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背中は語る





「男はさ、背中で語るっていうもんな!」
 片足をパンツに通しながらナルトは言った。会話の脈絡はない。おはよう。体の調子はどう? 大丈夫だってばよ。お決まりの会話に、清々しいほど晴れやかな早朝の空気。その次のナルトの発言がこれだ。
「なんのこと?」
 そう聞いてしまうのも無理ないだろう。カカシは訝しげに眉尻を垂れた。
「いんや、こっちの話! 先生これから任務なんだろ?」
 満面の笑みでナルトはバシッとしたたかにカカシの背を打った。いまだにパンツ一枚のナルトと違い、カカシの身支度は済んでいる。あとは四六時中口元を覆っているマスクを引き上げるだけで、木の葉隠れの里上忍はたけカカシは完成する。
「痛いよ……。ナルト、行ってきます」
「ん、行ってらっしゃい。気を付けてな」
 啄むように擦れあわせた体温は温かい。ナルトの「行ってらっしゃい」を噛みしめながら、カカシは朝の日課を仕上げた。

 まだ早い時間というのに、木の葉の里の往来はそれなりにあった。朝早くから任務に出るカカシのような忍者や、逆に夜明けとともに里へ帰ってきた忍者も少なくない。カカシは酒豪場所に向かいながら、先ほどから寄こされるチラチラとした視線に首を傾げていた。まなざしに温度があるのなら、それは生温かい。だがそんな好奇の視線を浴びる理由などカカシにはないので、いったいなんなのだろうと思っていたのだ。
 集合場所につくと、サクラとサイは既に集合していた。この面子でナルトがいないほうが珍しいことだが、ナルトは今日の昼から別件がある。やっぱりあのオレンジ色がないと寂しいもんだなとふわふわと考えていると、サクラが突然くすくすと笑いだした。
「どしたの」
「いえ、カカシ先生は本当にナルトのことが好きなんだなと思って」
 カカシは思わず半眼になった。それというのも己の心情を赤裸々に漏らしている自覚がなかったからだ。でもそれは、付き合いの長い――ナルトとの空白の二年半を共有した――サクラだから気付くことができたのだと思いたい。だって、
「え、サクラはなんでそんなことが分かったんだい?」
 サイは突然のサクラの発言に純粋に驚いているからだ。
「ほとんど右目しか出てないのに……」
 しげしげと顔を見つめられると居たたまれない。そうだ。どんなに自分がナルトのことを好いていようと、それが事実だとしても、顔を覆ってしまっていては他人が分かるはずもない。唯一素顔を見せているナルト以外は。
「サイ、こっちこっち」
 サクラが手招きするにまかせてサイはカカシの背後に回り込む。
「?」
「あぁ、なんだ。背中に書いてあったんですね」
「え!?」
 今度は驚くのはカカシの番だった。どんなに堂々と「ナルトが好き」と表情に出しても、マスクにさえ隠してしまえば、ナルトにさえ分かってもらえれば良いのだと思っていた。それが顔だけに飽き足らず背中から自分はナルトへの思いを駄々漏らしにしていたのだろうか……って、背中?
「え、なにこれ……」
 カカシが身を捩ると、上忍ベストの上に紙が貼りつけてあった。半紙にはでかでかと「ナルトが好き」と書かれている。そのままだ。表情も思いも情緒もあったもんじゃない。実に簡潔にシンプルに堂々と、またこれ以上ないほど悪目立ちして、その告白はカカシの後姿にあった。
「え、カカシ先生気付いてなかったんですか。てっきりナルトの悪戯に甘んじているのだとばかり……」
「上忍が簡単に背中をとられちゃ世話ないですね」
 サクラとサイの言葉が痛い。今朝は少々浮かれていたのかもしれない。だがなにも、こんな悪戯をナルトがしてくるとは思わないじゃないか。
「ハァ……。そうね、オレもまだまだってことだね……」
 カカシは重い溜め息をつき、かわいい悪戯を折りたたんでポーチにしまった。
「惚れたほうが負けとこの前読んだ本に書いてありました」
「カカシ先生はまんまね」
 にやにやと意地の悪い笑みを口元にひいて、サクラはカカシの指が丁寧に紙を四つ折りにするのを見ていた。繊細な手つきは、そのまま手の中にある落書きが宝物だと言っているも同然だ。
「じゃ、任務に行きますか」
 朝の穏やかな時間を雀が鳴いて教えてくれる。そのなかではっきりと伝えられた任務開始の合図に、サクラもサイも意識を切り替えた。忍びの時間だ。



