」の単語ひとつに思いは募っていくのだから堪らない。日々積もる思いは、ナルトに分からせても刻一刻と更新されていってしまう。多分きっと、なんて予防線を張ることもできず、昨日より今日の自分のほうがナルトを好いている。本当はナルトにたくさん渡されるチョコなんて、それを渡す女の子なんて見たくなかったから長期任務にやったのだと言えば、ナルトは怒るだろうか、呆れるだろうか。
「ん!」
 カカシの思いなど露知らず、ナルトは両手を広げてカカシを抱きしめた。ナルトから甘い匂いがする。それはチョコレートの匂いではない。シャンプーやボディソープの香りでもない(忍者が派手な匂いなどつけられないから、備え付けのものは全て無臭だ)。なんの匂いがといえば、温かい皮膚から立ち上るナルトの体臭以外にないのである。
「カカシせんせーはオレが好きだろ! だからオレをプレゼント!」
 ケラケラとじゃれつく体は重く逞しい。
「カカシ先生はオレが大好きだから、嬉しいだろ~」
 ドヤ顔で喜色満面、頬ずりされながら言われてしまえば、カカシも降伏するしかない。
「……よくご存知で」













2017/2/11(初出)
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