「もうナルト。先生えらく恥かいたじゃない」
 窓の外は暗かった。無事に任務を終えたふたりは、夜の時間を迎えようとしている。カカシの言葉に、ナルトはにっこり笑った。イタズラこぞうだったあの幼いときより、ずいぶん成長した。しかしその表情はいまだあどけない。
「だってさ、先生あんまりそういうこと言わないだろ? だからさ、いつも言わない分背中に言ってもらったんだってばよ」
「お前はオレに、ナルトのことを愛してるって里中に吹聴してほしかったの」
 言葉が足りないのは、カカシの悪所だとこういうときに痛感する。あまりにもナルトがあっけらかんと笑うからカカシもつい安心してしまうのだが、その実気にしていたのだろうか。心を痛めていたのだろうか。それなら火影のまえでナルトに跪き、その関係を認めてもらうことだって、自分は厭わないというのに。
「……不安にさせたか」
「なにが?」
 だがナルトが、本当になんにも心当たりのないように問うから、カカシも二の句が継げなかった。ただ単純な悪戯。ナルトにとってはそれ以外のなんでもなかったようだ。
「よくわかんねえけど、先生がどうしてもって言うなら、先生もオレの背中に書いてくれていいってばよ?」
 ベッドの上に乗り上げて、裸の背中を露わにする。傷ひとつない艶やかな白い背中に、カカシは思わず咽喉を鳴らした。
「必要ないよ」
 日焼けのしない白い肌。それはそのまま、普段は服の下に秘されていることを意味する。この濃厚な夜の時間に、その肌を見て触れることを許されている。たまらない気持ちになる。
「これからずっと、きっとオレはお前の背中を見るようになるよ」
 前ばかりを見据え走る子だ。あっという間にカカシを追い越し、みなを引き連れていくだろう。その背中には、きっと多くの言葉が語られている。ここで無理やり、ひとつの言葉を書かなくたって。
「えっ、先生、いまヤラシイこと言った?」
「全然言ってないけど、いまからヤラシイことはするからな」
 いまのナルトには当然意味の分からない話だろう。それでもその空気の読めなさはなんなんだと、カカシは上着を脱ぎながら小さく息を吐く。すこし熱が籠っていた。
(あ、そういえば、昨夜の分でコンドームの箱が空になったな)
 確かストックがこの辺にあったと、カカシは背後の棚を振り返る。
「あっ!」
 そのとき、ナルトが素っ頓狂な声を上げた。
「なによ」
 肩越しに見たナルトは、顔を真っ赤にさせていた。
「……オレさ、先生の背中にオレのことが好きだって書いたけど、あれってば間違ってたかもしんねぇ……」
 ぼそぼそと小さい声で言う。聞き捨てならず、カカシは片眉を吊り上げた。
「なんでよ。ほんとのことでしょ」
「いやぁ……、先生がオレをっていうか、オレが先生を大好きなんだなぁって」
 まぁそれもほんとのことでしょ。とは流石に口に出して言えなかった。
「……オレ、爪切ってくんな。ちょっと待ってて」
 ナルトがぎくしゃくとベッドから足を下ろすので、カカシは慌てた。いまさら獲物を巣から出してやるつもりはない。
「やだよ。お前爪切るのへたくそなんだから時間かかるでしょ。あとにしなさい」
「そういうわけにはいかねーの!」
 どたばたと慌ただしくリビングに消える背中。お預けを食らわされたカカシはコンドームの箱を手にして、「なんなのよ、もう……」と溜め息を吐くしかなかった。
 背中は語る。
 昨夜の愛の在りかを。

















2016/11/26
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